第190話 森と荒野で



 ――――森の中、領境付近の関所予定地で クラウス


 

 森の中を通る仮設の道の脇に小さなユルトをいくつか建てて、そこを関所作りのための拠点としたクラウスは、エリーが隣領から買ってきてくれた木材や石材といった資材の数や質を確認したり、どんな関所を作るかという簡単な図面を作ったりしながら、妻であるカニスが隣領から戻ってくるのを待つ日々を過ごしていた。


 図面は概ね出来上がった、資材も必要な量が揃いつつある。

 後は人手が……カニスが連れてきてくれることになっている人手さえあれば作業を始めることが出来ると妻の帰還を待ち遠しく思いながらの日々。


 個人的な感情としてもそろそろ最愛の妻の顔をみたいなと、ユルトの中で図面にペンを走らせながら、クラウスがそんなことを考えていると……外を見回っていた犬人族達が、何かを嗅ぎつけたのか一斉に遠吠えをし始める。


 すると何処からか……かなりの遠方からそれに返事をする遠吠えが響いてきて、それを耳にしたクラウスは慌ただしくペンを置いて、インク壺に丁寧に蓋をしてから立ち上がり……ユルトの外へとどたばたと駆け出す。


 今の遠吠えは妻のものだ。

 大型種の犬人族達の中では、遠吠えという行為は、はしたないことだとされているのだが、小型種の犬人族達の中ではごくごく当たり前の挨拶の方法であり、情報伝達の方法であり、小型種と関わっていく以上は避けることが出来ないものだと……なんとも恥ずかしげに震える声で発される遠吠え。


 すっかりと聞き慣れたそれを受けてやっと帰ってきてくれたかとクラウスが喜びの笑みを浮かべながら道の向こう側を眺めていると……エルダンが気を利かせてくれたのか、護衛と思われる隣領の兵士数人の姿が視界に入り、次に大きな馬と大きな馬車が視界に入り……そうして馬車の側をクラウスに向けての笑みを浮かべながら歩くカニスの姿が視界に入り込む。


 久しぶりに見る妻の姿に居ても立ってもいられずクラウスが駆け出すと、カニスもまた駆け出してくれて……満面の笑みのクラウスが一言、


「おかえり」


 と、そう言うとカニスは柔らかく微笑んで、


「ただいま戻りました」


 と、返してくれる。


 人の目もあるので抱擁とまではいかないが、それでも互いの手を取り合って微笑んで……そうやって再会を喜んでいると、どういう訳なのかカニスが、暗い表情をし始める。


「……どうかしたの?」


 そうクラウスが問いかけるとカニスは暗い表情のまま馬車の方へと視線を向けて……停車し、輪止めが終わった馬車の荷台からぞろぞろと……人間族や様々な獣人族の老人や女性、子供を中心とした人々が姿を見せる。


 全部で20人程だろうか、誰も彼もが痩せこけていて……その表情に生気は感じられなかった。


「すいません……急な話だったこともあり、冬という季節だったこともあり、人手があまり集まらなくて……。

 働き手となるような人々は何処か余所に出稼ぎにいくか、冬でも可能な農作をしているかのどちらかで……。

 クラウスさんが老人でも女性でも子供でも良いからと言っていたので一応集めはしましたが……」


 クラウスの手をそっと握り、クラウスの目をじっと見つめながらそう言ってくるカニスに、クラウスは笑顔で頷き「問題ないよ」との言葉を返す。


 一年で一番寒さが厳しい今の時期、隣領に出稼ぎにきませんかと募集をかけても良い働き手が来ないだろうことは承知していた。

 領民を募集した時にも犬人族達しか来なかったのだからその辺りは予想出来ていた。

 

 支払うとした賃金もそれ程高いものではなく、用意した資金のほとんどは資材の方へと向けられていて……こういう結果になるのは予想出来たことだった、分かっていたことだった。


 今のこの時期にこちらに出稼ぎに来るということは、何か理由があって出稼ぎに出られなかったとか、冬用の畑に何かがあって農作が出来なくなったとか、そういう理由があってのことで……そこら辺のことを承知した上で募集をかけたクラウスは、その面々の顔を見て、もう一度頷いて……カニスの方へと向き直り、声をかける。


「以前にも説明したけど最初はこれで良いんだよ。

 簡単な細工仕事や、力のいらない仕事はいくつもあるし……出来ることをやってもらって、美味しい食事をたくさん食べてもらって……賃金と一緒にあちらに戻ってもらってここの評判を広めてくれたらそれで良いんだ。

 その評判を聞きつけてまた新しい人が来てくれるだろうし、今いる人達も美味しい食事を毎日のように食べていたら元気になっていって、もりもり働いてくれるようになるだろうし……そうやってゆっくり進めていけば良いんだよ。

 まずは仮設の関所を作って、それから本格的な関所へと作り変えていって……全部終わるまでに何年かかるか、正直分からないからね、焦らずにゆっくり行こう!

