第164話 エリーとエルダン その3



 ――――マーハティ領 西部の街メラーンガルの領主屋敷 エリー



 メーアバダル領にフレイムドラゴンが襲来したとなって、すぐさまエルダンから指示が飛ぶ。


 カマロッツを中心とした援軍の編成と即時出立、ゲラントを中心とした鳩人族達による迅速な情報伝達網の構築……などなど。


 そんな状況の中でエリーは、イルク村に帰らなければと慌てる犬人族達を「お父様を信じなさい」との言葉でどうにか宥めながら、静かに見守ることに徹する。


(援軍はまぁ、素材の運搬とかに役立つだろうし、迅速に情報が入ってくるのもありがたいこと。

 ……よそ者という立場でもあるのだし、わざわざ口を出すようなことではないわね)


 と、エルダンの判断にそんな評価を下したエリーが、周囲の何もかもが慌ただしく、忙しなく動き回る中で、我関せずといった様子で時間を過ごしていると……かなりの時間が流れた後に、鳩人族の伝達網から第一報が届けられる。


 メーアバダル領へと伸びる道の、そこかしこに新設された休憩所を活用しての伝達網は、一人目の鳩人族が現場で情報を収集し、全力で飛んで二人目に伝えて、二人目が三人目に、三人目が四人目に伝えるという形で情報を伝達しているようで……空を飛んでいることもあってか、かなりの速度での伝達に成功しているようだ。


 庭の中央に凛と立ち、ぐいと曲げた腕の上に止まらせた鳩人族から第一報を受け取ったエルダンは、その詳細を慌てて駆け寄ってきた紙束とペンを持つ文官に伝えて記録させ、そうした上でエリーにもその情報を伝えてくる。


「どうやらディアス殿は単独ではなく、総力でもってのフレイムドラゴン迎撃を決断したようであるの。

 イルク村総出で事に当たるのはもちろんのこと……アルナー殿の一族にも声をかけたとか……。

 アルナー殿の一族と思われる多数の弓騎兵が合流した後に、イルク村に被害を出さない為にと、フレイムドラゴンのいる北東へ打って出たとのことであるの。

 ……エリー殿、今までディアス殿はほぼ独力でドラゴンと相対してきたとのことであるが……それがどうして今回に限って総力で、という決断をしたであるの?

 相手がフレイムドラゴンという強敵だから、ディアス殿であっても厳しい相手だから……と、そういうことであるの?」


 そう問われた所でエリーにも、その答えを知る術などあるはずがない。


 あるはずがないと承知の上で……それでも身内であるエリーであれば、その決断の意図を推測出来るのではないかと期待しての問いかけに、こくりと頷いたエリーが言葉を返す。


「恐らく、ですけれど……お父様は昔話の竜殺しの英雄譚に倣おうとしているのだと思われます。

 黒き神馬に跨って、竜殺しの槍を構えて先頭に立ち、勇敢なる騎士団を率いて赤き鱗のドラゴンを討伐したあのお話……エルダン様もご存知でしょう?」


 王国に住まう者であれば、誰でも子供の頃に聞き馴染むだろうその物語は、悪く言ってしまえばありふれた、王道すぎる程に王道なよくある形の英雄譚であり……当然よく知っているエルダンは「勿論であるの」と頷き返す。


「お父様はあのお話が大好きで……私達が子供の頃に何度も何度も、飽きるくらいに寝物語として話してくれる程に大好きで……。

 ……きっとお父様にとってもあのお話は、ご両親から何度も聞かされた毎晩の寝物語なのでしょう」


 かの英雄に率いられた騎士団は、老若男女が入り混じった個性豊かな面々によって構成されていて、志あるものであれば誰だろうと受け入れるという、その在り方に憧れただろうディアスの幼心が、今のディアスの根底にあるのかもしれない。

 ディアスが未だにアースドラゴンやウィンドドラゴンを『ドラゴン』扱いしないのも、その物語が影響しているのだろうな……と、そんなことを考えて小さく微笑んだエリーが言葉を続ける。


