第107話 家名と父称


 エルダン達の下へと向かい、家名が決まったとの報告をして、もう決まったのかと驚くエルダンに封蝋の仕方を教わり、封蝋をした封筒を預けて……そうして広場の方へと戻ると、忙しなく動き回っている村の皆の姿が視界に飛び込んでくる。


 まだまだ昼時だと言うのに夕食用の食卓の準備や、食器の準備をしていたり、焚き火や松明の準備をしていたりしていて……どうやら宴の準備をしているようだ。


 つい先日ウィンドドラゴンの件でやったばかりなのになぁと思いつつも、爵位の件と家名の件という大きな祝い事が続いたことを考えると仕方ないというかなんというか……こんな良い機会を宴好きの皆が見逃すはずが無かったな。


 竈場から湯気やら煙やらがモクモクと上がり、荷物を持った犬人族達が右へ左へと元気に駆け回り、セナイとアイハンとクラウスとカニスが食卓や広場を飾り立て、婆さん達が細かい仕上げを整えていく。


 ……と、そんな風に宴の準備が少しずつ整っていく様をぼんやりと眺めていると、竈場での作業を一段落させたらしいアルナーがこちらへとやって来て、声をかけてくる。


「家名の届け出とやらはもう終わったのか?」


「ああ、今さっき済ませて来たよ。

 後はエルダン達の方で王様のところに届けてくれるそうだ。

 正式に名乗って良いのは王様からの返信を受け取ってからになるそうなんだが……まぁ、今から名乗ってしまっても特に問題は無いそうだ」


「そうか。家名だとかはまだ正直よく分からないが……この草原がメーアバダルと呼ばれるようになるというのは悪くない気分だな」


 そう言って村の外、草が風に揺れる草原の方へと視線をやるアルナー。

 そんなアルナーの横顔を見つめながら私は、ふと気になったことがあってそれを口にする。


「そう言えば鬼人族には家名という文化自体が無いんだったな。

 まぁ、私も元々は平民だったから似たようなものなんだが……」


 と、私がそう言うと、アルナーがこちらに視線を戻しながら言葉を返してくる。


「そもそも私達にはその平民だ、貴族だという文化自体が無いからな。

 家名に似たようなものとしては、人が多かった頃に使っていたという、自分が何処の誰かを分かりやすくするための父称というものがあるが……やはり家名とは別物だな」


「……父称?」


 聞き慣れないその言葉に対し私がそう言うと、アルナーは、


「口で説明するよりも実際に見た方が早い」


 と、そう言ってから、食卓の飾り付けに夢中になっているセナイとアイハンに声をかけて「父称を」と促す。


 するとセナイとアイハンは、ばっと立ち上がり片手を高く振り上げてから、それぞれに


「私はディアスの子、セナイです!」

「わたしはディアスのこ、アイハンです!」


 と、なんとも元気に大きな声を張り上げる。

 ……その息の合った様子から察するに、どうやら私の知らないところで練習していたようだ。


 そんな二人の様子を見て満足そうに頷いたアルナーは柔らかな微笑みを浮かべて「よく出来たな」との一言を口にする。


 その一言を受けてぱぁっと笑顔を咲かせたセナイとアイハンは、笑顔のままお互いの顔を見合って、


「ちゃんと出来た!」

「できた!」


 と、声を上げ手を取り合い、嬉しそうにピョンピョンと飛び跳ねて、二人が満足するまでそうしてから……自分達の仕事を思い出したのか食卓の飾り付け作業を再開させる。


 微笑ましげにそんな二人の様子を見つめていたアルナーは、二人が食卓の飾り付けを再開させたのを見てから口を開く。


「ああやって自分が誰の子かを名乗るのが父称だ。

 村がいくつもあったころは何処の村の誰の子、と名乗ることもあったらしいな。

 結婚していれば誰の良人で、誰の嫁でと名乗る場合もあるし、偉大な祖父がいる場合は、父だけでなく祖父の名も一緒に名乗る場合もある。

 そういう点だけを見れば家名と似たようなものなのだろうが……貴族しか名乗らないとか、地名にもなるという点で違いがあるな」


