第111話 森の中で その1
鬼人族の冬備えには守らなければならない、いくつかのルールがあるんだそうだ。
秋を告げる渡り鳥が姿を見せたら始めること。
狩りの際はメスに手を出さないように気をつけること。
他の家との資材や獲物の取り合いは絶対に避けること。
飼葉は村から遠い場所に生えている固い草を使って作ること、また必要以上に作りすぎないこと……などなど。
そしてつい先程、その渡り鳥が姿を見せたんだそうで、それでアルナーは冬備えを始めようと、事前に準備しておいた籠を引っ張り出して来たと、そういうことらしい。
「冬備えは主に南の荒野で岩塩拾いを、草原で飼葉作りや狩りを、森で資材や食料の採取をすることになる。
荒野の岩塩拾いは犬人族達に任せておけば問題無いだろう、既に何度かやって貰ったこともある簡単な仕事だからな。
飼葉作りや狩りはクラウスに任せておけば問題無いだろう、どちらも覚えがあるそうだからな。
だが森での冬備えはその食料に毒があるかどうか見分ける知識が必要で、細かいルールを覚える必要もある厄介な仕事だ、人任せには出来ない。
幸いセナイとアイハンはやる気に満ちているようだし、ディアスは木を割るのに丁度良い斧を持っている……という訳で私達が森の担当だ」
そう言って背負い籠を手渡してくるアルナー。
その中には森歩きの為と思われる背の高い革ブーツと、肘まである長い革手袋と、フード付きの革のマントと、麻袋とナイフといった採取に必要な道具が入っていて、籠を受け取ったセナイ達は早速とばかりにそれらを身に着け始める。
「あー……これから毎日森まで行くのか?
近場の鬼人族の村とかならともかく、森まで行って向こうでどうこうするとなると、出産が近いフランソワのことが心配なのだが……」
籠の中の品を検めながら私がそう言うと、アルナーはさらりとした態度で言葉を返してくる。
「そのことなら心配はいらないぞ。
ベン伯父さんが上手くやってくれているからな」
「伯父さんが……?」
「ああ、フランソワだけでなく出産が近い犬人族達にとっての良い相談役というか、良い話し相手になってくれているんだ。
生命を産み出すということの尊さや、出産に際しての心構えや、育児のコツや、出産にまつわる様々な寓話を語り聞かせることで彼女達の不安を解してくれているようでな……出産間近のメーアの心をあそこまで穏やかにしてみせるとは、全く驚かされたよ」
そう言ってアルナーは一旦言葉を切り、ベン伯父さんのユルトの方へと感心したというような表情を向けてから言葉を続ける。
「私達も母や祖母といった年長者達から助言を貰うことはあるが、ベン伯父さんのあれは全くの別物だな。
言葉に力があると言えば良いのか、異様なまでに口が上手いと言えば良いのか。
……纏う雰囲気や仕草、その息遣いまでが魔力を帯びているかのようだ」
夜になると襲ってくる暗闇が怖い、突然襲ってくる災害が怖い、予測の出来ない未来が怖い。
そういった人の力ではどうしようも出来ない恐怖を、人々の心から取り除くのが神殿に勤める神官の仕事であり、神官を長い間務めていた伯父さんの本領発揮という訳か。
「なるほど……そういうことならフランソワのことは伯父さんに任せるとしようか。
ただ事が出産だからな、何かあればすぐに村に戻るぞ?」
私が頷きながらそう言葉を返すと、アルナーは、
「ああ、それは勿論だ。
村に何かあればすぐに犬人族達が報せてくれる手はずになっているから安心しろ。
そして出産も大事だが、冬備えも大事……決して疎かには出来ない一大事だ!
ディアスも戦斧を取ってきたりと支度を急げ、支度が終わったならすぐにでも出立するぞ!」
と、そう言って会話を打ち切り、身支度を整え始める。
そうして私は、アルナーに急かされながら身支度を整え、戦斧を肩に担ぎ、籠を背負って……一応フランソワの下へと顔を出し、出かけても問題ないかとの確認を取った上で、アルナー達と共に森へと向かうのだった。
「森の中は食料の宝庫なのだが、同時に毒の宝庫でもある。
毒木の実にキノコに毒草に、毒虫に毒蛇に毒モンスターに。
だから森では採取どうこう以前に、歩くだけでも様々な注意が必要で、しっかりとルールを覚えなければならない……はずなんだがなぁ……」
森に入って少し経った頃、アルナーがボヤいているかのような声色でそんな言葉を口にする。
なんとも苦い表情をしたアルナーの視線の先には、森の中を危なげなく軽快にピョンピョンと跳ね回るセナイ達の姿があり……アルナーの話を聞くまでもなくそう出来てしまっている二人に色々と思う所があるらしい。
「……いや、あの二人だけの話では無いぞ?
ディアスもディアスで随分と手慣れている様子じゃないか」
美味しそうな茶色の傘のキノコを見つけて摘み取って、虫食い部分をナイフで切り落としゴミを払って、籠の中に投げ入れたところでそう言われて、私は「うん?」と首を傾げる。
「そうか……?
……まぁ王国東部は森が多いからなぁ、孤児だった頃も戦争中もなんだかんだと森の食料には世話にはなっていたかな。
ああ、毒かあるかどうかの判別に関しては、確実に安全だと分かっている物以外には手を出さないから、そこは安心して欲しい」
そう言って2つめのキノコを摘み取って、先程のように虫食い部分を切り落としていると、アルナーがその様子を恐る恐るといった様子で覗き込んでくる。
「……そもそも私は、キノコなんかを食べようとしていること自体に驚きを隠せないのだがな?
毒を持たないキノコなんて存在していたのか……」
「んん……?
……ああ、そう言えばアルナーの料理にキノコが入っていたことは一度も無かったな。
キノコは焼いても良いし煮ても良い、干して保存食にも出来るから悪くないんだ。
草原ではあまり見かけないから食べようという発想すら無かったのかもしれないが、森の中にはかなりの数の食べられるキノコが生えているからな、採れるだけ採っていこう」
と、私がそう言うとアルナーは魂鑑定の魔法を発動させまでして……そうしてから渋々、本当に渋々といった様子で頷く。
そうしてから近場に生えていたキノコに手を伸ばそうとしたアルナーに対し、私が、
「ああっと、そのキノコは毒持ちだ。
同じ茶色でよく似ているがそっちは毒で、こっちの傘がふっくらとしたほうが食べられるキノコだから覚えておくと良い」
と、声をかけると……アルナーは今までに見たことの無い、渋くて苦い表情を浮かべるのだった。
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