第274話 外交交渉後のあれこれ



――――迎賓館で ディアス



 国境の詳細な位置や投資に関しての交渉が終わり、ヤテンとペイジンが帰っていって、テーブルの上に残された今回の交渉に関する書類を眺めていると……迎賓館の入り口でペイジン達の馬車が去っていく様を眺めていたアルナーが、入り口のドアをしっかり閉じてから声をかけてくる。


「あのヤテンとかいう男、真っ赤だったぞ……その言葉におかしな嘘とかはなかったので黙っていたが……」


 アルナーは少し前から角を光らせることなく魂鑑定が出来るようになっていて、どうやら交渉中も魂鑑定をしてくれていたようで……その結果を受けてエイマとヒューバートが慌てて書類の内容を確認し始める。


 その文言、内容になんらかの罠というか、こちらを騙そうと意図というか、そんな悪意が含まれてないかの確認をし……悪意らしきものは何も無く、文章としても問題無かったのだろう、すぐにエイマとヒューバートがため息を吐き出しながら胸を撫で下ろす。


「悪意があるからといって、相手がすぐに何かをしてくるという訳でもないのだが……それにしても、いきなりとんでもない譲歩をしようとしたり、そのことをディアスが指摘した途端、譲歩を取りやめたり……よく分からないことばかりをする相手だったな」


 そんな二人の様子を見てアルナーがそんなことを言ってきて……私達は一斉に首を傾げて、ヤテンの思惑についてを考え始める。


 だが答えは出せず、そこら辺を読み通す事ができるのは私が知っている範囲ではジュウハくらいのもので……今度何かの折にジュウハに相談してみるかと、そんな形で話し合いが落ち着いて……そうなるのを待っていたらしいゴルディアが声をかけてくる。


「相手の意図がどうあれ、これだけの金額の投資を受けられるってのはありがたい話だ。

 必要な資材はこれで買い集める事ができるだろうし……後は鉱山開発について詳しいやつと、その手足になって働いてくれる連中が見つかればすぐにでも鉱山開発を始められるだろうな。

 ……とはいえ、誰でも良いって訳にもいかねぇだろうから、信頼のおける良さそうなやつをギルドの方でも探しておくさ」


 その言葉を受けて頷いた私達は、一旦ヤテンのことは忘れて、正式に始めることになった鉱山開発についての話をし始めるのだった。



――――馬車の中で ペイジン・ド



 壁や床には上質な黒壇の板が使われていて、腰掛けには赤色に染められた上質なメーア布が敷かれていて、その上には綿をふんだんに使った座布団が置かれていて。


 窓の付近には風鈴を始めとした様々な細工品がかけられていて……窓そのものも職人が様々な技工を凝らしたものとなっていて。


 普段ペイジン達が使っている馬車とは全くの別格の、どれだけの金貨を積み上げたらこれを買えるのだろうかと戦慄してしまう程に豪華な馬車の中で、ヤテンと向かい合う席に腰掛けたペイジン・ドが、なんとも居心地悪そうな顔をしていると、それに気付いたヤテンがゆっくりと口を開く。


「……先程の交渉の席での身共の発言の意図が分からない、理解出来ないと、そう言いたげな顔だな?」


 その言葉にペイジン・ドがどう返したものかと悩んでいると、ヤテンはそんなペイジンのことをじぃっと半目で見やってから、ため息まじりの言葉を返す。


「まぁ、今回の件に関してお前達は、かなりの尽力をしてくれたからな……その程度の疑問に答えてやるくらいは何でもないことだ。

 そもそもあの場での交渉を、生粋の商人であるお前が理解するなんてことはまず不可能だろう。

 お前の資質がどうこうの話ではなく、商人であれば誰でも同様で……メーアバダル公の側に控えていたいかつい男も、終始お前とよく似た顔をしていたな……あれも恐らくは根が商人なのだろうな」


「しょ、商人を生業としているものには理解出来ない、ということでん……?

