第278話 森の中の巣箱


「それでそれで、ディアスは何を頼んだのー?」

「なにをつくったの?」


 翌日。

 長いブーツに手袋にマントという、いつもの森歩きの格好をし……セナイとアイハンと、アルナーとエイマと、それと馬達と共に森の中を歩いていると、先頭を駆けていたセナイとアイハンが振り返りながらそんな問いを投げかけてくる。


「私がサナトに頼んだのは、発酵小屋だな。

 ピクルスとかチーズとか、そういうのを作り保管するための小屋をお願いしたんだが……どうやらサナト達は小屋ではなく、地下を掘ってそこに酒蔵と同じような作りで、酒蔵のすぐ側に作ったようだ」


 孤児の頃、畑仕事などをしてもらった質の悪い野菜は、すぐに悪くなってしまうため、その日のうちに食べきれない分は全て塩水や酢水に漬けてピクルスにしていた。


 そうやっておけばある程度の保存が効くし、美味しくなるし、ついでにピクルスを食べていると何故だか体の調子も良くなるしで重宝したものだが……ただそこらに置いているだけでは上手く漬からないので、発酵小屋と呼ばれる専用の小屋を作ったものだ。


 その際に気をつけたのは湿気がたまり過ぎないことや、風通しが良いことで……そこら辺のことを知らなかった最初の頃は失敗してばかりだったことを思い出す。


「その小屋にも妖精さんがいるの?」

「おさけをつくる、ちいさくてかわいい、ようせいさんー」


 発酵小屋についての説明をしているとセナイとアイハンが更にそんな問いを投げかけてきて……私は笑顔で頷いて、肯定をする。


 ……妖精と言っても、伝承にあるような妖精のことではない。


 酒やチーズなんかを作り出す、発酵と呼ばれる不思議な現象を引き起こす『何か』をそう呼んでいるだけのことで……かつての私達はそれを精霊のイタズラと呼んでいたし、ナルバント達は妖精の仕業と呼んでいるようだし……とにかくそのよく分からないその現象に、適当な名前を付けてそう呼んでいるというだけの話だ。


 そんな話をセナイとアイハンはいたく気に入ったようで、目に見えないし話をすることも出来ないし……本当に実在するかどうかも分からないまま、こんな格好をしているんじゃないか、とか、こんな暮らしをしているんじゃないかとか、そんなことを考えて楽しんでいるようだ。


「きっとお酒とピクルスは違う妖精だよ!」

「おさけのようせいは、きっとおひげがはえてる!」


 なんてことを言いながら森の中を駆け回り……飛んで跳ねて、その勢いのまま木に登ったりもして、セナイとアイハンは森の中を存分に楽しんでいく。


 そんな春の森の中は、何と言ったら良いのか……去年の様子とは全く違ったものとなっている。


 今までも何度かセナイ達と一緒に遊びに来たり、隣領に行く時に通ったりもしていたのだが、その時よりも更に雰囲気が変わったような様子で……爽やかな風が吹き、日光が眩しいくらいに降り注ぎ、地面には色とりどりの小さな花々が咲き乱れている。


「今くらいの時期の森はこんな風になるものなのかな……?」


 そうした光景を見やりながら私がそんな独り言を言うと……隣を歩いていたアルナーは、無言ながらその首を左右に振って否定の意を示してくる。


 アルナー達鬼人族は長年、この森から木材を得ていたようだし、そんなアルナーが否定するならばやはりこれは……と、そんなことを考えていると、近くをのんびりとした様子で歩く、馬達の頭の上でゆったりと体を休めていたエイマが、声を返してくる。


「どうやらセナイちゃんとアイハンちゃんが行った間伐のおかげのようですね。

 木々が減って陽の光が地面まで降り注ぐようになって、小さな草花がよく育つようになって……そこに木々に邪魔されることなく風まで吹いてくるもんだから印象ががらりと変わったようなんですよ。

 小さな草花が増えたおかげで、蝶々とか……お目当てのミツバチも数を増やしたみたいですし、秋には色々な薬草やベリーが採れるようになるそうですし、手入れをするだけでここまで変化するなんて、ボクも驚いちゃいましたね」


「はぁ……なるほど。

 間伐がいかに重要なことかというのは、セナイ達から何度も聞かされていたが、ここまで効果があるとはなぁ……キノコ畑のことや、苗木を植えた一帯のことを考えると、この森はこれからも、かなりの恵みをもたらしてくれそうだなぁ」


「そうですねぇ……木が育つまでは何年かかかるものですけど、セナイちゃん達は木や草花の育成を早める魔法なんかも使えるそうですし……もしかしたら今年の秋に大豊作、なんてことになるかもしれませんね。

 ……あ、そろそろですよ、セナイちゃん達がナルバントさん達に手伝ってもらいながら、こっそり作ってたアレがある場所は」


 会話の途中でそんなことを言って、エイマが前方にあるちょっとした広間のような空間を指差して……そこにあるらしいある物の話を聞いてからずっと、気もそぞろというか、それのことばかり考えていたらしいアルナーが、弾んだ足取りでそちらへと駆けていく。


 私と馬達もそれを追いかける形で足を進めて……すると見張りをしているのか何人かのシェップ氏族の若者達が「ようこそ! 蜂蜜畑へ!」なんて声をかけてきて……そしてその空間に並ぶ、いくつもの箱の姿が視界に入り込む。


 長い四本脚があり、三角屋根があり、出入り口らしい小さな穴の空いた、四角い箱。


 そんな箱の下には、四本脚に引っ掛ける形で一枚の板が設置されていて……そんな箱のことを少しの距離を取りながら眺めていた、セナイ達は、手を組んで祈りを捧げるようなポーズをし、何か呪文のようなものを唱えて……それから手をくるくると振り回し、何度かの円を描いてから、箱の下へと近付いていく。


