第209話 出立


 厩舎の増築が無事に終わり、馬達の顔合わせも特に問題なく終わり……白ギー達は新しい仲間が増えたというのに特に気にした様子もなくいつも通りに草を食み、そしてロバ達はまだ新生活に慣れていないのか、落ち着かない様子を見せ。


 それでも犬人族達が丁寧に優しく世話をしてやると、いくらか落ち着いた様子を見せてくれて……これならば2・3日もあれば落ち着いてくれることだろう。


 それからはいつも通りの仕事をしたり、旅行の最終準備をしたり……改めて留守のことを確認したり、いざという時の連絡……サーヒィ達による連絡を受けるための打ち合わせなどをして、夜になったら馬達が増えたことを祝うちょっとした宴をカマロッツ達も交えて楽しみ……そうして翌日、早朝。


 所有している馬車でも一番大きな馬車……4頭引きの馬車にベイヤース、カーベラン、シーヤ、グリの4頭を繋いで私達の馬車とし、それよりも少し小さな馬車を新顔の2頭の馬……茶毛のブリーとラヌを繋いでエリー達の馬車とし。


 念の為に戦斧やらと、数日分の食料と、何かおめでたいことがあったらしいのでそれを祝うためのいくつかの品……メーア布を中心とした品々を積み込んで準備は完了。

 

 後は皆が来るのを待つだけだなと背伸びをした私は……作業を手伝ってくれた犬人族達と一緒に馬達のことを撫でたりしながら、皆の到着を待つのだった。



 ――――ユルトの中で アルナー


 

 アルナーが外向き用の、いつものものよりも裾が長く手の込んだ刺繍がされているビレーシャを……鬼人族の服を身に纏いしっかりと腰紐を結んでいると、マヤ婆さんがアルナーの肩にそっとマントをかけてくれる。


 それを受けてアルナーがマントをしっかりと固定していると、今度は旅行のために作った角飾りをマヤ婆さんがつけてくれて……そうしながらアルナーの正面に立ったマヤ婆さんは、アルナーの頬を両手で包んで顔を右に向け、左に向け、化粧がしっかりしているかの確認をしてくれる。


「よしよし、問題ないようだね。

 初めての旅行……公爵夫人としての初めての外交だからね、緊張するのは仕方ないけどね……ま、相手があのエルダンならそこまで心配する必要もないだろうさ。

 坊やをしっかりと支えておやり」


 その言葉を受けてしっかりと力強く頷いたアルナーは……「いってきます」とそう言ってユルトを出ていくのだった。



 ――――広場の畑で セナイとアイハン、それとエイマ



 旅行に行くとなってセナイとアイハンは、いつも畑の世話を手伝ってくれている犬人族を相手に、不在中の畑の世話の仕方を一生懸命に教えていた。


 こういう時はこうして、ああなったらこうして、もしこんなことになってしまったらこうしてと一生懸命に。


 あまりに一生懸命過ぎて犬人族達に伝わっていない部分もあったのだが、そこはセナイと頭の上に乗ったエイマが分かりやすく噛み砕いて説明することでフォローしてくれていて……旅行に行くと決まってから毎日のように繰り返してきたおかげもあってか、犬人族達はセナイ達の言葉を一字一句間違わずに復唱出来るまでになっていて……自信満々といった様子の笑顔で、胸を張った態度で「おまかせください!」との言葉を返す。


 それを受けてようやく安心出来たのかセナイとアイハンはお互いの顔を見合ってから頷いて……今度は犬人族ではなく、畑の……しっかりと幹が伸び太くなり、木と呼んでも問題無い大きさとなった二本の木に向かって声をかける。


「いってきます!」

「いってきます!」


 その様子を見て、一体全体どうして木に挨拶をしているのだろうかと疑問を抱いた犬人族達が首を傾げていると……強く爽やかな春風が吹いてくる。


 するとその風音に混じって誰かの声が……『楽しんでおいで』『いってらっしゃい』との声が聞こえてきたような気がして、犬人族達はその耳をピンと立ててキョロキョロと周囲を見回し、声の主を探すのだが……周囲には誰もおらず、その鼻でも耳でもそれらしい人を見つけることが出来ず、傾げていた首を更に大きく傾げてしまう。


 そうやって犬人族達が首どころか体全体を大きく傾げてしまう中……にっこりとした笑みを浮かべたセナイとアイハンは、エイマを連れて馬車の方へと駆けていくのだった。



 ―――倉庫の中で セキ、サク、アオイの三兄弟



「―――ということで隣領の名産品はここにある砂糖、香辛料、紅茶、それと紙ということになるの。

 あなた達の故郷でも紅茶と紙の生産は盛んだそうだから、交易で狙うのは砂糖と香辛料ということになるわね。

 砂糖はただ甘さで売れば良いけど……香辛料の香りは慣れていない人にはきついものだから、味どうこうよりも薬効を押した方が良いかもしれないわね。

 口にしたら血の巡りが良くなって体が温まるとか、食料が腐りにくくなるとか、病気に強くなるとか。

 まずはそうやって売って味と香りに慣れてもらうことが大事かもしれないわね」


 倉庫の中でエリーからこれから向かう隣領、マーハティ領についてを教えてもらっている三兄弟は、背筋をピンと伸ばしながら何も言わずにその言葉に聞き入っている。


「それと品物に関する知識も重要よ、ただ品物を仕入れて売るだけで商売が上手く行く程この世界は甘くないわ。

 実際に生産している現場を見て、これこれこうしてこういう形で作られているからこの値段なんだと説明して、他の生産地よりもこうしているから品質が良いっていう説明が出来て当然、その上で更にお客さんの性格や財布事情、どんな趣向をしているのかを見抜いての交渉をして、ようやくいっぱしの商人よ。