 だんどもあれは投資とこれからの商売に関する交渉で、あっしらの本領のような……?」


 首を傾げながらペイジンがそう返すと、ヤテンは半目を更に細め……言葉を続けていく。


「その時点でもうお前は勘違いをしてしまっている。

 そもそも今回の件は、向こうからの国家間の友好を求めての話だったはず……投資に関してはそのとっかかりに過ぎず、投資での儲けどうこうに主眼を置いていること自体が誤りなのだ。

 友好……そう、友好だ。あちらは友好を求めて話を持ってきた、そうなるとあちらとしては友好関係さえ結べればそれで良し、鉱山開発による儲けなどは二の次……のはずなのだが、凡庸で愚かな者達は、愚かがゆえにそこで本来の目的を見失ってしまうのだ。

 大量の金銀が手に入るとなった途端欲に駆られて、友好のはずの席を金儲けのための席にしてしまう。

 友好関係を求めてわざわざ足を運んできた身共の、ちょっとした油断に付け入って大金をせしめようとする。

 商人ならばそれで良いのかもしれないが……身共やメーアバダル公はそれではいかんのだよ。

 仮にあの話のあのままメーアバダル公が乗ってきたなら、その時点で友好の話は御破算となっていただろう。

 友好関係を望む相手の油断に付け入って大金を奪っておいて何が友好か……仮にそのまま戦争となってしまっても文句は言えないだろう?」


「そ、それは……それは……そういうもの、なのですけん?

 あ、あっしからしてみると、重要な交渉の場でそういった弱味を見せてしまった者の過失のように思えますでん……」


「商人ならばそれで良い、国家を背負う者としてはそれではいかんということだ。

 向こうから友好をと求められて、身共のような立場の者がわざわざ足を運んだのに、その思いを裏切り、金を奪い侮辱した……そうなれば戦争も止むなし、だが国家の末席の弱小勢力たる向こうはそうなることは望まんだろう。

 しかしこちらにも面子がある、ただ戦争をやめてくださいでは話は飲めん……そう、今回の原因となった鉱山の所有権やちょっとした領土をもらわねば飲めん話だ。

 ……まぁ、身共も鬼ではない、そこまではしないさ、そこまではな。

 仮にメーアバダル公がこちらの油断に付け入ろうとしたなら、その時点でそれを咎めて止めていただろう。

 止めて優しく諭し……主導権をこちらが握った上で、会話を誘導し相手の心に確かな罪悪感を植え付けるのだ。

 お前の話によるとメーアバダル公は大層なお人好しだそうだな? お人好しに罪悪感という毒は効くぞ、生涯その心を蝕み続ける。

 蝕んで弱らせて……死ぬまでこちらの思いのままだ。

 ……ああ、まったく、惜しいことをした、まさかあの提案を突っぱねるとは全くの予想外だった、それ程の人物には見えなかったがなぁ……。

 いやはや、それにしても惜しい、公がもう少しだけ欲深ければなぁ……あの草原を十年か二十年は好きなように出来たものを」


「ゲ、ゲコッ!?」


 ヤテンの言葉にペイジン・ドは思わずそんな悲鳴を上げる。


 その悲鳴を受けてヤテンはペイジン・ドのことを遥かな高みから見下すような視線で見やり……そうした上でなんともわざとらしい仕草でポンと手を打つ。


「……いや、そうか、こんな単純な手を思いつかないとは、身共の失策だったな。

 ……まずは相手を金銭的に追い詰める所から始めるべきだった。

 あの幕家に獣人国の美術品が飾ってあったな? あれらをもっと売りつけて金貨を吸い上げてから今回の話をすべきであった……ああ、まったく、商人共が側にいて何故すぐにそこまで思いつけなかったのか……いやはやまったく、恥じ入るばかりだ」


