第199話 昔話を終えて



――――吹雪の日のユルトで ディアス



「―――とまぁ、そんなことがあった訳だ」


 そう言って私が懐かしい話を終えると、床に転がりながら話を聞いていたセナイとアイハンと、その側で長い耳を揺らしながら話を聞いていたエイマが、手で口元を隠しながらくすくすと笑い始める。


 笑って小声で何かを話し合ってから……首を傾げる私に、エイマがそんな三人を代表して言葉を投げかけてくる。


「多分ですけれど、今のお話に出てきた低地が、噂の『黄金低地』なんだと思いますよ。

 ディアスさん達が耕した畑に麦が植えられて、その穂がたっぷりと実って揺れる様が黄金のように輝いて見えたんでしょうね。

 昔から川を氾濫させて土を豊かにする手法は知られていますが、まさかそれを水計でやっちゃうなんて横着と言いますか、何と言いますか……。

 まぁ、ディアスさん達は狙ってそうした訳ではないようですし、運が良かったってことなんですかね?

 そしてきっとそこで採れた麦が、その後のディアスさん達のお食事を支えてくれたんでしょうね」


 すると腕を組みながらふんふんと話を聞いていたアルナーが「なるほど」と大きく頷き、会話に入り込んでくる。


「麦がそれ程までに実る光景というのは見たことがないのでよく分からないが、草原で言う所の春の若草みたいなものなのだろうな。

 青く柔らかく、メーア達が喜んで食べる若草は、メーア達にとっても私達にとっても黄金よりも大切な生活の要だ。

 それが荒野だった場所一面に広がったなら、黄金にたとえたくなるのも分かる気がするな」


「ですです。

 麦は頑張れば年二回収穫出来ますからねー……その分だけ手間もかかるし、大地に栄養をどうにかして送り込んであげなければならない訳ですが、それもきっと集落の方々が上手くやったんでしょうね。

 ディアスさん達の作業を手伝って、ジュウハさん達の作業を手伝って……そこから技術と知識を学んで経験して、土木工事の達人になっちゃってたりして」


「なるほど……そういうこともあるのか。

 確かに弓も馬も、達者な者の側にいたほうが上達が早いものだからな」


 エイマとアルナーがそんな会話をして……くすくすと笑い続けていたセナイとアイハンも声を上げ始めて、皆の話が盛り上がり始めたところで……強い風が外で吹き、その寒さが僅かな隙間からユルトの中に入り込んでくる。


 するとセナイとアイハンはアルナーの元に駆け寄り、アルナーは大きなメーア布でセナイとアイハンと、その手の中に潜り込んでいたエイマのことを包み込んで……ついでとばかりに私の側へとやってきて、皆で一塊となって暖を取る。


「はやく暖かくならないかなー」

「はるはまだかなー」


 一塊となり、メーア布の中でもぞもぞと蠢きながらセナイとアイハンがそう言うと……アルナーがユルトの天井を見上げながら言葉を返す。


「恐らくこれはこの冬最後の吹雪だろう。

 冬がこの地を去るのを惜しんで、春にこの地を明け渡すのが嫌で暴れているんだ。

 この吹雪を乗り越えさえすれば春はもうすぐそこ……春になって草が生え始めたら、新たな一年の始まり、家畜の世話やユルトの建て替え、服も寝具も全部洗濯する必要があるし、薬草集めをする必要もあるし……増えすぎた黒ギーも狩らなければいけないしで、一気に忙しくなって、寝る暇も無くなってしまうかもしれないな」


 するとセナイとアイハンは、メーア布からひょこりと顔を出し、アルナーを真似して天井を見上げながら……それでも春が来て欲しいのだろう、


「はーる、はーる、早く来てー」

「はるがきてくれたらー、はたけのおせわと、もりのおせわを、がんばるのにー」


 と、そんな即興の歌を、ユルトの天井に……雲深く荒れ続ける空に向かって歌い始めるのだった。


 


 ――――ある日の昼下がり、一面に広がる麦畑を眺めながら ゴードン


 

 冬に降った雪が溶け始めて、雪の下で冬の寒さを耐えきった麦が少しずつ伸び始めて。

 かつての敵地でもあったそこは、今は黄金低地と呼ばれる王国一の穀倉地帯だ。


 北を見ても南を見ても、東を見ても西を見ても麦畑しか視界に入らず……収穫期になれば黄金色に輝く麦穂が風に揺れることになるこの場所で懸命に働く人々の姿を眺めながら、騎士となったゴードンは緊張した面持ちで目の前の女性の話に耳を傾けていた。


 騎士らしい、それなりに上等でそれなりに見栄えの良いサーコートを身に纏うゴードンの側には、老齢の紳士と呼ぶに相応しい面持ちの……長い白髪をしっかりと首後ろで縛り、長い髭を油でしっかりと固めて、白いシャツと黒いズボンというなんともシンプルな格好のサーシュス公……この辺りを治める公爵の姿があり、老齢とは思えない真っ直ぐな姿勢をした公爵もまた女性の話に耳を傾けている。


「―――わたくし、内政が好きなの。

 だって内政ってとっても素敵なのよ。

 やればやるほど民が豊かになって、国が豊かになって……皆が幸せになれるんですもの。

 そんな内政を嫌う人なんて居る訳無いとわたくしは思うの、立場ある者なら誰しも生まれてから死ぬその時まで内政だけをやっていたいって、そう思うに違いないわ。

 ……でも国ってそれだけでは、内政をしているだけでは駄目なんだから嫌になっちゃうわ。

 豊かになればそれを狙う者が出てくる、その豊かさを力で奪おうとする者が出てくる……だから王は、国の主は強くなければならないの。

 豊かな民と国全てを守れるくらいに」


 そんなことを言う女性は、王族とは思えないなんとも粗雑な服を身につけていた。

 体に布を巻きつけて下着として、それをゆったりとした無地のシャツで覆って……その脚はゆったりとしたズボンと長いブーツに包まれている。


 そしてそれらの服はつい先程まで畑仕事をしていたかのように土に汚れていて……実際にその女性は、第一王子リチャードの妹である、第一王女イザベルはつい先程まで近くの街に住まう人々の中に入り込んでの畑仕事をしていたのだった。


