第127話 出産
それから夜は何事も無く過ぎていって、朝が近くなった頃。
辺りの空気が一気に冷え込み、季節に似合わない早霜が降りて来た。
その冷たさは周囲に広がる草達の活力を一瞬で奪い取る程のもので……収穫を済ませておいて良かったと安堵すると同時に、マヤ婆さんの占いの凄まじさに驚かされてしまう。
他の婆さん達から外れたことのない占いだと聞かされていたし、長い付き合いのマヤ婆さんの言うことだからと信じて動いた訳だが……それでもまさかと思わずにはいられないな。
この分だとモンスターの襲来も占いの結果通りに起こっていそうだが……まぁ、クラウス達であれば問題なく対処していることだろう。
何かあれば報せを寄越すなり、逃げてくるなりする手筈になっているし、心配する必要は無い……はずだ。
……と、そんなことを考えているうちに朝日が昇ってきて、イルク村はいつもとは少し違った景色の朝を迎える。
目覚めたセナイ達と、伯父さん達と、心配過ぎてか一睡もしていないらしい夫達と、犬人族達がユルトから這い出して来て、井戸や厠の周辺が騒がしくなり、次に竈場が騒がしくなり……そうやって村全体が賑やかになっていく。
産屋で今も忙しくしているアルナー達の代わりに、セナイ達が竈場での指揮を取り、犬人族達がいつも以上に慌ただしく動き回り……いつもよりも少しだけ雑で、少しだけ大味な朝食が出来上がって、広場に用意された食卓の上に並べられていく。
更にいくつかの特別な食事……チーズをたっぷりと混ぜた麦粥や、温かくした薬湯、木の実の盛り合わせなどが産屋に差し入れられて、馬達の居る厩舎や、ガチョウ達が居る飼育小屋にも干し草などの餌が運ばれていって……それらが終わったら頑張ってくれた皆と食卓を囲んでの朝食だ。
私の身につけている毛皮は犬人族的にはとても格好良く見えるものであるらしく、食卓での話題の中心は私の毛皮についてだった。
当然お産のことやクラウス達のことも話題に上がったが、私も詳しいことは分かっていないので軽く触れることしか出来なかったのだ。
皆で心配し、かといって邪魔をする訳にもいかないので心配するだけに留めて、頑張っているアルナー達やフランソワ達やクラウス達に負けないように頑張ろうと声を掛け合って……朝食を終えたら私以外の皆が凍える寒さの中、元気いっぱいに働き始める。
朝食の準備の時と言い、私も一緒になって働きたかったのだが……徹夜したのだから休憩しなさいとセナイ達に怒られてしまい、産屋の側で毛皮に包まりながらの休憩を取ることになった。
色々なことが心配で眠ることは出来なかったが、それでも目を閉じて、周囲の音に耳を傾けながらうつらうつらとして……そうして昼頃、産屋の中から今までにない大きな声が響いてくる。
それは祝福と歓喜の声で……少しの間があってからアルナーが産屋の扉を開き、疲れを感じさせない笑顔を見せる。
「産まれたぞ!
シェップ氏族のルパとビアトの子だ!
五つ子で皆元気に産声を上げているぞ!」
その声を受けて、私を含めた周囲の皆からも祝福と歓喜の声が上がり……シェップ氏族のルパが大慌てで産屋の中に駆け込もうとするが、アルナーがそれを制止する。
「ルパ、他の皆の出産が終わるまではここは立入禁止だ。
ビアトと子供達は落ち着き次第、お前達の寝床へと連れていくから、そちらの支度を進めておけ。
事前に渡しておいた清めの香を炊いて、ビアトの為の白湯を用意してやって……お前にとってはここからが本番だぞ」
アルナーにそう言われたルパは大慌てで自分のユルトへと駆けていって……その後姿を見送ったアルナーは、私が何かを言うよりも早く声をかけてくる。
「そう心配するな、皆順調だ。
思っていた以上の多産で時間がかかっているが、夕方までにはどの子も無事に産声を上げてくれるだろう」
「……そうか、皆順調か……それは何よりだ。
何か必要な物やして欲しいことはあるか?」
「備えは産屋の中に揃えてあるから大丈夫だ、何か必要になればこちらから声をかける。
ディアスはそこで堂々とした落ち着いた姿を皆に見せてやってくれ。
……それと、その毛皮、よく似合っているぞ」
喜んで良いのか、そんな言葉を残してアルナーは産屋の中へと戻っていく。
それから私はアルナーの言葉の通り、堂々と構えて立ち、皆に落ち着いた姿を見せつける。
内心の方は産まれた赤ちゃんを早く見たいとか、なんでも良いから皆の仕事を手伝いたいとか、そんな想いで沸き立って落ち着きとは程遠い物だったのだが、それでもどうにかこうにか外面を整えて、構え続けて……。
そうこうするうちに、出産を終えた母親と、メーア布にすっぽりと包(くる)まれた毛がなくて、しわしわで、何族なのか判別のつかない赤ん坊達が次々と産屋から運び出されていく。
母親達はなんとも落ち着いた様子で微笑み、赤ん坊達は「ニー! ニー!」と元気に声を上げて、多産なのもあってイルク村中が赤ん坊達の元気な産声に包まれていく。
そうして日が傾き始めた頃、産屋に残る妊婦はフランソワだけとなり……心配で仕方ないとばかりに産屋の周囲をうろうろとする私とフランシスと、そんな私達をどうにか落ち着かせようとするエゼルバルド達と、仕事を終えた村の皆が産屋をぐるりと囲む。
母親と赤ん坊達を送り出す度にアルナーは「大丈夫だ、心配するな」と言っていたが、本当にフランソワは大丈夫なのだろうか、ちゃんと出産出来るのだろうかと心配する気持ちが膨らみ、膨らみすぎて破裂しかけた頃……産屋の中から一際大きな産声が聞こえてくる。
「ミァー! ミァー! ミァー!」
産声の主は一人から二人、二人から三人と増えていって……声が重なり合いすぎて果たして何人いるのか分からなくなった頃、アルナーとマヤ婆さん達が犬人族の赤ん坊達とそっくりの、毛がなくてしわしわで、そうだと言われなければメーアだと分からない子供達を抱えながら姿を見せる。
「六つ子だ!
メーアは三つ子でも多いというのに、まったく……フランソワは凄い母親だな!
そしてフランシス、お前は世界中の誰よりも恵まれた父親だ!!」
疲れているはずなのに、そうとは感じさせない笑顔でのアルナーのその声を受けて、イルク村は赤ん坊達の産声にも負けない歓声で包み込まれる。
誰もが笑顔で、かつてない程に幸せそうで嬉しそうで、フランシスに至っては嬉し涙を流しながら全身を躍動させての踊りを披露し始める。
こうしてイルク村初の出産騒動は、母親も赤ん坊達も全員が無事という最高の形で幕を下ろしたのだった。
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