第275話 新たな関所


 外交交渉が終わり、迎賓館の片付けや掃除をしていると、そこに一通の手紙を大事そうに抱えた犬人族が駆けてきた。


 その手紙はペイジンからのもので、先程帰っていったばかりのヤテンについての情報があれこれと書かれていて……それを読んでの私の感想は「まぁ、次回があったら気をつけるとしよう」という、そんな程度のものだった。


 何しろ当のヤテンがもう帰ってしまっているし……交渉自体は上手くまとまった訳だし、特にこれと言って問題が無いというか困ったことも無いというか……今更だなぁというのが正直な所だった。


 情報それ自体はありがたいものだったのだけど、手紙には『ヤテンは獣人国の重鎮であり、大変忙しい人物であり、それ相応の問題……国境問題などが起きなければこちらに来ることも早々無いだろう』なんてことも書いてあって……そうなると私達が気をつけるべきは、ヤテンの思惑どうこうよりも、厄介な性格をしているらしいヤテンがこちらまで来る事の無いように国境の管理をしっかりとしていこう……と、そういうことになるのだろう。


 手紙を読み終えて皆に情報を共有して……アルナーなんかはそこまで興味もないのか片付けを再開させて、そうして少しの間があってヒューバートが口を開く。


「……では、自分の方で鷹人族達の手を借りながら急ぎで国境への杭打ちの方をやっておきたいと思います。

 関所の建設も急ぎたいところですが……森も木材も無いこちら側でとなると、時間も資材も人手も、あちらの数倍はかかることでしょう」


 ヒューバートによると、隣領側の関所は、森というそれ自体が侵入者の足を止める場所に、隣領の人々の手を借りて、森の木々を使って作ったからこそ、あっという間に出来上がった訳で……そうではない獣人国側の関所作りはそう簡単にはいかないようだ。


 他国との境に作るとなると、軍事拠点としての面がより強くなるし、他国からの馬車の積荷をしっかりと検める場も必要となるし……他国の者達に見せつける目的で相応の威容も求められるし……今回のような賓客が来た場合には、ゆっくりと休める場所なんかも必要になる……らしい。


「あちらとしてもまさかすぐに関所が出来るとは思ってはいないでしょうが、しっかりと国境を管理すると約束した以上は、造っているというポーズを見せる必要はあるでしょう。

 そういう訳でまずは杭打ち……鬼人族の領域との境との間に作っていたものよりも、より密度の濃い、実質的には柵に近いものを作っていって、関所の建設予定地が決まったなら、そこには図面のように柵を設置して……しばらくはそれでしのぐとしましょう」


 続けてヒューバートが言うには、鬼人族の領域との境に行っている杭打ちと、隣領との境にやる杭打ちは全く別種のものになるんだそうだ。


 鬼人族との領域との境の杭は……点々と、と言ったら良いのか、結構な距離を開けて打たれていて……ぱっと見にはそれが何のための杭なのか分からないような形になっている。


 それでも私達が杭を見れば、ああ、ここから先は鬼人族の領域かと踵を返すし、鬼人族が見れば、私達の領域なのかとそれ以上入らないようにしてくれているし、放牧などの際にも、お互いのメーアや家畜が杭を越えないようにお互い気をつけている。


 それは同じ草原に住まう鬼人族との信頼関係が根底にあってのことで……他国が相手となるとそうはいかないんだそうだ。


 信頼関係とかそういう話ではなく、絶対にこちら側に入るな、入ろうとするな、理由なく近付くなと、そんな風に相手に思わせる必要があるとかで……最低でも杭を打って柵のようにして、柵のように出来ないのだとしても、杭と杭をロープで結ぶくらいのことはしておきたいんだとか。


 関所が出来上がって、関所から兵士達が目を光らせて、万が一こちら側に侵入する者がいれば即座に追いかけ、捕まえることが出来るのなら杭などは必要無いらしいが……それは当分先のことになるんだろうなぁ。


「そういう事ならオラ共に任せておけい」


 ヒューバートの関所講座の途中、突然そんな太く響く声が聞こえてきて、迎賓館の中で話し合っていた私達は、びくりと驚きながらも聞き慣れたその声の主が誰なのかにすぐに気付き、言葉を返す。