 お父様達にとって今回のことは旅行なのでしょうけど、私達にとってはそういったことを調べ上げて、あちらの商人との顔を繋ぐ大事な大事なお仕事だということを忘れないように。

 ……っと、そろそろ時間ね、続きはまた馬車の中でやるからそのつもりでいて頂戴な」


 そう言って講義を終えたエリーが倉庫の外へと出ていくと……背筋を伸ばしていたセキ達は大きなため息を吐き出してから、体を楽にしてにへらと笑う。


「へっへっへ、馬車の中でも講義かー。

 腕一本で成功した姉貴の知識を、惜しむこと無く教えてくれるってんだからありがたいよな」


 笑いながらセキがそう言うと、サクが同じような表情でうんうんと頷いてから……西の方角、故郷のある方角を見て、遠い目をしながら声を上げる。


「故郷では母ちゃんが不自由しないようにって、衣食住を揃えてくれてたけどさ、それでも外に出たなら白い目で見られて、何をするにもケチつけられて不自由な思いをしたもんだけど……ここではそれが無いんだよな。

 普通に接してくれるし、普通に良くしてくれるし、知識を惜しむことなく分け与えてくれるし……他と同じように厳しくしてくれるし」


 すると最後にアオイが、少し不安そうな表情をしながら声を上げる。


「そうなんだよね、美味しいご飯と新しい服と、家までくれてすっごく優しいようだけどここって、同じくらいに厳しくもあるんだよね。

 働いて当たり前、村の役に立って当たり前……体調悪くて休んだり休憩したりするのは良いけど、理由も無く怠けるのは絶対に駄目。

 何より一番偉くて、怠けて良いはずの領主様が朝から晩まで休むこと無く働いちゃってるんだもんなぁ……。

 もし今回の旅行で何の成果も上げられませんでしたなんてことになったら……姉貴は勿論のこと、シェップの旦那やマーフの旦那、セドリオの旦那に何を言われるか……。

 ……無駄飯食らいの烙印、押されちゃうかもなぁ」


 アオイのその言葉を受けてセキ達は……急激に不安になり顔色を悪くし、寒気からか身震いを起こす。


 現状セキ達はエリーの下で勉強をしているばかりで、これといった成果を上げることは出来ていない。

 領主であるディアスもイルク村の面々もそのことをどうこう言ったりはしないし、気にしてもいないようだが……あくまでそれは三人がまだまだ勉強中の新顔だからだろう。


 馬や馬車だけでなく、メーア布で作ったタオルなどの生活用品や、三人それぞれに一つずつのユルトを用意してくれた上で、今後役に立ってくれればそれで良いと、そう言ってくれた。


 そこまでしてくれたというのにもしその期待に応えられなかったなら……自分達の立場が悪くなるのは勿論のこと、これからやってくることになっている他の血無し達の扱いにまで影響が出てしまうことだろう。


 そんな事を考えてもう一度身震いをしたセキ達は……いつまでも怯えてばかりではいられない、今後のためにも故郷の皆のためにもイルク村のためにも、しっかり頑張らないといけないなと心を決めて……まずは勉強と隣領での顔繋ぎだと気合を入れ直し、背筋をピン伸ばして三人仲良く倉庫から駆け出ていくのだった。



 ――――イルク村の東端で ディアス



 まずアルナーがフランシスとフランソワと六つ子達を連れて到着し、次にセナイとアイハンとエイマが到着し……続いてエリー、セキ、サク、アオイが到着して馬車に乗り込み、出立の準備が完了となった。


 するとマヤ婆さんたちや犬人族の各氏族達、サーヒィ達にナルバント達も顔を見せてくれて、楽しんでおいでとか、後のことはお任せくださいとか、お土産を期待しているとか……酒を多めに買ってきてくれとか、そんなことを言ってくる。


 それに少し遅れてヒューバートと伯父さんと他のメーア達もやってきてくれて……伯父さんは懐に忍ばせた例の短剣を見せてきながら、何かがあってもこれがあるから大丈夫だと言わんばかりのニヤリとした小さな笑みを見せてくる。


 私が不在の間は伯父さんが領主代理で、ヒューバートがその補佐にあたる訳だが……うん、あの様子ならば心配する必要は無さそうだ。


 ……というか伯父さんであれば私よりも何倍も上手く領主の仕事をこなしてくれるかもしれないな。


 なんてことを考えていると、見送りに来てくれた皆が笑顔で「いってらしゃい」「ご無事で」「楽しんでこい」と見送りの言葉を口にし始めて、私達を送り出そうとしてくれる。


 それを受けて私は皆に一言、


「それじゃぁ行ってくるよ!」


 と、そう言って馬車に乗り込み、御者台に座り手綱を握り……カマロッツ達の馬車と共に東へ、エルダンの下へと向かうのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る