「……今のアレは?」


 そんな様子を見て……蜂に刺されるのが怖くて、離れた場所にいた私が声を上げると、馬達をシェップ氏族達に預けて、私の肩へと移動してきたエイマが言葉を返してくる。


「森人に伝わる魔法で、ミツバチと会話をするためのもの……だそうです。

 ボクにもよく分からないんですが、ミツバチは独特なダンスで会話をするんだそうで……それの真似をしているとかなんとか。

 あとは練った魔力を香りのように漂わせれば簡単な会話と言うか、意思疎通みたいなことが出来る……らしいです。

 まー……ミツバチと意思疎通が出来るのはセナイちゃんとアイハンちゃんだけなので、近付かないほうが無難ですよ、見張りの犬人族さん達も遠巻きに見張りをするだけですし……。

 アルナーさんは気にもしないで近付いちゃってますけど」


 エイマの言う通り、アルナーはセナイとアイハンの直ぐ側まで駆け寄っていて、興味深げに小屋の中を覗き込んでいて……セナイ達はそんなアルナーにあれこれと説明をしながら、背中の背負籠から出した瓶を、蓋を外した上で箱の下にある板の上にそっと置く。


 そうしてから箱の上の、屋根の辺りに鉄の棒を差し込んで、差し込んだ棒をくいっと持ち上げると……少しの間があってから、何がどうなっているのか、板の上に置かれた瓶の中にトロトロと黄金色のハチミツが流れ込み始める。


「……あれは一体全体、どういう仕組なんだ?」


 そんな光景を見やりながら私がそう尋ねると……エイマが愛用の小さな本を広げて、そこに書かれた図を使いながら説明をしてくる。


「ミツバチさんは、こんな感じの六角形の巣に住んでいるって知ってますか? この六角形の中で寝て子育てをして……ハチミツを溜め込むのもこの六角形の中なんです。

 で、あの巣箱の中の六角形は……2枚の板を張り合わせることで作られているんです」


 六角形の左半分が縦にずらっと並んだ板と、六角形の右半分が縦にずらっと並んだ板を、ピッタリと張り合わせることで六角形を作って……セナイ達の魔法で誘導されたミツバチ達はそこに住まい、ハチミツを溜め込んでいる。


 そしてその板には鉄の棒を引っ掛けるための穴が空いていて……そこに鉄の棒を引っ掛けて持ち上げて、六角形を作り出している板のうち、片方だけを持ち上げてやると、板と板が作り出していた六角形が割れて、そこに溜め込まれていたハチミツが一気に流れ出る……なんて仕組みになっているらしい。


 流れ出たハチミツは、当然の流れとして下に落ちていって……縦に並んでいた六角形全てからトロトロと流れ出たハチミツが巣箱の底に集まって……底に開けられた穴から、板の上に置かれた瓶の中へと流れ込んでいって……持ち上げた板を元に戻せばミツバチ達はまたそこにハチミツを溜め込んでくれるんだそうだ。


「むかーしの古代と呼ばれる時代に発明された仕組みらしいですね。

 それを森人さん達が秘伝として伝えていたとかで……セナイちゃん達はご両親に教わったんだそうです。

 でも自分達だけじゃ巣箱を作れないからナルバントさん達にお願いして作ってもらって……ナルバントさん達がぱぱーっと作り上げたのがこの巣箱群です。

 セナイちゃん達は巣の世話や警備を約束する代わりに、そのハチミツの一部を貰い受けるという契約をしているとかで……さっきの魔法でこれから契約通りにハチミツをもらうから、巣からちょっとだけ離れてて、とか、そんなことを伝えていたようですね。

 こうやってハチミツを取る場合は、いちいち巣を壊さなくて良いですし……手間がかからなくてミツバチの負担が少なくて、とっても良い方法だと思いますよ。

 まぁ、ミツロウが全然取れないって欠点はあったりもするんですけどね」


 続くエイマの話によると、セナイ達は巣箱を作ってはみたものの、実際に上手くいくかどうかはやってみないと分からないとかで、私達には黙っていたらしい。


 ハチミツはとても貴重で、甘くて美味しくて、体にも良いものだ。

 それをこんなに簡単にとれるなんて聞けば私達は期待するに決まっていて……失敗する可能性がある中で、そんな期待を持たせたくなかったんだとか。


 材料としては間伐材と、土と何本かのロウソクで済み、ナルバント達にとっても簡単な細工だったとかで……大した負担でなかったこともあって、エイマもそれに協力していたようだ。


「……いやまぁ、うん、二人が森で畑を作ったり、採取をしたりするのは二人の好きに、自由にして良いと言っていたから、黙っていたこと自体は問題ないんだが……こんなに簡単にハチミツが手に入るなんてなぁ、驚いたよ

 子供の頃、何度か養蜂家の手伝いをしたことがあるんだが、あちこちをこれでもかと刺されるのが当たり前だったのになぁ……」


 エイマの説明を受けてそう言った私が……子供の頃の、巣箱を力づくで砕いてハチミツを絞っただとか、巣箱のハチミツの量が足りない時に、野生のミツバチの巣を強引に奪って、全力で走り回ってミツバチの追撃を躱したりしただとか……そんな思い出話を語っていると、エイマが半目になって無言での、なんとも言えない視線を送ってくる。


 そんな視線を受けて私は、一瞬何か思う所でもあるのかと戸惑うが……しばらく待ってもエイマが何も言って来ないので、気にすることなく両手で抱える程の大きな巣を手に入れた時の激闘の思い出を、懐かしい気分に浸りながら語り続けるのだった。

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