「……まぁ、お父様のことだからただの思いつきかも知れませんけども、それでもお父様達は大丈夫ですよ。

 お父様達が力を合わせたなら、勝てない相手など世界の何処を探してもいるはずがありません」


 その確固たる自信に満ち溢れた言葉を受けて……少しの間黙考したエルダンは、西の空を見上げる。


「弓騎兵が合流したとしても数は少なく、かのフレイムドラゴンを相手にするには明らかに戦力不足であるの。

 ……ただそれを率いるのがディアス殿となれば話は別、またとんでもない方法でもって、かのフレイムドラゴンさえも討伐してくれるかもしれないであるの」


 空を見上げながら、鳩人族達の到来を待ち望みながらそう呟いたエルダンは、先程まで抱いていた不安は何処へいったのやら、次なる一報が早く届かないものかとその心を、寝物語を楽しんでいる子供のように沸き立たせるのだった。


 

 ――――冷気が支配する空を舞い飛びながら フレイムドラゴン



(忌々しい邪神共め、一体何度我らの南進を邪魔したら気が済むのだ)


 そんなことを内心で呟きながら、それは瘴気を纏わせた翼を羽ばたかせることで空を舞い飛んでいた。


 脚は鋭いかぎ爪を有したものを二本、腕の代わりに大きな翼を生やしていて、翼の節々には凶悪なまでに尖ったかぎ爪のようなものが生えている。


 全身を赤い鱗で覆い、背中の鱗は赤いと言うよりも赤黒く変色し角か棘かと思う程に鋭く変形していて……顔の周囲には何本もの角、目は捕食者特有の鋭さを持ち、顎は異様に大きく、数え切れない程の数の牙が生え揃っていて……まさしくドラゴンと呼ぶに相応しい姿がそこにあった。


 瘴気に汚染され本来持っていた理性を失いながらも、瘴気の影響を受けた独特の知性を芽生えさせたそれは、今度こそ南進を成功させてくれると、今度こそこの地を瘴気で満たしてくれると、そう意気込んで地鳴りのような唸り声を周囲に響かせ……更に内心で言葉を続ける。


(そもそも他の連中は一体どうしたというのだ。

 例年のように邪神にやられたのだとしても、何故帰還せぬ、何故そのことを報告せぬ。

 よもや境の山で幅を利かせ始めた奴らにやられてしまったというのか?

 ……いや、鈍亀ならばその可能性もあり得るが、空を舞い飛べるあの虫けら共が帰還しないのはどうにもおかしい。

 ……邪神共め、一体何をしてくれた、一体何を企んでいる、ああまったくもって忌々しい……)


 と、それがそんなことを内心で呟いたその時―――眼下、前方の大地に積もっていた雪が突然何かに蹴られたかのように舞い上がる。


 そこには何も居ない、目を凝らし良く見つめてみてもただ白い世界があるばかりで、生物の気配は一切しないのだが……それでも雪が一直線に、まるでこちらに向かって何かが駆けて来ているかのように舞い上がり、それはまるで地吹雪かと思う程の規模となっている。


 そしてその地吹雪は、それの眼前といって良い所までやってきて……突然二手に別れて、それ……空を舞い飛ぶフレイムドラゴンを挟み込むかのような形で線を描き始める。


「アァーーーーーーー!」


 同時に何処からか響き聞こえてくるおぞましい声。


 明らかに様子がおかしい、確実に何かが起こっている。


 その声は獣か何かの声のようで、邪神のそれとは全く違うものだったのだが……それでも異様で、どうにも不気味で、空を舞うフレイムドラゴンが一体何が起きているのかと、どう対処したら良いのだと困惑していると……、


「ッタァ!!」


 と、まるで合図か何かのように声が弾けて、同時に地吹雪の中から無数の矢が姿を現し、フレイムドラゴン目掛けて風切り音を放ちながら真っ直ぐに飛んでくる。


『舐めてくれたものだ!!』


 それを受けてフレイムドラゴンは、彼らの言語でもってそう叫ぶ。

 まるで姿を消しているかと思う程に、生意気なまでに上手く雪の中に潜んで見せたまでは良いが……こんな小枝なんぞを放ってどうすると言うのか。


 この自分の鱗が、何よりも強固なこの鱗が、そんな小枝に貫ける訳がないだろうとフレイムドラゴンが嘲笑っていると……小枝達がその身体に命中し始めて……すぐさまに鱗に弾かれ、甲高い音を立てながら雪の中へと落下していく。


