第273話 初めての外交交渉



――――迎賓館で ディアス



 狐人族のキコが着ていた服によく似ているが、男用だからなのかデザインが少し違う、少し角張った感じの紺色の服を身に纏っていて……その服の首元には長めのマフラーのような布があり、そこからにゅっと長い首が伸びていて、喉のあたりは黄色、顔は白色の毛に覆われた……イタチなどによく似た姿をしていて。


 腰にはやたらと反り返った形の剣を下げ、両足を大きく開いた堂々とした態度で椅子に座り……そんな獣人国のお偉いさんを前に、迎賓館に集合した私達は、緊張しながら相手の言葉を待っていた。


 他国のお偉いさんと会うとなって迎賓館に集まったのは、私、アルナー、エイマ、ヒューバート、それとゴルディアとなっていて、私がお偉いさんと向かいうように座り、エイマは机の上で書記を務め……アルナー、ヒューバート、ゴルディアは私の後ろに控えている。


 迎賓館の周囲にはアイサとイーライと犬人族達が警備ということで待機していて……ペイジン・ファとペイジン達が連れてきた護衛も、外で待機しているようだ。


 そしてお偉いさんの左右にはガチガチに緊張しながらピシリと直立するペイジン・ドとペイジン・レの姿があり……そんな二人の態度からも、相手が尋常ではない立場の人物なんだということが伝わってくる。


「獣王様に仕える参議、ヤテン・ライセイと申します」


「……メーアバダル公爵のディアスだ、よろしく頼む」


 突然お偉いさんがそう声を上げてきて……私は少しの間があってから、そう返す。


 確かペイジン達の国は家名を先に名乗るはずだったから……この人はヤテン家のライセイさん、ということになる訳か。


「サンセリフェ王国から友好を望む手紙が届いたと聞いた時は驚きましたが、こちらのペイジン家の者達に詳しい事情を聞き……こうして直接お会いしたことで大いに納得がいきました。

 獣人と共に、手を取り合って暮らすだけでなく、我が国の美術品を迎賓館という玄関口に飾り……その上、側役に獣人を置くとは……ここまでされては身共も胸襟を開かざるをえないですな」


 男性……にしては少し高めの声でそう言ってヤテンは柔和に、親しみやすい微笑みを浮かべる。


「……そう言ってもらえてとても嬉しいよ。

 ペイジン達にはとても助けられているし……獣人達はイルク村にとって欠かせない大事な仲間達だ。

 これからも仲良くやっていきたいと思っているし、獣人国と友好関係が結べたなら、これ以上に嬉しいことはないだろう」

 

 私が失言しそうになったら合図を送るとか言っていた、エイマや後ろに立つ皆の気配に意識をやりながら、ゆっくりと言葉を返すと、ヤテンは笑みを深くし……懐から何枚かの手紙と地図を取り出し、テーブルの上にそっと置き……こちらへとすっと滑らせてくる。


 するとすぐにヒューバートが動いて、音もなくそちらへと近付いて……胸に手をやっての一礼をしてからそれを受け取り、私の方へと持ってくる。


 それを受け取った私は、まずは手紙の方を……王国とは違う折りたたみ方のされた、少し分厚いように感じるそれを開き、中身に目を通し……何よりもまず私にも読める文字が書いてあることに心底安堵する。


 それから改めて内容を読んでみると、文章が古臭いというか堅苦しいというか……少し慣れないような言い回しが散見されるが、とりあえずは私達との友好を受け入れてくれる、というような内容であるようだ。


 そして地図には草原地帯までが王国で、そこから西は獣人国の領土であると、そんなことを示す文字と線が描いてあり……ヒューバート達が作っていた地図とほぼ同じ地形になっているそれを見る限り、線の位置なども全く問題無いようだ。


 確認を終えて私が頷くと、ヤテンは微笑んだまま……全身を少し強張らせ、先程よりも力を込めた声を上げる。


「まず国境に関して……国境を確定すること、国境の位置、関所を建てること、獣人国として異論はありません。

 それによってお互いの国の間にあった問題が起きなくなるのであれば、こちらとしても利となりますからな。

 ただし一度確定したとなったら、それ以降に侵入者などの問題が起こるようなことは無いようにお願いしたいですな」


「ああ、それはもちろん、関所だけでなく見張りなどで徹底させてもらうつもりだよ」


 そう私が返すと、ヤテンは小さく頷き、言葉を続けてくる。


「いやぁ、まったくもってありがたい限りです。

 色々と問題のある国境地帯ということもあり、この辺りは開発が進んでいませんでしたからなぁ……不安を抱えていた住民達も、メーアバダル公の力強いお言葉に安堵することでしょう」


