第228話 家族旅行 五日目、突然の……


 翌日、早朝。


 目覚めて身支度を整えて、食堂でエルダン達との食事を終えて……部屋へと戻り、さて、今日も昨日の続き、マーハティ領内の巡行か……と、思っていたのだが、そこでセナイとアイハンの様子がおかしいことに気付く。


 そわそわとして落ち着かないというか、何処か悲しそうというか、何か足りないものを探しているというか、そんな表情と態度をしていて……時折涙を流したり、胸を抑えて苦しそうにしたりもしていて……。


 そんな二人を見てアルナーが一体どうしたのかと首を傾げる中、孤児達の世話をしていた時や戦場にいた時などに、今のセナイ達と同じ病気にかかってしまった者達を何度も見かけていた私は……静かに頷いてから、二人の側に近寄ってしゃがみこみ、二人の頭をそっと撫でながら声をかける。


「そうだな、そろそろイルク村に帰るとしようか」


 私がそう言うとセナイとアイハンは、落ち着きを取り戻し笑顔を取り戻し……こくこくと何度も力強く頷く。


 そんな二人の態度を受けて事情を察したらしいエイマが二人の側に駆け寄り、それに続いてフランシスとフランソワが二人にそっと寄り添う中……アルナーは一段と強く首を傾げてしまう。


「どうやらセナイとアイハンは懐郷病にかかってしまったようだな」


 首を傾げるアルナーに対し私が苦笑しながらそう声をかけると……懐郷病のことを知らないらしいアルナーは、首を傾げたまま困惑の表情を浮かべてしまって……そんなアルナーに私は懐郷病についてを説明していく。


 懐郷病。

 家や故郷から遠く離れた際に、何の前触れもなく突然やってくるどうしようもない寂しさや心細さに負けてしまい……まるで病気にかかったかのように身も心も弱ってしまう状態を指す言葉。


 幼い子供がなりやすく、なりにくいとされているが大人でもなることがあり……あっさりと克服する者もいれば、いつまでも克服できず苦しみ続けてしまう者もいる。


 今この屋敷には私がいて、アルナーやエイマがいて、フランシスにフランソワに六つ子達もいて、エリー達もいるし、馬房に行けばシーヤやグリに会うことも出来て、寂しさなど感じるはずがないと思うかもしれないが……ここでは草原のあの独特の草の匂いを嗅ぐことができないし、犬人族達の元気な……賑やか過ぎる声を聞くことができないし、マヤ婆さん達の歌を聞くことが出来ないし、すっかりと仲良くなったサーヒィ達と一緒に狩りに行くことが出来ない。


 日常の中で当たり前のように見ていた光景が、嗅いでいた匂いが、耳にしていた音が無いと、それがどうしようもなく寂しくて悲しくて辛くて……セナイやアイハン程の幼さでそれらを克服するというのはそう簡単に出来ることではないだろう。


 そうなると一番の解決策は、二人が懐かしんでいるイルク村に帰ることで……一度当たり前の日常を失ったことのある二人の過去のことを思えば、尚の事そうしてあげるべきなのだろう。


 そうした説明を終えるとアルナーは「なるほど」とそう言って頷き……セナイとアイハンの下に向かって二人のことをしっかりと抱きしめ、そうしながら私に視線を向けて、


「エリー達にはこっちで話をしておくから、ディアスはエルダンの部屋に向かって、帰宅の報告と挨拶をしてくると良い」


 と、そんな言葉を口にする。


 それを受けて頷いた私は、一人で部屋を後にし……廊下で見かけた者に声をかけて、エルダンの下へと……政務室へと案内してもらう。


 大きく開いた風通しの良い窓があり、豪華絢爛といった様子の柄の何枚もの絨毯が敷かれたり、飾られたりしている部屋で、数え切れない程のいくつもの書類の束に囲まれていて……。


 そんな光景が広がる政務室にて巡行が始まるまでのわずかな時間すらも政務にあてていたらしいエルダンの下へと向かった私は、その前に腰を下ろしながら事の次第を報告する。


 するとエルダンは笑顔で頷いてくれて……エルダンとしてはもう少し滞在して欲しかったというか、惜しむ気持ちがあったようなのだが、それでも引き止めたりはしないでくれて、すぐさまに部下達に、私達の馬車などの準備をするようにとの指示を出してくれる。


