第110話 エルダンの帰還と秋の入口
ウィンドドラゴンの素材はアースドラゴン程の硬さは無いものの、それなりに硬く、それでいてとても軽く、武器や防具だけでなく様々な道具や細工の部品としてとても重宝されているんだそうで、その希少さも影響してかなりの……アースドラゴンの素材にも負けない程の価値があり、それが二匹半ともなれば辺境の森の代金としては十分らしい。
そういうことであれば、私としてはもう素材全部を渡して終わり、という形でも良かった……のだが、それでもこれは勉強会だ。形だけでも良いから交渉に挑戦してみて欲しいとエルダンに言われて、そうしてエルダンとの交渉に挑んだ私は……自分で交渉しようだとかはすっぱりと諦めて、今後こういった交渉が必要な場合にはエリーに丸投げしようと心に決めることになった。
服だとか食料だとか、そういった身近な品の話ならまだしも、土地やらドラゴンの素材やら、その土地ごとの価値観やら、経済の流れなどといった大きな話となると、ついていけないというか、想像が及ばないというか、どうにも手に負えず……それならばいっそ、商売を生業としていたエリーに任せた方が良いだろうと考えてのことだ。
私の出したそんな結論に対し、エルダンは、
『それはそれで一つの答えとしてありだとは思うであるの。
全てのことを自分一人だけでこなすなんて無理がある話で、その為に仲間を、部下を集めて頼るというのはとても大事なことであるの。
……とはいえ、それらをまとめ上げる長が何も知らないでは、何か問題が起きた時に正しい判断が出来なくなってしまうであるの。
故に勉強はとても大事で、決して手を抜いてはいけないものなのであるの!』
と、そう言って勉強会により一層の熱意を込めるようになり、私とアルナーにあれこれを……覚えきれない程のあれこれを教えてくれたのだった。
そうやって勉強会を開く傍ら、エルダンはエリーとの街道についての話し合いや、領地とウィンドドラゴン素材の取引に関するちゃんとした方の交渉もしっかりと進めていったようだ。
街道はエルダン達が暮らしているという街、メラーンガルから真っ直ぐに敷かれ、森を貫き、草原を貫き、イルク村の側を通る形で、だいたい草原の真ん中辺りまで敷かれることになるらしい。
それ以上の街道を敷きたい場合は別途の支払いが必要で、エリーとしては色々と考えがあるようだが……まぁそれに関しては追々というか、当分先の話になるだろう。
森の代金についてはエリーが頑張ってウィンドドラゴン2匹分の素材で、という形でまとめてくれた。
話がまとまったなら、森の地図にどの部分を売買したと示す線を引き、そこに私とエルダンの印章で印を押し、何枚かの書類を書いてそれにも印を押す。
その地図と書類の写しを二組作ったら、それぞれを私とエルダンが持ち、原本を王様の下へと送れば、それで領地の売買に関する手続きは完了となるそうだ。
そんな風に勉強会と交渉を順調に進めていって……そうして三日後。
ここに来た目的であった公務と勉強会と交渉を綺麗さっぱりと終わらせたエルダンは、色々とありはしたものの、想定していた以上の結果を得られて良かったと、満足げな様子で自領へと帰っていったのだった。
……私の手元に『おさらい用』と題された一冊の本を残して。
その本にはエルダンが開いてくれた勉強会の内容が事細かに記されていて、私がいつでも勉強出来るようにと、予め用意しておいてくれたものなんだそうだ。
私が一度の勉強会では覚えきれないであろうことを予測していたとも言えるその一冊には……まぁ、うん、今後貴族や公爵に関する何かがあった際には頼らせてもらおうとしよう。
兎にも角にもそうして、エルダンの来訪から始まった慌ただしかった日々は終わりを告げた……のだが、それから数日が過ぎた日の昼過ぎ、また新たな騒動が起こってしまう。
それは森が私達の領地となると知ったセナイとアイハンが広場で起こした……、
「行きたい行きたい! 私達の森に遊びに行きたい!!」
「くるみひろい! きのこがり! やくそうつみ!!」
との大声を上げながら全力で地団駄を踏んでの大騒ぎだ。
なんでも両親と暮らして居た頃のセナイ達は深い森の中で日々を暮らしていたんだそうで……その頃の楽しかっただろう思い出に触発されてしまい、それで我慢が利かなくなってしまったらしい。
セナイ達がこんなにまで激しく意思表示をすることはとても珍しいことで、出来ることならその願いを叶えてやりたいとは思うのだが……今セナイ達をあの森に行かせる訳にはいかない。
大方の手続きが終わったとはいえ、まだまだあの森はエルダン達の領地であり、私達の領地とは言い難いからだ。
王様の下に書類だとかが届くのは当分先のことだろうし……もう何日か経ってエルダン達が落ち着いた頃であれば森に入って良いかと相談してみるという選択肢もあったのだがなぁ……。
と、そんなことを考えながら、セナイとアイハンの前に跪いてなんとか二人を宥めようとしていると、大きな背負い籠二つと小さな背負い籠二つを両肩にかけたアルナーが、私達の下へとやってくる。
「セナイ、アイハン、そしてディアス。
こちら側の森の浅いところであれば入っても良いという許可は、私の方でエルダンから貰っておいたから安心すると良い。
何しろもう秋なんだ……面倒な手続きが終わるまでただ待たされるなんてのはまっぴらだからな」
と、アルナーにそう言われて……そこで初めて私はいつの間にやら日差しが弱くなり、吹いてくる風が冷たくなっていることに気付く。
まだまだ肌寒いという程ではないが……夏とも言い難い、秋の入口といったところだろうか。
「冬混じりの不安定な春が過ぎて、太陽の力が降り注ぐ夏が終わったなら、今度は収穫と冬備えの秋の始まりだ。
太陽の力をたっぷりと蓄えた木の実を拾って、飼葉を作って、狩りをして干し肉を作って、ユルトの冬囲いを済ませてと……セナイとアイハンどころか、メーア達の手すらも借りたくなる程、忙しい日々となるぞ!
セナイとアイハンも、今日からは毎日のように森に行って貰うことになるからな、覚悟をしておけ!」
続くアルナーのそんな言葉を耳にしたセナイとアイハンは、途端に満面の笑みとなって、その場でピョンピョンと元気いっぱいに飛び跳ね始める。
「森に! 行けるーー!」
「まいにち! まいにち!」
飛び跳ねる度に繰り返されるそんな二人の声を耳にしながら、私はアルナーに……少なくない不安を込めた声を返す。
「……草原の秋とはそんなにも忙しいものなのか?」
「ああ! もう寝るのが惜しくなるくらいに忙しいぞ!
ちょっとした楽をしても許される太陽の力に溢れていた夏はもう終わった!
これから始まる秋は備えを蓄えるための、働き者の為の季節になるぞ!」
私の不安に気付いているのか、いないのか……そして一体何がそんなに嬉しいのか、アルナーはセナイ達にも負けない笑顔で、そんな元気いっぱいの大きな声を返してくるのだった。
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