「なるほどなぁ……確かに家名に似ているような感じだが、家名よりも詳しく、分かりやすく説明をする、という感じなんだな」


「ああ、詳しい説明をしたならしただけ丁寧な挨拶をした、ということになるんだ。

 そして丁寧な挨拶をされた場合は、相手にされたのと同じ程度の挨拶を返すのが礼儀とされている」


「なるほどなぁ……」


 今更鬼人族達と挨拶することも無いだろうが、それでも礼儀と言うのなら覚えておくか……と、今の話を頭の中に刻み込んでいると「そう言えば……」とアルナーが言葉を続けてくる。


「……ディアスの家名が正式に決まった場合、何処の誰までがその家名を名乗ることになるんだ?」


「うん……?

 何処の誰までとはどういうことだ?」


「家名については詳しくないが、その呼び方からディアスが名乗るのは分かる。嫁である私が名乗るのも分かる。

 一緒に暮らす子であるセナイとアイハンが名乗るのも分かるのだが……そうなるとアイサやイーライ、エリーも名乗るのか? 他の育て子達は?

 ベン伯父さんはどうだ? ディアスの両親がもし生きていたら両親も名乗るのか?」


 そう言って首を傾げるアルナーに、私はなるほど、そういうことかと頷いてから、言葉を返す。


「ああ、なるほど……そこら辺については今朝の勉強会で教わったよ。

 私の家名を家族の誰が名乗るかどうかは、私が決めるんだそうだ。

 伯父さんや両親に名乗らせても良いし、養子を含めた子供達に名乗らせても良い。

 ただし家名を名乗る以上は王国貴族の一員としての貴族らしい振る舞いが求められることになるそうだ。

 家名を名乗った者が相応しい振る舞いをしなければ、家名が傷つくことになり、私の評価が傷つくことになると、そういうことらしいな。

 それと子供達に家名を名乗らせた場合は、家の後継者あるいは後継者候補であると正式に認めたことになるそうだ。

 だからまぁ……セナイとアイハンを含めた皆が名乗るかは本人達が望むかどうかによるかな」


 セナイとアイハンには実の両親への想いがあるのだろうし、アイサ達にはそれぞれの生活、それぞれの家族がある。

 

 エルダン達にあれだけ根気強く、丁寧に教わっても、全然というか全くというか、あまりにもややこしすぎて覚えきれなかった貴族らしい振る舞いとやらを強制するのも酷に思えるし……全ては本人の希望次第だろう。


 と、そんなことを私が考えていると、アルナーがいつもの微笑みを大きくしたかのような、普段の笑顔ともまた違う……なんとも幸せそうな表情になって言葉を返してくる。


「本人が望めば名乗って良いのか?

 王国貴族としての家名を私が名乗っても? セナイとアイハン、エリーが後継者になっても良いのか?

 私に子が出来たとして、その子達が名乗っても良いのか?」


「ん? んんん? それはまぁ勿論構わないが……あくまで本人次第だからな?

 強制とかは一切無しだぞ。

 ……この貴族らしい振る舞いというのが、全く訳が分からないというか無闇矢鱈に複雑で、子供にこんなことをさせて良いものかと思ってしまう程でなぁ。

 ああ、そうだ、明日もエルダン達の授業があるそうだから、アルナーも出てみると良い。

 如何に面倒くさいものか、それで分かるはずだ」


 なんだってまたそんな笑顔になっているのかと、疑問に思いながらそう言葉を返すと、アルナーは一段とその笑顔を大きくして、なんとも言えない笑い声まで漏らし始める。


 そうして一頻りに笑ったアルナーは、それで話を切り上げて、


「さぁ、今日の宴はいつも以上に盛大にいくぞ!」


 と、宴の準備に勤しんでいた皆に向けてそう言って、そのまま竈場へと……「一体何事だ!?」と声を上げる私に構うことなく戻ってしまうのだった。



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