第163話 エリーとエルダン その2



 ――――マーハティ領 西部の街メラーンガルの領主屋敷 エリー



 メラーンガルの顔であり、領主の住まいでもある大理石作りのその屋敷は、噴水を構えた広い庭を中心に覆い囲うような形の、王国ではあまり見ない造りとなっていた。


 風を取り込むことを重視しているのだろう、窓は大きく、余計な壁は作らず、所々には風通しの良さそうな布が下げられていて……壁の面積が少ない分、何本もの太い柱で二階建ての屋敷全体を支えているようだ。


 そうした柱や庭を望む廊下の手すり、天井飾りにまで精巧な彫刻がなされていて、大理石の美しさ任せではない、確かな芸術性があって……エリーは思わずそれらの美しさに目を奪われてしまう。


 屈強な見張り達が立つ玄関を過ぎて、彫像の並ぶ屋敷内を通り過ぎて、庭へと足を踏み入れた瞬間、広がる圧巻とも言える光景。


 屋敷そのものも美しかったが、噴水を中心に広がる庭の光景もまた美しく……冬だというのに様々な植物が青々と葉を茂らせ、屋敷内を通ってくる風に揺れていた。


「これは参ったわね……」


 何があってここまでの独自の文化、芸術が花開いたのか。

 そんなことを考えて、意識せずに呟いたエリーが、カマロッツの案内に従ってゆっくりと庭の中を歩いていると……その先、噴水の前に絨毯を敷き、その上にどんと腰を下ろし、片膝を立てた青年が笑顔で手を振ってくる。


「あら、良い男……って、んん!?」


 青年の顔を見るなりそう呟き……突然の野太い声を上げるエリー。

 

 案内をしていたカマロッツは涼しい顔をし、エリーの背後で荷物を運んでいた犬人族達は一体何事だという顔をし……誰よりも激しく顔を歪めたエリーは、目の前の青年の様子をじっと観察し……まさかといった様子で、声を絞り出す。


「えぇぇー……もしかしてあちらがマーハティ公エルダン様?

 すっかり痩せられたっていうか、背もぐんと伸びちゃってまぁ……まるで別人みたいじゃないの」


 基本的な顔の作りや髪型はそのままに、しゅっと背を伸ばしいくらかの贅肉を削ぎ落とし、その分だけ筋肉を蓄えて、すっかりと好青年といった姿になったエルダンは、驚きを隠せないエリーの様子に気をよくしたのか、笑顔を更に大きなものとして、こっちにこいとばかりに手を振ってくる。


 それに従って歩を進めたエリーは、一礼の後にエルダンの前に敷かれた絨毯の上に腰を下ろし、儀礼的な挨拶をし始める。


 エリーが交渉に挑む際、常であれば相手の望む人格を……相手に媚び倒す下手で卑屈な人格か、強気に商品の良さを押しつける強気で自信家な人格を演じることが多かったのだが……既に顔合わせの済んでいる、友好関係にあるエルダンにそうする必要は無いだろうと、言葉も無駄に装飾せず、自然な形での挨拶を済ませる。


 それに対しエルダンもまた自然な形で、極めて友好的な挨拶を返し……それを受けてエリーは、商談の前にと軽く雑談をと、口を開く。


「それにしても全く驚かされましたわぁ、以前お目にかかった時とはまるで別人と言いますか、とってもご立派になられて……」


 それに対してエルダンは、以前よりもいくらか太くなった、力強い声で言葉を返してくる。


「それもこれも全てはディアス殿のおかげであるの。

 ディアス殿とお会いして……望外の良き薫陶を受けることが出来て、一念発起した僕は自らを鍛え直した……と、まぁそういう訳であるの。

 だけれどもまだまだ未熟、見ての通り余計な肉が残っているであるの。

 医者達によればもう半年程じっくりと鍛えていけば、年相応の体を得られるだろうとのことで……とりあえずはそこを目標としているであるの」


 あえてサンジーバニーのことを伏せる形でそう言うエルダンに、エリーは笑顔で頷き返し……過剰にならない程度にエルダンの努力を褒め称えてから、今回来訪したその目的を話していく。


「―――と、まぁそういう訳でして、今回お持ちしたメーア布を買い取って頂いて、その売上でいくらかの飼い葉を買わせて頂ければと思うのですが……。

 今後も良い関係を続けていく為にも健全な取引のためにも、正当な評価価格で買い取って頂ければと願うばかりです」


 出来ることなら市井の商人達の目利きに任せたかったが……と、そんなことを考えながら言葉を終えたエリーがくいと手で合図すると、メーア布を抱えていた犬人族達がそれらをエルダンの前へとそっと置いて……尻尾を振り回しながらエルダンのことをじぃっと見つめる。


 きっと気に入ってもらえるはずだ、良い値段で買ってもらえるはずだ。


 そんな内心を隠せない犬人族達に、小さく笑ったエルダンは、ぐいと手を伸ばしてそれを受け取り、自らの腕の上にメーア布を広げていって……じっくりと吟味しながらカマロッツを側に呼び、何か小声で耳打ちをし……そうしてからエリーへと声をかける。


