第106話 家名
翌日。
朝から開かれることになった、エルダン主催の『新公爵の為の公爵と貴族についての勉強会』をどうにかこうにかしのぎ切って……昼を過ぎた頃にようやく自由の身となった私は、ユルトのいつもの場所に座りながら、床に置いた例の封筒をじっと睨み、一体全体どんな家名にしたら良いものやらと頭を悩ませ続けていた。
勉強会で貴族のあれこれを教わって分かったことなのだが、家名とは私の家族だけが名乗るものでは無く、私が管理する領地の地名にもなるとても重要なものなんだそうだ。
仮に私の家名を『ユルト』とした場合、この一帯はユルト領と呼ばれることになり、ユルト領という名前に引っ張られる形でこの草原もユルト草原と呼ばれることになっていく……らしい。
その上、新しい家名を名乗る権利というものはそう簡単に得られるものではなく、王国建国以来変わることなく引き継がれ続けている家名もあるのだそうで……そんな風に何百年もの長い間、使われ続けることになっても支障の無い名前を付ける必要があるんだそうだ。
私の一族の家名として、この一帯の地名として相応しく、使っていくのに支障の無い名前……。
そんな大層な名前を、私なんかが思い付けるはずもなく……いっそのことこの封筒を誰かに渡してしまって、その誰かに考えて貰った方が良いのではないか? と、そんなことを考えていると、
「おう、邪魔するぞ」
と、そう言ってベン伯父さんがユルトの中に入ってくる。
私と向かい合う形で腰を下ろしたベン伯父さんは、例の封筒を手に取り、中の紙を引っ張りだしながら声をかけてくる。
「新しい家名な、儂の方で考えてやったぞ。
アルナーさんとセナイとアイハンに相談して決めたもんだから、文句は無いよな」
そんなことを言いながら懐の中からペンとインク壺を取り出すベン伯父さん。
そうしてその紙に考えた家名とやらを書き込もうとするベン伯父さんに驚き慌てた私は、身を乗り出し、伯父さんの腕をがっしりと掴んで制止しながら言葉を返す。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!?
せめて書き込む前に、どんな家名なのか教えて……ください」
「だーから、儂を相手に畏まった言葉を使うなと言ったろう?
もう立派な大人で、その上お前は公爵様なんだ、いちいち畏まるな」
腕を掴まれたことよりも、私の言葉遣いが気になったのか、渋い顔でそう言う伯父さんに、私が子供の頃にあれだけ厳しく躾けておいて、今更そんな無茶を言わないで欲しいと、そんなことを考えていると……私の心の内を読んだのか、なんとも嫌な笑顔になった伯父さんが言葉を続けてくる。
「まぁ良い。お望み通り教えてやるよ。
『メーアバダル』……これが儂とアルナーさん達とで考えてやったお前とこの地に相応しい、新しい家名ってやつだ」
伯父さんの腕を離し、居住まいを正していた私は、伯父さんのそんな言葉に首を傾げながら言葉を返す。
「……メーアバダル?
メーアとはあのメーアのことですか?
バダルという言葉には一体どんな意味が……?」
「アルナーさんが言うにはバダルとは古い言葉で勇士とか勇者とか、そういう意味の言葉なんだとよ。
メーアバダルと繋げた場合には『メーアを守る勇士』とか『メーアの加護を受けた勇者』という意味になるそうだ。
儂としては『守護騎士』や『聖騎士』とか、そんな意味を含んだ単語を使いたかったんだが……まぁ、これはこれで悪くない。
ディアス・メーアバダル……長さも丁度良いし響きも良い。お前も文句は無いだろ?」
「文句というか、なんというか……。
どうしてその言葉を家名にしようと思ったのか、理由を聞いても?」
私がそう言うと、露骨に渋い顔になった伯父さんが「察しが悪いなぁ、お前は」と、小さく呟いてから、その理由についてを話し始める。
「家名というか、ここの地名を決めるにあたってお前がまず考えなけりゃならないのは、自分達のことよりも、同じ地に住む隣人……鬼人族のことだろう。
これから先、鬼人族との友好やら融和やらを考えるなら尚の事だ。
『メーアを守る勇士』の草原って名前なら、鬼人族としても受け入れられるだろうし、悪い気分にはならないはずだ。
何しろメーアは彼らの生活の根幹なんだからな。この点についてはアルナーさんにも確認済みだから間違いはない。
ネッツロース……古い王国語で『不要』な草原なんて言われるよりはよっぽど良いはずだろうよ」
ネッツロースという言葉に込められたまさかの意味に驚いて、大口を開けたまま何も言えなくなってしまう私に、一切構うことなく伯父さんは話を続けていく。
「で、次に考えなきゃならないのはこの領の今後のことだが……これから先、メーア布を名産品として売っていくつもりだっていうなら、せっかくの家名だ、利用しない手はないだろ?