「どうしたんだ? ナルバント? こんな所まで来て?」


「ナルバントさんの方で関所を作ってくださるのですか……?」


 私とヒューバートのそんな声を受けてナルバントは、太い腕を強引に組んで胸を張って、豊かな髭を揺らしながら大きな声を返してくる。


「なぁに、こっちにも食料保存用の地下室を作ろうかと思ってな……。

 そしてオラ共に任せておけば関所なんてモンはあっという間に作り上げてやるからのう。

 材料も荒野から適当な石を切って運んできて積み上げればそれでなんとかなるからのう。

 どでかい城を一丁に、そこから左右に伸びる石壁を拵えりゃぁ、向こうの連中も大人しくしておるじゃろうて。

 ……そういう訳でおい、そこの……ゴルディアと言ったか、お前さんの方で酒を可能なだけ……オラ共が坊からもらった金貨で買えるだけの量、揃えてはくれんか」


 そう言ってナルバントは懐から麻袋を取り出し……それをゴルディアの方へとポンと放り投げる。


 ジャラリと音を立てたそれには、フレイムドラゴン退治や鎧を作ってくれたことなどの礼として、報酬として支払っていた金貨が……ナルバントとオーミュンとサナトの三人分入っているようで、結構な重さとなっているそれを受け取ったゴルディアは、突然のことに驚きながら「どうしたら良いんだ?」と、そんなことを言いたげな視線をこちらに向けてくる。


 ……ナルバント達が仕事の際に酒を飲むことも、酒を飲んでいた方が仕事が上手くいくことも知ってはいるのだが、すでに地下室作りや日用品作りなどをやっていて、忙しいナルバント達が山程の酒があるだけで関所まで作れるというのは……まぁ、まずありえないことだろう。


 ロルカ隊やリヤン隊の手を借りるつもりなのかもしれないが……それでもまずは道具とか資材とか、そちらから揃えていった方が良いような……。


 なんてことを私が考えて……悩んで言葉に詰まっていると、怪訝そうな顔をしたナルバントが、何か思いつくことでもあったのか、ドバンッと力強く手を打って大きな声を張り上げる。


「ああ、ああ! なるほどのう!

 さてはエリー嬢ちゃんの言っておった鉱山の投資話とやらが上手く言ったんじゃな?

 鉱山開発となれば当然オラ共の出番! 関所作りまでやらせて良いものかと悩んでおったという訳か?

 坊、そういうことであれば安心せい。

 その投資とやらで手に入る金で更なる酒さえ用意さえしてくれれば、後はオラ共で鉱山の方もしっかりと作ってやるからのう、獣人国に鉄を売りつけるならやっぱり西側に作った方が良いじゃろうのう、運搬も楽だからのう。

 関所も鉱山も西側ってんなら、関所の付近に溶鉱炉でも作ってついでに関所と鉱山と溶鉱炉を繋ぐ運搬用の道も作りゃぁ商売も捗るに違いないのう」


「い、いやいや、関所に鉱山に溶鉱炉に道に、なんてナルバント達でも出来るはずがないだろう!?

 私達も出来る限り手伝うつもりだが、いくらなんでも手が足りなさすぎるぞ!?」


 ナルバントの声に対し私がそう返すと、ナルバントはなんとも不思議そうに首を傾げて、言葉を返してくる。


「オラ共だけで十分過ぎる程に手は足りておるからのう、坊達の手を借りる必要なんぞ無いがのう?」


「いやいやいやいや、たったの三人で手が足りるなんてそんなこと、あるはずないだろう!?」


「はぁ!? 坊! お主は一体全体何を言っておるんじゃ!?

 たったの三人な訳があるか!! そんだけの大仕事となればオラ共洞人の一族総出でかかるに決まっておるじゃろうが!!」


 ナルバントのその声を受けて……私達は呼吸も忘れてピタリと動きを止める。


 私もヒューバートもゴルディアも、片付けをしていたアルナーもエイマも、それを手伝っていた犬人族達も動きを止めて、一斉に視線をナルバントへと集めて……全員同時に首を傾げながら洞人一族総出とは一体……? と、そんな疑問を胸中に抱える。


 するとナルバントはその髭をゆっくりと撫でて……大きく息を吐き出してから言葉を続けてくる。


「坊……まさかお主ら、オラ共がたったの三人だけの一族だとでも思っておったのか?

 そんな訳があってたまるか! オラ共は両手両足の指でも足らん数の多勢の一族じゃ!!

 イルク村には一族の者達を満足させるだけの酒が無いから呼んでおらんかっただけのこと……十分な量の酒さえあれば一族総出で目覚めて穴ぐらから出てくるわい!!

 そうなれば関所も鉱山もホホイホイとあっという間に出来上がるからのう!

 鉱山から掘り出した鉄鉱石だってさっささっさと鉄にして、鉄の道具も武器防具もなんもかんもお手の物……酒が尽きぬ限りオラ共に任せておけばなーんも問題無いわい!」


 その言葉を受けて……勝手に三人だけの一族だと思い込んでいた私達は、動きを止めたまま、硬直したまま……しばしの間、呆然とし続けてしまうのだった。

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