「カニス殿の結納品として贈られたりなどした関係で、メーア布については既にこちらでも名が通っているであるの。

 名が通れば当然欲しがる者も出てくる訳で……まずは僕の妻達、次に繋がりの深い商人が何人か声を上げているであるが……この量となると、その全員が手に入れるのは不可能であるの。

 そういう訳で、エリー殿の希望も考慮し、一番信用の置ける商人を一人呼び、彼に値段をつけさせた上で、半分を妻達、半分をその商人に買わせようと思うであるの。

 正当な評価については彼が抜かり無く下してくれると思うであるの、というか量が限られている今の段階で下手に競り合わせると、天井知らずに値が上がる可能性がある訳で……今回はこの形でご納得頂きたいであるの」

 

 その言葉にエリーが了解の意を示し頷くと、庭を真四角に囲う屋敷の中から様子を伺っていたのだろう、様々な柄の布でその身を包んだ女性達がわぁっと声を上げながら駆け寄ってきて、メーア布を手に取り、身にまとったらどんな風になるのだろうと自らの体に当て始めて……きゃぁきゃぁと声を上げ始める。


 恐らくは話に聞いたエルダンの妻達なのだろうとエリーは、その姿を微笑ましげに眺め……余計な売り文句などは必要無いだろうと口を閉ざす。


 そうしてエルダンとエリーが見守る中、妻達はメーア布の手触りと丈夫さと通気性の良さを堪能していって……少しの時が流れてからなんとも大慌てといった様子で、犬によく似ているが犬では無い、細面の茶毛の獣人が駆け込んでくる。


「え、え、エルダン様! 数多いる商人の中からこの私を選んで頂き恐悦至極……!

 さ、早速、品定めの方をさせていただきたいのですが!!」


 息を切らしながら甲高い声でそう言って頭を下げた獣人の、エルダンのものによく似た服の隙間から、黒く染まった背中の毛を見たエリーは内心で、


(ジャッカルの獣人なのかしら……本当にここは多様性に富んでいるわねぇ)


 なんてことを呟き、その獣人の動向に目を見張る。


 相手は商人、場合によってはそれなりの人格を演じ、ある程度の売り文句も必要だろうかと思考を巡らせていると、何処までも真剣な、真摯な態度でメーア布の質を確認した獣人は……品定めを終えてエリーの方に向き直るなり、かなりの金額の……エリーの予想以上の金額を提示してくる。


「……少し高すぎじゃないかしら? こちらとしてはあくまで正当な評価での長いお付き合いを希望しているのだけど……」


 あまりの値段に演技も忘れてエリーがそう返すと獣人は、細い目を鋭くしながら首を左右に振って言葉を返してくる。


「確かに、質と量を思えばかなり高めの評価となりますが……それは希少性を考慮しない場合の話です。

 エルダン様の奥方達が夢中になるメーア布の、初めての市場流通となれば、希少性も考慮してこの金額が妥当……いえ、少し安いくらいでして。

 ただ金だけを求める相手なのであれば私もそのように値段をつけましたが……どうやらそうではない様子。

 そういう訳で今回は、この値で取引をさせて頂き、次回以降はいくらか値を下げさせて頂き……市場の様子を見ながら適正価格を探らせて頂く形で、長いお付き合いが出来ればと思っています」


 獣人がそうした言葉を口にする間、エリーは目を鋭くし、呼吸をするのも忘れて、相手の一挙一動、その瞬きにさえも注意を払う。


 そうして自らの経験と勘と、エルダンが笑顔を浮かべ続けていることを踏まえて、嘘は言っていないようだと判断を下したエリーは、


「確かに一度だけの取引では、適正価格を見極めるのは難しいのかもしれませんね……ではその値段でお願いします」


 と、そう言って、次は飼い葉の買付交渉だと立ち上がり、獣人の方へ艶めかしい仕草でもってにじり寄る。


 一つの商談が綺麗に片付いて良い笑顔となっていた獣人が、その様子を見て更なる交渉が始まるのだなと覚悟を決めた作り笑顔となっていると……そこにバッサバッサと激しい羽音が響いてきて、一羽の白い影……ゲラントが凄まじい勢いで飛び込んでくる。


「も、森の……西の森の街道を見張っていた者達から至急の報告でございます!

 ふ、フレイムドラゴンが北の空から飛来したとのこと!

 方角を見るに隣領……ディアス様の下へと向かったのではないかとのことです……!」


 フレイムドラゴン。

 空を舞い飛び火炎を吐き出すモンスター……ドラゴンと言えば誰もが思い浮かべる姿をしたその存在に、エルダンとカマロッツが表情を固くし、妻達が恐れおののき、犬人族達が慌てふためく中……エリーは、至って落ち着いた様子で、


「あらまぁ……フレイムドラゴンの素材だなんて、売りにくいったらないわねぇ。

 ……エルダン様、いくらか買い取ってくださる?」


 と、そんなことを言って周囲の者達が驚きの表情を見せる中、涼やかな笑顔を浮かべるのだった。

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