「ゲコココ!?」


 手を打ってからからと笑いながらそんなことを言うヤテンと、それを受けてもう一度悲鳴を上げるペイジン・ド。


 そんなペイジン・ドの様子を見てヤテンは、今度はからからでなくゲラゲラと……指を差し手を叩き、これでもかとペイジン・ドのことを見下しながら笑い声を上げるのだった。



――――馬車の外壁にへばりつきながら ペイジン・レ



 生まれつきの両手両足を存分に活かし、ぺたりと馬車の外壁に張り付いて、耳をぐいと押し付けて中の会話を盗み聞きしていたペイジン・レは、中から聞こえてきた兄ドの悲鳴を……あらかじめ打ち合わせていた合図を受けて、パッと両手両足を外壁から離す。


 離して地面へと落下して……馬車の周囲に随伴していた護衛達、ペイジン本家に代々仕えている信頼のおける部下達に受け止めてもらったなら、飛び上がるようにして地面へと立ち、すぐさま紙と墨と硯、筆という各種道具を用意し……さらさらと王国語で手紙を書き始める。


 そんなペイジン・レの様子を、草原の終わりまで……新しく決まった国境まで護衛するということで付いてきた、犬人族の小型種達が首を傾げながら見守る中、ペイジン・レはヤテンの思惑とその人物像などについての詳細を手紙に書き記していく。


(まだまだデスナァ、ヤテン様……。

 ヤテン様は確かニ、獣人国の重鎮で立派なお方でスガ……我が家の長男を長い間使いっぱしりとして使っタリ、今回の件で我が家全部を使いっぱしりにシタリ……それでいて大した対価をくれないとイウ、尊敬できないお方……そんなお方に我が一族が素直に従うなどト、どうして思ってしまったのでショウカ。

 逆にディアス様は我が一族に十分すぎル程の対価を支払ってくださっテイマス。

 商人たる我々がどちらニ付くかは……自明の理デショウニ)


 と、そんな事を考えたペイジン・レは、ディアス達が自分達に提示してくれた対価のことを思い出す。


 それは『関所が出来てもペイジン家だけは自由に通行して良い』というとんでもない権利で……これから関所が出来上がり、投資が進み、国交が樹立されたならその権利がどれだけの利益をペイジン達にもたらしてくれるのかは、想像も出来ない程である。


 メーア布と岩塩と鉄という名産品を持つ隣国と自由に行き来が出来るのはペイジン家のみ、更に草原の向こうの隣領との交易の可能性まであって……。


 他の商人達が関所で積荷の確認で足止めされて、通行税を支払っている中、自分達はそういった手間も金もかけることなく、自由に商売をすることが出来る。


(そうなれば屋敷が建つどころの話じゃありマセン、城……イエ、ちょっとした街や小国を作り上げられル程の銭が我が家に集まることニ……。

 しかしそれはあくまデ、ディアス様がこの地の領主であることガ、健在であることガ前提……そんなディアス様を守るためならバ、ワタシ達ペイジン一家はディアス様の味方にもなりますトモ。

 獣王陛下とディアス様となったラ、流石に獣王陛下の方に天秤が傾きますガ……ヤテン様、アナタでは天秤は僅かも揺れまセンナ)


 更にそんな事を考えながらペイジン・レは手紙をかき上げて……それをしっかりとした封筒の中に入れて封をし、封筒に一筆『ディアス様へ』との文字を書き上げる。


 そうしてそれを無言で犬人族へと渡し……犬人族は突然のことに全力で首を傾げながらも、そこに書かれた文字を読み取って、とにかくディアスに届ければ良いらしいということだけを理解して、封筒を大事そうに抱えてイルク村の方へと駆けていく。


 そんな犬人族のことを見送ったペイジン・レは……静かに筆などの道具を愛用の背負鞄の中へとしまい……そうしてからヤテンに動きを悟られないようにと静かに、無言で前方を進んでいる馬車へと追いつくべく足を進めていく。


 そんな様子をしっかりと見ていた部下達は、何も言わずにペイジン・レの後に従い……そして護衛を続けていた残りの犬人族達は、隣国の人達には変わった風習があるのだなぁと、首を思いっきりに傾げながらそんなことを思い……そうしてから気持ちを切り替え、鼻をすんすんと鳴らし耳をピンと立てて、ディアスから頼まれた大事な護衛任務を再開させるのだった。

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