第198話 過日、黄金低地に至るまで その7



 ――――陣地にて大槍を構えながら ディアス



 馬達が嘶き、激しい馬蹄の音が鳴り響き、凄まじい勢いでもってこちらへと突撃してくる……が、ぬかるみに到達するや否や馬達の足がぬかるみへと深く沈み、その勢いが足を進める度に奪われていく。


 馬の体重はとても重く、更にその上に人が乗っていて、挙げ句の果てに馬も人も重装備をしていて……どうにかこうにかぬかるみの上を歩けていた歩兵とは比べ物にならない重さを支える馬の足は、ぬかるみの奥深くまで沈み込んでいるようだ。


 そうやって勢いを失いながらも、ぬかるみの中でもがきながらも騎兵達はこちらにじわじわと近づいてきていて……その凄まじい光景を前にした私は改めて馬の力強さを思い知る。


「今だ、突けー!!」


 そんな騎兵達が陣地の前までやってきた所で私がそう声を上げると、クラウスやジョー、ロルカやリヤンが復唱をし、味方全員にその指示が行き渡り、陣地の柵の隙間から何百本もの大槍が突き出される。


 簡単な作りのこの大槍ではその重装備を貫くことは難しいかもしれないが、それでも関節部の隙間を狙うことは出来る、あるいは馬上から突き落とすことは出来る。


「何度も何度も突きまくれー!!!」


 そう声を上げて、何度も何度も大槍を突き出して……その直撃を受けた騎兵達は次々に落馬し、ぬかるみの上へと倒れ伏す。


 落馬の衝撃とその装備の重さとぬかるみの深さと、それと戦場という状況とで、すぐに立ち直ることは不可能で、馬に乗り直すことなど尚のこと不可能で、落馬した時点でそいつは戦闘不能とみなし、次の騎兵へと槍を突き出す。


「帝国騎兵を舐めるなぁー!!」


 そんな中で、何騎かの騎兵達がぬかるみを脱し、高台を無理矢理に駆け上がり、柵に取り付き、そんな声を上げながら手にした突撃槍や直剣を振るってきて……馬達までがその前足でもって私達の陣地を踏み壊そうとしてくる。


 馬上という高所からの攻撃と、馬達の圧倒的なまでの破壊力は凄まじいもので……もしそれに突撃力が乗っていたら、私達はあっさりと負けてしまっていただろう。


 こんな柵など簡単に壊せただろうし、石壁も簡単に飛び越えられただろうし、そんなのが数千という数で襲ってきたなら……こんな陣地など、私達など一溜まりも無かったに違いない。


「怯むなー!! 柵に取り付いた奴らに狙いを集中させるんだー!!」


 敵味方の怒号が響き渡る中でクラウスがそう声を上げて……騎兵の凄まじさに怯んで数歩下がってしまっていた皆が、どうにかその場で踏みとどまり、手にしている大槍を突き出す。


 そうやって騎兵達をどんどんと落馬させていって……そうすることでどうにか陣地を維持していると、騎兵達の背後から一度下がった歩兵達が突撃を仕掛けてくる。


 その後方には馬に乗ったトゲ鎧のあの男もいて……指揮官含めての全軍突撃を仕掛けてきたようだ。


 そうして歩兵が騎兵に合流し、敵軍の放つ圧力が圧倒的となり……陣地が壊され始めて、これはもう陣地を捨てて逃げるか、打って出るしか無さそうだと、私が側に突き立てておいた戦斧へと手を伸ばすと……そこで戦場に一つの異変が起こる。


「……なんだ!? どうしたんだ!?」


 それは敵騎兵の一人が上げた声だった。

 そんな声を上げた理由は彼が騎乗している馬にあり……先程まで鼻息荒く、私達を踏み荒らそうとしていたその馬は、耳をピンと立ててあらぬ方向……北の方へと視線をやっている。


 そしてそれは他の馬達にまで伝播していって……敵の馬全てが北を見やり、耳をぴくりぴくりと動かし……そうして突然前足を大きく振り上げ、凄まじい悲鳴のようないななきを上げたかと思ったら、前足を振り上げた勢いのまま踵を返し、手綱の指示を無視し、酷い場合には騎手を振り下ろしてまで、この場から逃げ出し始める。