『当然だ! 我の鱗がそんな小枝になど―――』


 そんな声を上げて、フレイムドラゴンが更に大きく嘲笑しようと、雪の中に潜む何かを腹の底から嘲笑おうとした―――その時だった。


 ザクリと今までに聞いたことのない音が鱗と骨を伝わって響いてきて、翼やその付け根を中心とした各所に激痛が走る。


「アァーーーーーーー!」


 直後、再びあの声が響いてくる。同時に攻撃を仕掛ける為の合図だと思われる、あの忌々しい声が。


 すかさずフレイムドラゴンは腹の底に瘴気と力を込める。

 何をされたのかは知らないが、一体何でもって自慢の鱗を貫いたのかは知らないが、これ以上やらせてたまるかと翼をはためかせ……そうしながら全力での火炎を吐き出し、周囲一帯に撒き散らす。


 だがそれでも合図の声は止まらない、放たれた火炎を避ける形で地吹雪も絶えることなく上がり続けている。


 攻撃前に二手に別れたのは、地吹雪を出来るだけ広く……辺り一帯に巻き起こし、フレイムドラゴンの狙いを分散させるためなのだろう……実際フレイムドラゴンは、舞い上がる地吹雪を相手にすっかりと惑わされてしまっていて、狙いも何もなく適当に、そこら中に火炎を吐き出すことしか出来ないでいる。


「タァァッ!!」


 再度のあの声。

 それを受けてドラゴンは、今度は腹の底ではなく翼に瘴気と力を込めて、ぐわりと翼を千切れんばかりの勢いで振るう。


 そうやって風を起こし、あるいは翼そのものでもって小枝をはたき落とそうとし……左右から飛んできた無数の小枝はそれを受けて勢いを失い失速し、ドラゴンの身体に届くことなく地面へと落下していく。


『ははははは!

 所詮は獣の技よ! 不意打ちが出来ねばこの程度か!!』


 やっと嘲笑えた、やっと自らの崇高さを、高貴さを証明出来た。

 そんな想いでもってドラゴンが嘲笑い続けていると……何故か後方から、尚も地吹雪を上げている眼下ではなく、ドラゴンの背後から風切り音が響いてくる。


 慌てて翼を振るうも、それによって巻き起こった風は背後にまでは届いてくれず……致命的な音と痛みが、翼の根本からドラゴンの全身に響き渡る。


 そうして小枝に翼の腱を切断されてしまったドラゴンは、なんとも無様な姿で雪上へと落下するのだった。



 ――――遠眼鏡を覗き込みながら ディアス



「ゾルグさん率いる鬼人族達の陽動及び、アルナー様、セナイ様、アイハン様による背後からの奇襲は無事に成功したようですね。

 ……やっぱり隠蔽魔法は凄いですね」


 雪の中に紛れる形で、白いメーア布でもって全身を覆ったクラウスが、遠眼鏡を覗き込みながらそう声を上げる。

 すると背後で待機している犬人族達が小さいながらも力強い声で「わっふ!」との一鳴きをして、尻尾をぶんぶんと振り回し始める。


「翼をもいでしまえばあの亀みたいなものだろうと考えていたが……思っていた以上に素早いというか、雪の上でもまだ暴れているな。

 ……ゾルグ達も安全な所まで退くので精一杯のようだし……流石はドラゴン、他のモンスターとは段違いだな」


 遠眼鏡の向こうとじっと睨みながら……その力強さにある種の感動を覚えながら私がそう呟くと、クラウスが何故だかため息を吐き出して……クラウスの隣に潜んでいたナルバントが声を上げてくる。


「で、あればオラ共の出番じゃのう。

 アースドラゴンの素材を使った矢も悪くはないようだがのう、やはり竜退治となったら破壊力が物を言うからのう。

 メーア印の―――、作っておいて正解だったのう」


 聞き取りにくい小声でそう言ったナルバントと、その更に隣に潜んでいたサナトは、いつか使うことがあるだろうと、暇を見つけては作っていたらしいソレに手を触れて……尚も暴れているあのドラゴンにとどめを刺すための攻撃の準備をし始めるのだった。

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