第197話 過日、黄金低地に至るまで その6
――――暗闇の中で ジュウハ
ある夜のこと、ある場所で二人の男の声が響いていた。
その一人はジュウハで、もう一人は帝国兵に支給される鎧を身につけた男で……鎧の男はジュウハに何かを報告しているようだ。
「―――――――」
「へぇ、なるほどなぁ……。
そこまで都合良く事が運んでくれるってのは全く予想外だったな。その上まさかのまさかの殺し合いが起きて、よりにもよってな奴が生き残るとはなぁ……。
おかげで楽は出来そうだが全く……どうしてこう世の中ってのは読み通りにならねぇのかねぇ?」
「―――――――」
「……いや、これ以上は逃げ時を失いかねん。
逃げて何処かに潜んで……ことが終わった頃に顔を出せばその後のことはオレが世話をしてやるよ。
十分な仕事をしてくれたからな金でも家でも畑でも、望むものを用意してやるさ」
「―――――――」
「……無謀な馬鹿の無謀な命令で命を落とすなんてのはお前もごめんだろう。
戦場で顔を合わせたなら容赦はできねぇしな……このまま逃げるか、一旦砦に戻って準備をしてから逃げるかはお前の好きだが……手遅れにならないようにな」
黒いマントに身を包んだジュウハがそう言うと、ジュウハと会話をしていた男はどうしたものかと逡巡しながら息を呑む。
まさか事態がそこまで迫っているとは、命を失うかどうかの決断をここで迫られるとは思ってもいなかったのだろう。
悩みに悩んで、ジュウハと後方に見える砦を交互に何度も見やって、そうすることでどうにか決断することが出来た男は、つい先程まで自らの住居であり仕事場であった砦に背を向けて駆け出し……暗闇の中へと姿を消す。
そんな男の後ろ姿を見送ったジュウハは満足そうに頷き、小さな笑みを見せてから……いくつもの篝火をかかげ、その大きさと頑強さを周囲に見せつけている大砦を見やる。
篝火の数は多くとも見張りの数は少なく……その中からは戦の前祝いとばかりに宴でもしているのか、なんとも騒がしく楽しげな声が響いてきていて……そんな大砦をしばしの間見つめていたジュウハは、やれやれと頭を振ってから小さなため息を吐き出し、その場を後にするのだった。
――――ある日の昼過ぎ、完成した陣地で ディアス
一週間が経ち、ジュウハが仕上げろといっていた一ヶ月となって……陣地はなんとか、それなりの形になっていた。
敵の砦から拝借した石材を積み上げて、その上に木材を組み上げて壁とし……槍を突き出すための穴というか隙間もしっかりと作り、いくつかの櫓も組み立てた。
城壁……とまでは言えないが、その一歩手前というか、数歩手前の強度は確保出来ていて……恐らくは騎兵が相手でもなんとか持ちこたえてくれることだろう。
正面でのぶつかり合いを避けて回り込まれた時のことを考慮して、陣地全体を囲うように壁を作っておいたが……石材を使っていたり櫓が立っていたりするのは陣地正面のみとなっていて、その他の部分の強度は心もとないものとなっている。
そもそもとして陣地を迂回し、背後にある集落に襲いかかられたりしたら、助けに行く必要があり、その時点で陣地の意味がなくなってしまうのだが……それでもまぁ念の為というやつだ。
……今朝方届いたジュウハからの連絡によると、敵の重装騎兵は既に大砦に入っているらしく……何日か休んで遠征の疲れを癒やしたなら、こちらに襲いかかってくるだろうとのことだ。
ジュウハの調べによると、騎兵の数は約1400騎、それと大砦の中には歩兵が800程いるそうで……私達は800でそれを迎え撃つことになっている。
そう、800だ。
ジュウハが連れていった400人は未だに何かの仕事をしているらしく、未だに帰還してきていない。
集落の若者達が手伝ってくれているとはいえ……彼らを戦力として数える訳にはいかず、800が私達の全戦力となる。
たったの800でそれだけの数の相手を出来るのかという不安もあったが……ジュウハが色々と動いてくれているようだし、陣地もしっかりと作り上げたし……後はもう皆の力を信じてやるだけやるしかないという気持ちもあり……クラウスを始めとした皆も同じ想いなのか、誰もが明るい表情をしていて意欲に溢れていて……陣地の中は戦争中とは思えない程の活気に満ちていた。
商人達が気を利かせてたくさんの季節の果物や、質のいい小麦粉を仕入れてくれたのも良かったのだろう、士気の面での不安は一切無さそうだ―――と、そんなことを考えていると、櫓の上で見張りをしてくれていた者達から大きな声が上がる。
「敵襲ー! 敵襲ー!」
「歩兵が前、後ろに騎兵! 数は多いです!」
「恐らくはジュウハさんが知らせてくれた戦力全部です!」
その声を受けて私達はすぐさまに行動を開始する。
鎧を身につけていなかったものは鎧を身につけ、集落の者達や商人達を避難させ、武器を腰に下げ背中に背負い、この日のためにと作っておいた大槍を両手で構え。
そうやって準備を整えたなら、縦長の陣地に合わせて大きく……一列になって広がり、いつ騎兵の突撃が来てもいいように、大槍をしっかりと構える。
「……え!? ほ、歩兵です、まず歩兵が前にでてきました!」
「騎兵は歩兵の後ろをゆっくり歩いていて……あ、待機するつもりなのか動きを止めました!」
「あ……! あの派手な鎧! 以前ディアスさんとやりあった、あの変な野郎の姿が見えます!