 ……まぁ、ここら辺のことは全部ディアス様からの受け売りなんだけどね!」


 かつてディアスが、ジュウハの助言を受けながら占領地にてやったことであり、そうやっていくつかの砦を作ったり、あるいは壊したり、土地を開墾したり森を切り拓いたりもしていて……それを側で見ていたクラウスは、それをそのまま真似る形で関所作りを進めようとしていた。


 カニスとしてはディアスのことは嫌いではないし、尊敬もしているが、そんなことが本当に可能なのか、本当にあったことなのかと疑う気持ちがいくらかあって……どうしてもその気持を振り払うことが出来なくて、笑顔になれないままなんとも複雑な表情を浮かべ続ける。


 そんなカニスの顔を見て苦笑したクラウスは……、


「ま、何はともあれまずは食事だ!

 皆! 働きに来てくれた人達の為に美味しい食事を作ってあげるとしよう!」


 と、そんな声を上げる。


 すると見回りから拠点へと帰ってきていた犬人族達が「わおーん!」と元気な声を上げて……兵士達や働きに来た人々が驚きの表情を浮かべる中、テキパキと手際よく支度をし始めて……ユルトの中から引っ張り出した干し肉などの食料を使ってのスープを作り始めるのだった。



 ――――荒野で ヒューバート



 サーヒィが3人の鷹人族を連れてきてくれて、エイマが乗馬をこなすようになって、荒野の地図作りはこれまで以上の速さで進んでいた。


 草原から岩塩鉱床の一帯を過ぎて、黒水と呼ばれる油が湧き出る一帯まで。

 そこまでを新たな領地とし、干し肉や銀貨をそこらに置いておくといった方法や、空からの目視、犬人族の鼻も借りて誰も住んでいないことをしっかりと確認し……丁寧な測量をした上での地図を作っていって……。


 もう何日かもあれば王都に提出しても問題の無い程度の地図が出来上がることだろう。


 領地として確保することになった荒野には、いくつかの岩山などはあったが特にこれといった地形的特徴はなく、激しい高低差もなく、おかげで完成しつつある地図のほとんどは白紙で……。


 そんな地図を見るとなんとも寂しい領地に見えるが、これだけの広さの岩塩鉱床があればそれだけで価値は十分で……十分なのだけれども、この荒野に更なる付加価値をつけられないかと悩んでいたヒューバートは……何人かの犬人族達と共に荒野を歩きながら、完成間近の地図を見ながらぼつりと言葉を漏らす。


「せめて近くに川があるとか、湖があるとか、水源があれば開墾も出来たんですけど……この感じだとこの荒野は荒野のまま、ですかね。

 ディアス様の黄金低地のようにはいきませんねぇ」


 誰に言った訳でもその言葉に反応したのは側を歩いていた犬人族ではなく……少し離れた所でアイーシアという名の馬を……何処からどう見ても王家に伝わる王家の者だけが許された黄金毛の馬を駆るエイマで、その長い耳でヒューバートの言葉を聞きつけたらしく、ヒューバートの側へと愛馬を進めてきて、声をかけてくる。


「黄金低地って何ですか? 初めて耳にする単語ですけども?」


「おや? そうなのですか?

 戦中のディアス様の活躍の中ではかなり有名な逸話で……てっきりディアス様から聞いているものとばかり思っていましたが……」


 と、そんな言葉をヒューバートが返すと、エイマは苦笑しながら言葉を返す。


「ディアスさんってあんまり戦争のことを話してくれないんですよ。

 勿論聞けば答えてはくれますし、話すのが嫌って感じでも無いのですけれど……自分なんかがしたことは凄くないっていうか、わざわざ話すようなことじゃないって思い込んでいる節があって、そもそも自慢話をするような方でもないですし、中々聞ける機会が無いんですよねー」


「ああ、なるほど……確かにディアス様はそういうお方かもしれませんね……。

 戦時中の自分は、王都に引きこもっているばかりでしたが、それでも文官として戦争関連の仕事をしていましたし、戦地関連の情報も仕事として集めていまして、その中で耳にした逸話の一つが黄金低地……占領した敵地の民と麦畑を敵兵から守り、見事に敵兵を撃退した上に敵の砦まで陥落させて、そのついでとばかりに荒れ地を開墾したという……自分で口にしていて何が何やらと混乱してしまうような逸話なのですよ」


「え? え? 何ですかそれ? 何ですかそのお話?

 ボクにも教えてくださいよ!!」


 ヒューバートの口から放たれたとんでもない話に食いつき、尻尾をゆらゆらと振りながらそう言うエイマに、ヒューバートが苦笑しながら話をしようとした―――その時、周囲を歩いていた犬人族が声を上げる。


「あ! お星さま! ヒューバートさん! お星さまが出ましたよ!」


 日が暮れ始めて、星々が輝き出した空を指差しながらの犬人族の声に、ピクリと反応したヒューバートは「話はまた今度で!」とそう言ってから測量器具を取り出し始める。


 測量器具の中には空の太陽や星を見ながら使用するものがいくつかあり……個人的な好みとして星を見ながらの測量を好んでいたヒューバートはいそいそと取り出した測量器具の調整をし、地図を構え……無言で地図を見て空を見て、荒野の果ての地平線を見ての測量をし始める。


 その姿を見て小さなため息を吐き出したエイマは……まぁ、またいつでも話を聞く機会はあるだろうと頷いて……足元のアイーシアに「お願いします」と小さな声で話しかけ、ヒューバートの測量が終わるまでの時間、周囲を駆けて駆けて駆け回り……存分なまでに乗馬を楽しむのだった。

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