第92話 ゾルグという男 その2
結局アルナーとゾルグがそれ以上の言葉を交わすことは無かった。
ゾルグのそもそもの来訪の目的である悪徳領主どうこうの話が自らの勘違いだと分かって、何を言ったら良いのか分からなくなってしまったのだろう。
ゾルグはその身を小さくしたまま唸り声を上げたまま、何を言われても何を問われても返事をすること無く黙り込んでしまったのだ。
そんなゾルグを見てアルナーは、いつまでもこんな奴に構っていられないと、日が沈んでしまう前に夕食を食べなければとの声を上げて……そんなアルナーの声を受けてその場は解散という事になった。
そうして皆がゾルグの側から離れていく中、私はゾルグへと、
『もう遅い時間だから、一晩泊まっていくと良い』
と、そんな言葉を投げかけたのだった。
これにはアルナーとエリーから反対の声が上がることになり、当のゾルグも夜間の移動には慣れているとか自分に構うなとか、そんなことを言っていたが……とは言え、もう日が沈む時間だ。暗闇に包まれつつある草原に追い出すという訳にはいかない。
住み慣れた草原とはいえ暗闇の中ではどんな危険があるかも知れず、獣ならまだしもモンスターが出たとなれば命の危険すらあるだろう。
そういう訳でゾルグにはイルク村で……広さに余裕のある伯父さんのユルトで一泊して貰うことになったのだった。
そうして夜が明けたばかりの早朝。
私は念の為に持って来た戦斧を肩に担ぎながら、白靄の漂う草原を鬼人族の村に帰るゾルグの後を追う形で歩いていた。
わざわざそんなことをする必要は無いのかも知れないが……まぁ、ゾルグが無事に村に帰るまでの見送りというやつだ。
なんとなく夢見が悪かったというか、目が覚めた瞬間に妙に嫌な予感がしたというか……そんな胡乱な理由でしたことだったのだが、早朝の草原は静けさが支配する平和そのものといった様子を見せていて、何か悪いことが起きそうな気配は微塵も見当たらない。
むしろこう、早朝の草原には独特の爽やかで涼しい空気が満ちていて……その空気が、先程までの嫌な予感を綺麗さっぱりに消してくれて、晴れやかな気分が胸いっぱいに広がっていくかのようだ。
あまりの気分の良さに鼻歌なんかを歌いつつ足を進めていると、ゾルグが振り返り、そんな私のことをじっと見つめて来て……そしてその角を青く光らせる。
「……くそっ。
悪意無しでやってるのかよ」
そう言ってゾルグは、歩く速度を緩めながらこちらへと近づいてくる。
「一体何なんだよ、お前は。
昨日の夜のことと言い……俺のことなんか放っておけば良いだろう」
近づいてくるなりそう言ってくるゾルグに対し、私はゾルグが大事そうに抱えた二つの布包みへと視線をやりながら言葉を返す。
「全く縁の無い他人であればそうしたかも知れないが……ゾルグがアルナーの家族である以上、そういう訳にもいかないさ。
……なんだかんだと言って、アルナーもゾルグのことを心配しているようだしな」
ゾルグが抱えている二つの布包み。
その中身はアルナー手製の弓と、何十本かの矢の入った矢筒であり……これらはイルク村を発つ際にアルナーがゾルグへと投げつけたものだ。
アルナーは捨てようと思っていた試作品の出来損ないだとかなんとか、そんなことを言っていたが、弓はゾルグの体格に合わせて作られていて、矢筒にはゾルグの名前が彫り込まれていて……大事そうにメーア布で包みユルトの中へとしまいこんでいたことも合わせて考えれば……まぁ、相応の想いが込められたものなのだろう。
ゾルグのことを酷く嫌っているアルナー。
しかしそれはゾルグとの縁を断つ程のものでは無いようだ。
遠方で働くゾルグのことを心配し、ゾルグの為にこれだけの物を作り……そしていざ喧嘩になっても拳を振るわない程度には情というか、家族愛というか、兄への想いが残っているらしい。
アルナーがそれだけの想いをゾルグに向けているのだから……私としてもアルナーの想いに添うのは当然のことだろう。
ゾルグとアルナーと和解させようだとか、そういうつもりは一切無いが、私なりの態度でゾルグに接したいというかなんというか……アルナーの想いとゾルグを無下にしたくないというか……まぁ、そんな感じだ。
「アルナーが俺のことを心配したからなんだってんだ!!