「その安堵が長く続くよう、努力させてもらうよ。

 ペイジン達ともその住民達とも、キコやその家族とも、もちろんヤテンや他の人達とも長く、いつまでも仲良くやれたらと思うばかりだ」


 ヤテンを真似して背筋を伸ばし、声に力を込めて……一切の偽りのない本音をそのまま言葉にする。


 するとヤテンはキコの名前を出したところで小さく驚き……私の言葉が終わった後にもまた何故なのか驚いた様子を見せる。


 キコも確か獣人国のサンギとかいう役職だと言っていて……ヤテンも同じサンギで、知り合いかと思って名前を出したのだが、何かまずかっただろうか?


 と、私がそんなことを考えているとヤテンは小さく咳払いをし……そうしてから話の続き、エリーが提案した投資についての話をし始めるのだった。



――――ヤテンの背後で、皮膚が乾燥する程の緊張に包まれながら ペイジン・ド



(ああ、怖いでん、火山の噴火よりも怖いでん、あのヤテン様が笑みを浮かべてるなんて……)


 いつもはテカテカと一定の湿度に保たれている皮膚を、カリカリに乾燥させながらそんなことを思ったペイジン・ドは……目の前で繰り広げられている交渉の様子を恐る恐るといった様子で見やる。


 獣王様の獣人国……と、そんな言葉で済ませられる程、獣人国は簡単な国ではない。


 様々な種族の獣人達が住まう関係で、様々な氏族が乱立し、乱立の果てに権力を握り……地方によってはそうした氏族達がまるでその地方の王かのような態度で振る舞っており……基本的には獣王に従っているそんな氏族、権力者達も、ゆえあれば反抗し、時には自らの権力維持や利益確保のために戦争になることも辞さない……と、そんな国内状況がもうかれこれ百年以上続いている。


 そうした国内を駆け回り、剛柔をこれ以上なく上手く使い分けた交渉をし、見事過ぎる程見事な調停をしてきたのが目の前にいる男、獣人国参議、外務担当のヤテン・ライセイで……獣王に忠誠を誓う者はその名を聞けば青ざめながらも奮い立ち、反抗する者はその名を聞いた瞬間に腰を抜かして頭を垂れるとまで言われた、尋常ならざる人物である。


(……あっし、生まれて初めてヤテン様の笑みを見たでん……)


 笑みを浮かべながら交渉を始め、何か仕掛けるかと思っていたら何も仕掛けず、平穏無事に国境に関する交渉をまとめ……そのままの流れでメーアバダル草原北部の、鉱山開発に関する交渉が始まり……それすらもが平穏に、何事もなく進んでいく。


(……投資で影響力を強めようとするでもなし、鉱山を乗っ取るでもなし……。

 まさかあのヤテン様が衰えたなんてそんなこと、無いと思いたいでん……んだも、まるで覇気を感じないでん……)


 更にペイジンがそんな事を考えていると、ヤテンは投資額と利益の分配に関する交渉の中で……譲歩とすら言えない、とんでもない条件を……ディアス達だけが得をして、獣人国は丸損をするというような、そんな条件を口にし始める。


(ゲコ!? ゲ、ゲコ!? ゲコッコ!?)


 そのまさか過ぎる条件に動揺し、混乱したペイジンが……今や老人達ですら使わない、先祖達が使っていたという古代語での悲鳴を心中で上げていると……ヤテンだけでなく、周囲の者達に相談をした上で眉をひそませ、ひどく不機嫌そうな表情をしたディアスまでがとんでもないことを言い始める。


「いや、それは駄目だ。

 そんな私達だけが得をするような条件は受け入れられない。

 ……今回の投資話を考えた者はあくまで、獣人国との友好のためにと考えてくれたのだから、お互いの利益になる、お互いが長く続けていきたいと思う条件にしたいと思う」


 あのヤテンが国がひっくり返るような譲歩をしたというのに、この男は一体全体何を言い出しやがったんだ。


 その言葉を受けてそんなことを考えたペイジンは……直立したまま、息を止めて白目を剥いて……あまりのことにほんの一瞬だけではあるが、その意識を手放してしまうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る