ほら、トゲトゲの、変な鎧の!!」
私達が構えていると、櫓から更にそんな声が上がってきて……私はそれらの声に負けないように、大きな声を張り上げる。
「相手が歩兵だろうが、騎兵だろうがやることは変わらない! この陣地を活かしてこの大槍でもって敵を貫くのみだ!
怯まず恐れず、とにかく突いて突いて突きまくれ!
敵が何か仕掛けてきたとしても動揺するな! その時はジュウハ達がなんとかしてくれるはずだ!!」
陣地は広く、いくら声を張り上げたとしても、その隅々まで届かせることは出来ない。
だがそれでも皆が……仲間達が懸命に私の言葉を口にし、繰り返し、皆に伝えてくれて……それに応える雄叫びがあちこちから響いてくる。
そうして意を決した私達は……迫ってくる敵兵に向けて大槍を突き出すのだった。
――――帝国軍中央 猛将を自称する男
「歩兵だ! まずは歩兵だ!
誉れある帝国の戦いとは様式美に則ったものでなくてはいかん!! まずは歩兵でぶつかり合い、その後に疲弊した敵兵を常勝の騎兵でもって叩き潰す!!
これ以外に道はない! 細かいことは良いからとにかく歩兵を前進させろぉ!!」
馬上にてそう叫んだ男は手にした剣を力任せに振り回す。
「策がどうのだの、被害を少なくだの、そんなことを考えるから奴らのように気を病んで頭がおかしくなるのだ!
力強く雄々しく帝国の威を示せばそれで良い! それで叛徒も忌敵も膝を屈するだろう!!
あんなにわか作りの陣地が何だというのだ! 正々堂々と正面からぶつかれぇ! ぶつかって叩き潰せぇ!! それでこそ帝国の兵として誇れるというものだぁ!!」
そうすることが……そう出来ることが余程に嬉しいのだろう、男の勢いは留まることを知らない。
陛下から大砦を預かった身でありながら、何を思ったかいきなり斬りかかってきた馬鹿者を斬り捨てて……丁度良いからと智将を名乗る野郎も斬り捨てて、今やこの場を仕切れる身分にあるのは自らのみ。
誰も自らの邪魔をしない、誰も自らの言葉に逆らわない。
その上、敵を砕く機会に恵まれて……それを成せば大きな手柄を得ることができる……!
あの馬鹿者共を殺した騒動のせいで、何人かの脱走兵が出てしまったが……それでも数はこちらが上で、平地での戦いであれば数が多い方が勝つのが道理、歩兵だけの軍が騎兵に勝てないのもまた道理で……こちらの勝利は戦いが始まる前から決している。
今までは運が悪く巡りが悪く苦渋を舐めてきたが……これからは違う、これからは我が世の春が始まるのだと、男はひたすらに声を張り上げ続け、手にした剣を振り回し続ける。
前進した歩兵が敵の陣地へと到着し、戦の音が響いてきて……雄叫びや悲鳴や、何かも分からぬ声が響いてきて……そんな中で存分なまでに声を張り上げ続け、剣を振り回し続け、心地よい疲労感を味わった男が、これが戦かと恍惚としていると……前線から駆け戻ってきたらしい兵達が報告の声を上げる。
「て、敵の士気高く、攻勢激しく、未だ陣地を突破できません!」
「一帯がぬかるんでいるとの報告があり、重装騎兵長から騎兵運用は避けるべしとの意見が届きました!」
「敵は大槍をいくつも用意しているようで、こちらの決め手が騎兵であることを見抜いている様子です!」
それらの報告を受けてピタリと動きを止めた男は……報告をしてきた兵達のことをジロリと睨む。
皇帝陛下と法がその地位に定めた将軍であり……ある日突然、同格の将軍二人を殺した男であり……自分達の命運を握っている指揮官でもあり。
そんな男に命を預けることに……劣勢の報告をすることに不安を感じる兵達が身を竦ませ、怯えきっていると……男は笑みを浮かべて、一言、
「報告、ご苦労!!」
との、労いの言葉を口にする。
その意外な言葉を受けて安堵した兵達がホッと息を吐いていると……男は大きく息を吸い、がっしりと拳を握り、握った拳をガシリとぶつけ合わせてから両手を大きく振り上げて、周囲一帯に響き渡る程の大声を上げる。
「歩兵を下げろぉぉ! 歩兵が下がったなら騎兵を前に出せぇぇ!!
騎兵の突撃が決まったら、下がった歩兵と共に俺達も突撃だぁぁ!
一帯がぬかるんでいようが、騎兵対策がされていようが、それでも騎兵が勝つのが戦場の道理よ!
これまで何十……いや、何百年もの間、帝国はそうやって戦に勝利してきたのだ!!
たとえ勢いが乗らなくとも駆けることが出来なくとも、騎兵の頑強さは、その馬足による踏み荒らしは、馬上からの槍刺突は、歩兵を粉々に砕くが道理!!
道理を無視して戦いを避けようとする臆病者は、陛下の意に逆らう反逆の徒として、その一族郎党に至るまで罰せられると知れぇ!!!」
その声を受けて、報告に来ていた兵達と、周囲にいた兵達は慌ただしく動き始める。
男のこれまでのやり方には、他の将を殺してしまったということには思う所があったが、その言葉は紛れもない真実であり……それこそが帝国の戦争の歴史であり、数で勝り、騎兵まで有する自分達が練度も士気も低いらしい敵兵に負けるとはとても思えない。
であれば男に従うべきだろうと……兵達も、重装騎兵長も……歴戦の重装騎士達も戦いのための動きを見せ始める。
そうして夕日が沈み始めた頃……ぬかるんだ荒野の戦場に、無数の馬達のいななきと馬蹄音が響き渡るのだった。
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