ああもう、なんだってお前なんかが青なんだ!?
……確かお前は魔力が無いとかそんなことを言われていたな。
だってのにこの結果ってことは誤魔化しも何も無しってことか! 鬱陶しい……!!」
先程の私の言葉が余程に気に入らなかったのか、そんな風に声を荒げたゾルグは、なんとも厭そうな顔で私のことを睨み……しばらくの間睨み続けてから、大きな溜め息を呆れ声混じりに吐き出す。
「お前のその……魔力が無いってのは生まれ付きか?」
大きな溜め息を吐いたことでいくらか落ち着いたのか、静かな声でそんなことを言うゾルグに、私は少し考え込んでから言葉を返す。
「あー……多分そうだと思う。
物心がついた頃にはこんな感じだったな」
「そうか……。
まぁ、角無しの連中の魔力の量は生まれ付き決まってるもんだからな……そりゃぁそうだよな。
……それでその、お前はそのことを惨めに思ったことは無いのか?
魔力が無いと言われても全く気にしていない様子だったが……」
渋い顔をし、なんとも言いにくそうにそう言うゾルグに……私は昔のことを思い出しながら言葉を吐き出していく。
「……まぁ、子供の頃は色々なことを思ったよ。
周りの子供達がどんどん色々な魔法を覚えて、なんとも楽しそうに魔法を使って遊ぶ中、私は全く使えないのだからな。
……両親に泣きついたり、当たり散らしたりしたこともあったな。
しかしまぁ……温かく優しい両親と、とにかく厳しい伯父さんのおかげでいつしか納得できるようになったよ。
……あるいは、馬鹿は馬鹿なりに、自分のできることをしていれば良いという開き直りだったのかもな。
自分は馬鹿なのだから出来ないことに時間を費やすよりも……誰かを羨むよりも、出来ることをやっていこうと考えて、そうして体を動かすようになっていって……そのおかげで今があるという感じだな」
私のそんな言葉を耳にしたゾルグは、なんとも言えない表情となって、ハンッと鼻で笑う。
「なるほどなぁ、魔力が全く無いとそういう開き直りも出来るのか。
……努力してもどうにもならない事で見下されて馬鹿にされて……俺は今でも自分が惨めでしょうがねぇよ。
魔力のことで俺を馬鹿にしないでいてくれるのは、アルナーとあの女だけだったんだがなぁ……」
そんなことを言ってぼんやりと遠くの空を見つめ始めるゾルグ。
そうは言ってもゾルグには大切な家族とその角があるだろうと、そんな言葉をかけようとした―――その時だった。
ゾルグが突然険しい顔となって大声を張り上げる。
「ウィンドドラゴン!?
……しかもなんだありゃぁ……五匹も居やがる!?
一匹でも手に負えねぇってのに冗談じゃねぇぞ……!!」
遠くの空を見たままのゾルグのそんな大声を受けて、私もそちらの方へと視線をやる……が、静かな青空があるばかりで特にそれらしいものは見当たらない。
「おい、そこのお前……! 名前はなんつったか……いや、今は名前なんかどうでも良い!
とにかくお前はもう村に戻れ! アルナーにメーアに馬に、あの村には守るもんがあるんだろう!」
そう言って抱えていた布包みを解き、元々腰に下げていた矢筒の反対側にアルナー手製の矢筒を下げて、アルナー手製の弓を構えて、その弦を引いて調子を確かめ始めるゾルグ。
こちらには逃げろと言いながら、自分は逃げずに戦うつもりだと言わんばかりのそんなゾルグの様子を見た私は、ウィンドドラゴンとやらが何処に居るかも分からないまま戦斧をしっかりと握り、両足を開いてがっしりとした戦闘態勢を取る。
ゾルグはそんな私に気付いて何かを言いたげな様子を見せたが……空の向こうの何かの気配を受けてそれどころでは無いとばかりに元々下げていた方の矢筒に手を伸ばし、矢を弓に番え始める。
それから少しの間があって……空を舞い飛ぶか小さな何か達の姿が私の視界に入ってくる。
その様子をじっと見つめた私は、訳が分からないながらも戦いに備えねばと、戦斧を持つ手に全身全霊の力を込めるのだった。
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