メーアバダル公が売り出す、メーアバダル領の名産品メーア布! なんとも分かりやすくて良いじゃないか。
何だったらこの封筒と一緒に、メーア布のハンカチ辺りを陛下に献上したら良い。
すーぐに話題になって、いざ売る際には飛ぶように売れてくれるはずだ」
そう言って伯父さんは、ニヤリと嫌な笑顔を……先程のそれよりも嫌な笑顔を浮かべる。
その笑顔に言い様のない懐かしさというか、嫌な予感を覚えた私は、伯父さんのことをじっと見つめながら言葉を返す。
「……ベン伯父さん。
他にも何か別の考えがありそうというか、何か別の企みがあるのでは?
伯父さんの今の顔……何か悪いことを考えている時によくしていた懐かしい笑顔になってますよ」
私のその言葉を受けて「ハッ、まぁお前は気付くよな」とそう言って小さく笑った伯父さんは、自分の膝をバンと叩いてから、固い真剣な表情を浮かべて……ゆっくりと口を開く。
「企みだなんだと言われる程悪いことは考えてないから安心しろ。
……まだ当分先のことになるだろうが、時期が来たら何処かその辺に、立派な神殿を建ててやろうと考えていてな……。
その時にこの家名でいてくれた方がありがたいっていう、ただそれだけの話だ」
そう言って伯父さんは私の疑いの目に対し、真っ直ぐで真摯な目を返してくる。
伯父さんはここに来てから毎日のように犬人族達や婆さん達の話し相手というか、村の皆の相談役を買って出ていた。
その人生経験や神殿に伝わる逸話などから伯父さんが作り出した、伯父さん流のたとえ話を上手く使っての助言や説教はとても評判が良く、順番待ちの列が出来てしまう程の人気となっていて……いずれ伯父さんがそういうことに相応しい場というか、神殿のようなものを欲しがることは予想していたことではあった。
それはそれで構わないというか、問題ないのだが……しかしそのことに家名が関わるとは一体どういうことなのだろうか?
……と、そんな考えをそのまま言葉にすると、真摯な目のまま真面目な表情をしたまま、伯父さんが言葉を返してくる。
「そりゃぁお前、その神殿にメーアを祀るからに決まっているだろう。
例のサンジーバニーって薬草は話によると神々が授けてくれるものなんだろう?
効能からしてあれが本物だってのは間違いないことで、そしてそれをお前に渡したのは言葉を喋るメーアだった。
……つまりメーアは神の御使いってことになるだろうが。
聖人ディア様は神がどんな姿をされているか、神の使いがどんな姿をされているかを後世にお残しにはなられなかったが……ここに来て儂等はその一端を知ることになった。
神の使いたるメーアが住む地に建てた神殿にメーアを祀るには極々当たり前のことだし、その地の領主が神の使いの名を家名に刻み込むというのも当たり前のことだろう―――」
伯父さんの目と表情はどこまでも真剣なもので……どうやら正気の本気でその言葉を口にしているようだ。
「―――まぁ、そうは言っても神殿を建てることになるのはまだまだ先のこと。
この村が街と言えるくらいに大きくなって、お前が相応の力を身に着けてからの話だな。
それまではまぁ、大人しく皆の相談役をやってやるから……頑張ってこの家名に相応しい立派な領主様になってくれよ」
と、そう言って伯父さんは呆然としてしまっている私を見てニヤリと笑い、手にしたままだったペンをさっとインク壺につけて、間を開けずに一気にペンを走らせる。
そうして家名を届け出る為の紙に『ディアス・メーアバダル』と書き込んだ伯父さんは、満足そうに頷いてから立ち上がり、そのままユルトから出ていってしまう。
一人ユルトの中に残されることになった私は、しばらくの間呆然としてから……その紙を手に取り、そこに書かれた文字をじっと見つめて、
「メーアを神殿に祀るとかいう、とんでもない話はともかくとして……まぁ、この家名の意味と響きは悪くないかな……」
と、そんな独り言を呟く。
そうして封筒を手にして立ち上がった私は……封蝋の仕方を教わっていなかったことにそこでようやく気付いて、封蝋の仕方を教わるべく、ユルトを出てエルダン達の下へと足を向けるのだった。
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