第193話 過日、黄金低地に至るまで その2


 

 ――――集落の長



 それは半ば自棄になっての決断だった。

 帝国からの扱いは年々悪くなっていき、ついには収穫したものを全て明け渡せと言われて……そこまでされるのならばもう殺されてしまったほうがマシで……。


 飢えて死ぬか、逃散して死ぬか、それとも自ら喉を裂いて死ぬか……。

 あるいは敵を……敵国の兵士を招き入れた上で戦って死ぬか……。


 それらの選択肢の中で、帝国が最も一番嫌がるのは最後の選択肢だろうと考えて、そうして長は敵国の兵士を……ディアス達を招き入れたのだった。


 そんなことをしてしまえば、兵士達に略奪をされるかもしれないし、乱暴狼藉をされるかもしれないが……それでもこのまま何もしないよりはマシだろうと判断した長は、ディアス達に全身全霊ですがり、おだて、びることでどうにかその庇護を得ようとしていた訳だが……その悲壮なまでの決意は全くの空振りに終わることになる。


 ディアス達が集落にやってきて今日で三日。

 その間彼らは一切の略奪をせず、狼藉を働かず……宴で良い思いをさせてくれたからと、畑仕事や力仕事を手伝ってくれているような有様で……規律正しく折り目正しく、何の対価も要求することなく集落の者達を庇護してくれていたのだ。


 彼らからすると宴でもって歓迎してくれたことがその対価であるとのことなのだが……こんな貧しい集落の、たった一夜の宴にそこまでの価値があるはずがなく、長は一体何が目的なのかと混乱し、大きな不安を抱くことになる。


 不安のあまりに兵士達にどうしてそこまでしてくれるのかと訪ねたことがあったが……帰ってきた答えは誰に聞いても大体が同じような内容だった。


『そうしないとディアスさんに怒られるからなぁ』

『あの人、怒ると怖いんですよ、いや、本当に』

『……変なことしちまって踏み砕かれるのはごめんだ』


 そんなことを言った後にどの兵士達も、怒った時のディアスの顔を思い出しでもしたのか顔色を悪くし、身震いをし……そうしてから背筋を正し『でもそんなディアスさんだからこそ付いていきたくなるんだよ』と、口々にそんなことを言って、それぞれに与えられた仕事へと戻っていく。


 そうは言っても1200人もの大所帯……多少はこの集落から食料を得ないと食っていけないだろうと、多少の息抜きだってする必要があるはずだと長は考えていたのだが、それでも兵士達は集落のあらゆるものに手を出すことはなく……そうしてその日の昼過ぎ、その疑問の答えがディアス達の後を追いかけるかのように西の向こうからやってきた。


 それはかなりの規模の、数十台の馬車からなる隊商だった。

 1200人の客がそこにいる前提での量となっているようで、山のような食料と衣服と、日用品などを積み込んでおり……楽団や踊り子の姿もあるようだ。


 そして兵士達はその隊商の姿を見るなり、喜び勇んでそちらへと駆け寄っていって……今までの戦いで得たものなのだろう、いくらかの硬貨や戦利品との交換でそれらの品々を買いあさり始める。


 戦争の中で、兵士相手に商売をする隊商が存在しているという話は長も聞き及んでいたが……それがまさかこれ程までの大規模のものだったとは思いもよらなかった。


 そんな驚きを懐きながら、長が呆然とその光景を見やっていると……隊商の隊長らしき、立派な髭と立派な腹を揺らす商人がもとへとやってくる。


「やぁ、どうもどうも、この集落の長は……アナタですか?」


 長の風貌を見てそう判断したのだろう、商人がそう言ってきて……長は呆然としたままこくりと頷く。


「おお、やはり、そうでしたか。

 ……突然ですが、集落のどこかに空き家とか、空き倉庫などはありませんか?

 あるならディアスさんがこちらに滞在する間、お借りしたいと思うのですが……」


「そ、それなら集落の外れのほうにいくらかありますが……。

 ……も、もしかしてですが、その、あなた方もこの集落に滞在されるのですか?」


 商人の言葉に長がそう返すと、商人はいやいやと顔を振りながら笑って、機嫌が良いのか弾んだ声を返してくる。


「いえいえ、私共は見ての通りの隊商ですから、商品を吐き出し次第……明日の朝にでも発つ予定です。

 ですがこちらにディアスさん達が滞在なされるのであれば、またすぐにでも次の商品を持って来ることになると思いますので……空き家や空き倉庫を借りて、そこに売れ残りの商品を保管したり、疲労がたまっている者の休憩所にしたりしようかと思いまして……。

 ……ああ、勿論使用料の方は、しっかりとお支払いしますよ」

 

 そう言って商人はいくらかの硬貨が入った麻袋を手渡してきて……長は目を丸くしながらそれを受け取ることになる。


 ……外の人間から硬貨を受け取るなど、一体何十年振りのことだろうか。


 それもずしりとした重みを感じる結構な量で……ちらりと麻袋の中身を見てみれば、銅貨だけでなく、これまでの人生の中で数える程しかお目にかかったことのない銀貨も数枚入っているようだ。


 つい数日前までこの集落の全てが奪われてしまうと、どうやってそれを防いだら良いのかと頭を悩ませていたはずなのだが……それがどうして今、自分の手の中にあの銀貨があるのだろうか?