「……リチャードお兄様は悪い人ではないけれど、強い王としては今ひとつ……いえ、ふたつ……結構な数、足りなかったの。

 だからわたくしは王座を狙う者として……お兄様の前に立ちふさがる者として立つことにしたの。

 すんなりと何事もなく王になったりしたら、お父様のように甘えた情けない王になっちゃうかもしれないでしょ?

 それなりの敵がいてそれなりの試練があって……それなりに苦労してこそ強い王になれると思ったのよ。

 正直わたくしは強い王になってくれるのであればお兄様でなくても、何処の馬の骨とも知れないよそ者が王になっても良かったのだけれど、それで国内が荒れてしまっては元も子もないから……そういう訳でわたくしと同じ思いを抱くサーシュスと共に行動してきたのよ」


 両手を腰にあてて大きく股を開いて、ゴードン達の方に背を向け畑の方へと視線を向けて、畑の側道に堂々と立つイザベルは……適当に縛り、頭の上で固めた長い銀髪についた雑草の破片をそのままに言葉を続けてくる。


「結果としてお兄様はそれなりの候補になってくれたみたいね。

 ……でもまだ駄目、まだ強い王とは言えない。わたくしのこの畑を守ってくれる強い王とはとても思えない。

 ……だからわたくし、もう少しだけお兄様の邪魔をしてみようと思うの。

 幸いなことにわたくしは女だから、誰かと結婚してその誰かを次の王の候補として……お兄様の敵対者として立てるという強引な手が打てるわ。

 ……さて、誰が良いかしら? やはり戦場で鍛えられた男が良いかしら、それとも父親を殺してでも領主になろうとする男が良いかしら?

 サーシュス、ゴードン……どう思う?」


 そう言ってイザベルは振り返って真っ直ぐな瞳をまずサーシュス公に、そして次にゴードンへと向けてくる。


 すると静かに目を伏せたサーシュス公が……少しの間を置いてから声を上げる。


「……イザベル様の夫を選ぶ以上は、やはりイザベル様の想いと、その男が王に相応しいかどうかが肝要かと思います。

 どういった男をお好みになり、ご所望になられるかを申し付けてくだされば、こちらで能力のある、王になれるだろう男を何人か選び出し―――」


 するとイザベルはその言葉の途中で力いっぱいに顔を左右に振って、語気を強めながら言葉を返す。


「そんなことはどうでも良いの。

 大事なのはお兄様の前に立ちふさがってくれる男なのか、お兄様を強い王にしてくれる男なのかってことよ。

 もしお兄様に何かがあった場合は……失脚した場合はお兄様に代わる王に相応しい男を探すことになるだろうけど、その時のことはその時に考えれば良い話。

 今は最有力の候補であるお兄様を強い王にするために必要な駒が手に入りさえすればそれで良いの。

 わたくしの想いとか、好みとか、そんなどうでも良いことにかかずらうのはよして頂戴。

 ……その男が必要なくなったらどうするか? そんなのは離縁をしたら良いだけの話でしょ」


 その声には力があり……覇気があり、リチャードとはまた違う強さがあり、ゴードンは思わず生唾を飲み込む。


 以前の騒動の中でイザベルの妹であるディアーネのことを近くで見ていたゴードンだったが……ディアーネの姉とはとても思えない程にイザベルは強かで、その瞳には何事があっても揺れないだろう確かな意思が宿っていた。


「……先程イザベル様が上げられた候補達を含めての熟考をし、相応しい候補を選び出しますので、少しだけお時間をいただければと思います」


 そうサーシュスが返し……イザベルの迫力に負けたのか冷や汗を流しながら沈黙するゴードンを見たイザベルは、少しだけ不満そうにしながらこくりと頷き……振り返って麦畑へと視線を戻す。


「それにしても実地で学んでみるというのは、本当に素晴らしいわね。

 今日一日頑張ったおかげで、この土地の豊かさの理由をなんとなく理解することが出来たわ。

 ……おそらくは北から流れてきている、あの何本かの小川が豊かさの理由ね。

 水だけでなく土とか色々なものを運んできていて……定期的にそれらを畑に撒いているから土地が痩せないのよ。

 家畜の糞だけではなくて更にもう一手加えて、それが結果に繋がっている……うん、本当に見事だわ。

 あの街の農夫達はそこら辺のことをディアス達に習ったとか言っていたわね……。

 敵地を奪って略奪せず、開墾を手伝って知識と技術を与えて……結果があの街って訳ね。

 昔はしょぼくれた集落だったそうだけど、それがたったの数年であれだけの街になってしまうのだから……本当に内政っていうのは素晴らしいわね。

 ……そしてそのことを実地で学んで理解しているだろうディアス……さすが救国の英雄は伊達ではないわね」


 それはあくまでイザベルの独り言で……返事を求めての言葉ではなかった。


 ゆえに戦時においてディアスのことをそれなりに知っていたサーシュスもゴードンもあえて口を挟みはしなかった。


 ディアスがどういう男なのか問われていたなら二人共すぐに答えたのだが……そんな第一王女イザベルがディアスの正確な人となりを知ることになるのは、まだまだ先のことである。


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