「な、なんだ、何事だと言うのだ!? 何故ここにきて敵前逃亡などと!?」


 トゲ鎧の男がそんな声を張り上げる中、なんとなしにジュウハが何かやらかしたのだろうと察していた私達は、構わずに大槍を突き出し、攻撃を繰り返す。


 私達が落馬させたのと馬が騎手を振り落としたので、敵騎兵の大体8割程が空馬となって逃げ出し、残りは騎手を乗せたまま逃げている。

  

 そうして陣地の前には歩兵と、愛馬から振り下ろされてしまったらしいトゲ鎧と、落馬した者達が残っていて……どういう理由で馬達が逃げたのかは分からないが、とにかく攻め時らしいなと私が戦斧へと手をやり、引き抜いた所で……北の方から「カァン」と鐘の音が一度だけ響いてくる。


「まさか……今のは戦鐘か?

 一度だけは……待機命令、だよな?」


 戦斧を引き抜き、構えながら私がそう言うと……私と同じ考えで追撃を仕掛けようとしていたクラウス達は追撃の構えを解いて、これから起こるだろう何かに対して備え始める。


 私もなんとなく嫌な予感がしてしまって、数歩下がって柵から距離を取って……戦斧を盾のようにして前に構えていると……地響きのような音が北から響いてくる。


 先程の馬達の蹄の音にも劣らない轟音。

 大きな地震でも起きたのかと思う程の音の後にやってきたのは……濁流だった。


 泥や石を飲み込みながら、うねりながら北から迫ってきて……陣地の前で呆然としていた敵軍をあっという間に飲み込んでいく。


 勢いは凄まじいが水量はそれ程ではなく、最初は敵兵の足首程度の深さだったのだが……段々と深さが増していって、それが膝上まで到達すると、武器を地面に突き立てどうにか耐えていた敵兵達も耐えられなくなってしまい……濁流に飲み込まれ流されていく。


 落馬した騎兵も、歩兵も、トゲ鎧の男も。


 その場に居た全員が流されていって……私がその光景を呆然と眺めていると、誰かがぽつりと言葉を漏らす。


「ジュウハの野郎、やりやがったなぁ……」


 そうしてこの戦いは、北にあったいくつかの湖を破壊するというとんでもないことをやってくれたジュウハの策……というかとんでもない破壊行為によって決着となったのだった。




 敵兵は壊滅、水に流されてもどうにか生きていた者達は私達が救助をした上で捕獲し、捕虜となった。

 亡くなった者は流された先……南方にあった岩場で葬ることになり、結構な数の墓が出来上がった。


 混乱の中で望まぬ逃亡をすることになった騎兵達は、一部はそのまま何処かへと逃げていって、一部は砦へとどうにか逃げ帰り……一部はジュウハが仕掛けていた罠で捕獲されたそうだ。

 空馬となって逃げた馬もそのほとんどが事前に準備をしていたジュウハによって捕獲され……そして東の大砦は、ジュウハによる開城交渉という名の脅しによって、あっさりと陥落した。


 軍馬や装備のほぼ全てをこちらが確保した、多くの捕虜も確保していて……そちらに勝ち目は無い。

 大人しく砦を明け渡すなら、捕虜全てを引き渡してやるといった感じの内容で……僅かな居残り兵と僅かに逃げ帰った騎兵しかいない砦側としては、その条件を飲むしか無かったのだろう。


 そうして敵兵達は捕虜と、いくらかの食料と共に砦を去っていって……私達はその大砦と辺り一帯の支配権を得ることになったのだった。



 

 大砦を確保してから数日が過ぎて……もう必要ないだろうと皆による陣地の解体が始まり、その様子を見守っていると……その割れた顎を撫で回しながら、ホクホク顔となったジュウハが私の下へとやってくる。