 訳が分からない、何もかもが理解できない、集落の皆にどう説明したら良いのか答えがでない。


 そう混乱しながらも長の手はしっかりと麻袋を掴んでいて……長は現金なものだなと苦笑しながらその麻袋を懐の中へとしまい込む。


 ……と、その時、一人の青年がこちらへと駆けてくる。


「ああ、ここにいらっしゃいましたか。

 これから南の砦攻略など関する作戦会議を行うので、参加の程よろしくお願いします」


 これもまた長には理解が出来ないことだった。

 この青年……クラウスという名だったか。彼はこんな風に毎日、何らかの話し合いが行われる度に長を探し回り、参加するようにと声をかけてくるのだ。


 ディアス曰く、この地の長に無断で勝手なことをする訳にはいかない。

 クラウス曰く、現地の人の土地勘や情報が欲しい。


 ……いやいや、そんなものは勝手にしたら良いことだろう、情報がほしければその都度情報だけを引き出したら良いだけだろう。

 何故毎回長を参加させるのか、長から帝国に情報が漏れたらどうするつもりなのだろうか……?


 毎日のように長を探し回っている辺り、長の動向を見張っている訳でもないようだし……本当に一体何が目的なのか……。


 自分が味方かどうか確かめるために試しているのか、それともまさかまさか、何も考えていないだけなのか……?


 ……いや、まさか、そんなことあるはずないだろうと頭を振った長は、考えても答えは出なさそうだとため息を吐き出してから……商人に礼を言ってから別れを告げて、クラウスに「分かりました」と返して頷き、その後を追いかけて足を進める。


 足を進める先は、ディアス達が集落の側に作り始めた野営地だ。

 簡単な作りの幕屋を造り、簡単な作りの小屋のようなものを造り……馬車を並べてそこを寝床にしたりもしている。


 集落の空き家を使うこともなく、集落の家を奪う訳でもなく……これもまた長には理解できないことだった。


 そんな野営地の中で一番立派な……ギリギリ小屋と言えなくもない建物の中に入ると、そこにはディアスがいて、何人かの年配の兵士達がいて……なんとも雑な作りの、大雑把な地図を前にしてあれこれと言葉を交わし合っている。


「偵察の結果、南の二つの砦……いえ、陣地はどうやら木造のようです。

 大木で作った杭を並べて立てて木の板などで補強して壁にし、その壁で陣地全体を囲った形で……やぐらは二つ、中の人数を把握出来る距離まで近づくことはできませんでした。

 夜間の篝火の数は少なく、見張りの数も少ないようですね。

 壁の高さは……大体ディアスさん二人分といったところでしょうか、壁の上部に返しなどはなく、杭の先端を削って尖らせているだけとのことです」


「そうか、木造か。

 なら正面から突っ込んで戦斧で殴って穴をあけるというのも一つの手だが……以前それをやった時はジュウハにこれでもかと怒られたからなぁ。

 ……全員で陣地を包囲というのも、無駄に疲れるだけだろうし……。

 そうだな、夜にこっそりと私が一人で向かって、壁をよじ登って陣地の中に忍び込んで、敵兵全員を殴り倒すとかはどうだろうか?」


 偵察の結果を報告した年配の兵士に対し、何の冗談なのか馬鹿馬鹿しいとしか言えない言葉を返すディアス。


 するともう一人の年配の兵士が「なるほど」とそう言って頷いて……手にしていた羊皮紙に、今しがたディアスが口にした、とんでもない内容を記していく。


「中にいるのは多くて50人なんだろう? 夜ならそのほとんどが寝ているんだろうし……見張りと起きている連中を騒ぎになる前に殴り倒せばそれで制圧は完了したようなもの……。

 ジュウハが敵はなるべく殺すなと言っていたしなぁ……そうなるとこれが一番だと思うが、クラウスはどう思う?」


「夜間の侵入となると音を立ててしまう鉄鎧は身につけられませんし、壁を登るとなるとあの戦斧は持っていけないと思いますが……大丈夫ですか?」


 更にディアスがそんなとんでもないことを口にし、特に驚く様子もなくクラウスがそう返し……少しだけ悩むそぶりを見せたディアスは「ま、なんとかなるだろ」とそう言ってから頷き、この辺りにはどんな狩場があるのか、そこにどれだけの人数を派遣するのかと、そんなことを話し合い始める。


 現地の人間としてその話し合いに参加することになった長は、積極的に情報を提供しつつも、先程の冗談のような話し合いの……作戦会議とはとても呼べないような会議の内容が気になって気になって仕方なく、どうにも集中出来ない。


 そんな気もそぞろと言ったような状態は夜になっても、寝床に入り込んでも続くことになり……そうして寝不足のまま迎えた翌朝。


 長が井戸で朝の身支度をしていると、クラウスが長の家までやってきて、昨夜あったという出来事を報告してくれる。


「昨夜、南の陣地の一つが、昨日話し合った作戦通りの、ディアスさんの活躍のおかげで陥落しました!

 敵兵32名は全員捕縛……思ったよりも少なかったですね。

 この連中は周辺の砦の攻略が終わったら東の城塞の近くで解放する予定で……まぁ、俺達の方で面倒を見ますのでご安心ください。

 それとこれから陣地にあった食料や武器がこちらに運ばれてくる予定で、もし必要であればいくらかお譲りしますと、ディアスさんからの伝言を預かっています!」


 その言葉を受けて長は、驚きを通り越して呆れ返り……もう深く考えるだけ無駄だと、悩むだけ無駄だとの結論を出す。


 そうして思考を放棄しての真顔となった長は、淡々とした声で、


「食料の一部を買わせてください。

 昨日、ちょっとした収入がありましたので、そちらで支払います」


 と、そんな言葉を吐き出すのだった。

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