 それを受けて私がエルダンに礼を言うと……エルダンはいつにない柔らかな笑顔で言葉を返してくれる。


「気にしなくて良いであるの、懐郷病は誰にだって起き得るもので、苦しいもので……また落ち着いた頃に遊びにきてくれればそれで良いであるの。

 春以外の……夏や秋のマーハティ領も様々な魅力がいっぱいで、色々な遊びや楽しみがあるであるの。

 ぜひぜひ、また家族揃ってお越しくださいであるの」


 その言葉に私がもう一度改めての礼を言うと、エルダンは一段と笑顔を深くしながら頷いてくれて……それから私は、馬車の準備が整うまでの時間の一部を、ここで……エルダンと共に過ごすことにして、エルダンと他愛のない言葉を交わしていく。


 領主と領主というよりは友人と友人というか、そんな気分で。


 なんでもない当たり前の、どうでも良いと言えばどうでも良い……好きな食べ物だとか、好きな料理だとか、最近エルダンが頑張っている鍛錬の話だとか、そんな会話をつらつらと……。

 

 そうやって時間を過ごしていると、私達が帰ることを聞きつけたエルダンの母ネハが、その下で働くことになった……たったの数日で驚く程に痩せて覇気を失ったスーリオと共にやってきて、私との別れを惜しむ言葉と再会を願っての言葉と、強烈で力強い抱き締めという凄まじい挨拶をしかけてくる。


 それにどうにかこうか私が応じるとネハは、すぐさまに踵を返しスーリオを引き摺りながら……私達の部屋へと、アルナー達の下へと駆けて……いや、突進していく。


 どうやらアルナー達にも同様の挨拶をするつもりのようで……そんなネハを止めようとカマロッツ他、エルダンの側に控えていた部下達が慌てた様子でネハ達のことを追いかけていって……それを受けて私も立ち上がり、一旦エルダンと別れてネハの後を追う形でアルナー達の下に向かい……熱烈で強烈な挨拶をしようとしているネハをどうにか宥めて、普通の……軽く抱きしめる程度の挨拶に留めてもらう。


 そうして挨拶を終えたネハが涙ながらに去っていったなら、アルナー達と一緒に帰り支度を整えていって……帰り支度を整えたなら部屋の掃除をしていって。


 掃除が終わったなら荷物を抱えて……エリー達と合流し、馬車の支度がしてあるという屋敷の出口……初めてこの屋敷に来た時に使った正面の大扉ではなく、屋敷の裏にある程々の大きさの扉の方へと向かう。


 その側にはいくつもの馬房があり、馬車を置くための空間があり、馬車を整備し修理するための場があり、厩番や馬車職人達の住まいと思われる小屋があり……屋敷の敷地内とは到底思えないような、街の中かと思うような光景が広がっている。


 そこにはここに来た時のように案内をしてくれるつもりなのか、まず先頭にカマロッツ達の馬車が用意されていて、それに続く私達やエリー達の馬車も用意されていて……アルナーが購入した8頭の軍馬も、カマロッツの部下達が手綱を乗る形で待機していた。


 そんな準備万端の馬車の下へと駆け寄った私達は、荷物を馬車の中にしまうなり馬車に繋がれたベイヤース達に挨拶をし、軍馬達にも挨拶をし、その顔や体をこれでもかと撫でたなら今度は、カマロッツの部下任せではなく、自分達でも馬具や馬車の様子を確認し……忘れ物がないかなどの荷物の確認もしっかりとしておく。


 そうこうしているうちにエルダンやネハ達が再度で最後の挨拶をしようとわざわざここまでやってきてくれて……私達は一人一人順番にエルダンやネハと握手をし、今日までの礼と別れの挨拶と、また遊びに来るとの言葉をしっかりと交わしていく。


 挨拶を終えたなら御者はカマロッツが用意してくれた者に任せて、馬車の荷台へと皆で乗り込み……席についた私が御者へと合図を送ると、馬車がゆっくりと動き出し……それと同時にゆっくりと開かれた扉の向こうの道へと向かって進み始める。


 そうして私達の馬車は、初日にここまで来た道をほぼそのままの形で戻っていって、途中隊商宿で一泊し、隊商宿で馬車を元の幌馬車に戻し……と、マーハティ領に来た時の旅程の何もかもを遡る形でマーハティ領を後にするのだった。

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