「砦の中にはたんまりと食料が残されていて、装備もこれでもかとあって、金貨銀貨もたっぷりとあって……それでいてこちらにはほとんど被害無し。

 ああ、まったく、オレ様の才の冴え渡ること神の如し、自分のことながらうっとりとしちまうなぁ。

 ……そういう訳で、ディアス、オレ達は当分……数ヶ月はここで待機するぞ」


 その言葉を受けて私は、首を傾げながら言葉を返す。


「十分な食料と装備と金があるのに留まるのか? この勢いのまま進軍するのではなく?」


「ああ、俺達は快勝続きだが、他の軍はそうじゃねぇからなぁ。

 しばらくはここで待機して他の軍と足並みを揃えねぇとな……オレ達だけが突出しちまうと、他の軍を巻き込んでの目も当てられねぇことになりかねん。

 十分な食料と金があるからこそ、ここらの食料を食い尽くす心配もねぇし……この戦はまだまだ続くだろうからな、たまたま降って湧いた休暇だと思ってしばらくはゆっくりとするとしよう」


「そうか……数ヶ月か。

 ならその間に、お前がめちゃくちゃにしたらしい北の湖をなんとかしないとなぁ」


 頭を掻きながら私がそう返すと、途端にジュウハは不機嫌な顔となって、その顎をぐいと突き出しながら言葉を返してくる。


「このオレ様をなめんじゃねぇよ。

 治水は内政の基本、国家運営の根底と言える部分だ、このオレ様が疎かにする訳ねぇだろうが。

 今回の水計は後始末も再建もしっかり考慮した上での一手だ、お前がしゃしゃりでる必要なんてありゃしねぇよ」


「そうか……そうなるとその数ヶ月間が暇になってしまうな」


「暇になんかなるもんかよ!

 休暇でも相応に訓練はするし、敵の動きは警戒する必要はあるし……それに金は十分にあるんだ、商人連中に踊り子や詩人を連れてこさせて、飲んで踊って歌っての大騒ぎをしねぇとならねぇ。

 ……そういった遊びがあってこその人生だ、まさか反対はしねぇよなぁ?」


「まぁ……反対してもジュウハは勝手にやるんだろうしな、好きにしたら良い。

 しかしそれでも数ヶ月……数ヶ月か。

 んー……人生、人生なぁ……暇な時間を使って、ここら一帯を耕してみるかなぁ」


 私がただの思いつきでそう言うと……ジュウハは目を丸くしながら言葉を返してくる。


「……一体全体何がどうなって、そんな結論になったんだ?」


「いや? ただこう、そこら中が水浸しでぬかるんでいて掘り返しやすそうだなーって思っただけなんだが……。

 人生には確かに遊びも大事だが、日常を取り戻すのも大事なことだと思うし……土を耕し畑を作るという当たり前の、戦争が始まる前に皆がやっていたことをしていれば、皆の心も休まるかなーと……」


 私がそう言うとジュウハは、なんとも言えない苦い顔をしながらぶつぶつと何かを呟く。


「石やゴミやらと一緒にあの辺りの養分が流れ込んだだろうし、大量の男手でもって一息に耕せば……まぁ、良い結果にはなるんだろうが、よくもまぁそれを思いつきで……」


 呟き終えるなり初めて見る類の目で私を見やったジュウハは、少しの間私のことをじぃっと見やってから、頭を振って大きな口を開けて……なんとも投げやりな大声を上げてくる。


「あーあーあー、好きにしろ、好きにしろ!

 鍬を振ってりゃ体力も筋力も落ちねぇだろうし、訓練代わりにこの辺り全部耕しちまえば良い!

 ただし、種まきだの収穫だのまでは出来ねぇからな! 一帯を綺麗に片付けて耕して……後のことはあの集落の連中に任せることになるぞ!」


 そう言ってジュウハは砦へと帰って言って……私は陣地の解体をしていた皆へと、今の話を……数ヶ月待機すること、その間が休暇に……踊り子や詩人を呼んで遊んだり、土を耕したりして過ごす休暇になることを伝えた。


 すると皆は満面の笑みとなって、解体途中の資材を放り投げてしまっての、大歓声を上げる。


 休暇が嬉しいのか、遊べることが嬉しいのか、日常へと戻れることが嬉しいのかはそれぞれ違うのだろうが、笑みを浮かべていないものは一人も居らず、皆が皆歓声を上げていて……そうして味方の軍と足並みが揃うまでの五ヶ月間を……あの低地での休暇を私達は、思う存分に堪能するのだった。

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