第90話 アルナーの家族 その2
わっふわっふと四足で現場へと駆けて行くシェップ氏族の若者の後を追いかけて……そうして現場へと到着すると、そこにはなんとも言い難い光景が広がっていた。
事が起きている現場を大きな輪となって囲いながらわたわたと困惑する犬人族達に、その中心で鬼人族の男に馬乗りになって男の顔を目掛けて平手を叩きつけ続けるアルナー。
両腕で自らの顔を覆ってアルナーの平手打ちを防ぎながら「止めてくれ、話を聞いてくれ」なんてことを言い続けている鬼人族の男に、そんなアルナー達のすぐ側で首を傾げ顔に片手を当てながらアルナーを止める訳でもなく何かを言う訳でもなくただただ佇んでいるだけのエリー。
……これは一体、どういう状況なのだろうか……?
全く訳が分からないそんな状況を理解すべくクラウスと共に輪の中へと入っていって……エリーに声をかける。
「これは一体どういう状況なんだ? それとあの男は一体何者だ?」
そんな私の問いかけに対しエリーは、その首を右に傾げ左に傾げ「うぅーん」と唸ってから声を返してくる。
「どういう状況なのかというと、兄妹喧嘩になるのかしら?
あの人はアルナーちゃんのお兄さん……アルナーちゃんが言う所のどうしようもない穀潰しの、女性とお金にだらしのないお兄さんね。
そのお兄さんが突然やってきたと思ったらあれやこれやと声を上げて、それを聞いたアルナーちゃんがびっくりするくらい怒っちゃって、それでいきなり襲いかかっちゃった……という感じかしら。
でも、こー……お兄さんの言葉を聞いている分にはそこまで悪い人には思えないというか……ただ可愛い妹が心配で心配で仕方なくてちょっと暴走しちゃっただけのように思えてしまうのよねぇ」
そう言って更に首を傾げて唸るエリー。
そんなエリーを見て、今尚平手打ちを続けるアルナーを見て……そうしてからエリーに再度問いかける。
「アルナーの、その……お兄さん、は一体どんなことを言っていたんだ?」
「んー……そうねぇ。
実家が貧乏なことに付け入られた上に騙されてしまって、不釣り合いな程の年上の下に嫁ぐことになってしまった可哀想な妹……アルナーちゃんを俺が守るとか取り返すとか、そんな感じのことを言っていたわね。
後は俺が居ない間によくも好き勝手やってくれたな悪徳領主! とかなんとか……」
私のことをじっと見ながらそんなことを言ってくるエリー。
……その権力者とか悪徳領主というのは……まぁ、私のことなのだろうなぁ。
「で、アルナーちゃんは実家が貧しいのはお前のせいだろとか、家長候補ですら無い穀潰しが何を言っているんだとか、私の良人を侮辱するなとかそんなことを言って、そして次の瞬間にはお兄さんに襲いかかってしまっていた……と、そんな感じね。
最初は私もアルナーちゃんに加勢しようとしていたんだけど……お兄さんは全く手を出そうとしないし、言っていることも……まぁ、言葉は悪いけどもアルナーちゃんのことを心配しているだけのように思えるしで、どうしたら良いのか分かんなくなっちゃって……。
そんな感じで事情がはっきりしない上に、家族の……兄妹の間のことというのもあって、私なんかが迂闊に口出しして良いのか、手出しして良いのか分からなくなっちゃったの」
「なるほどなぁ……。
しかしまさか、アルナーにお兄さんが居たとはな……驚いた」
「えっ?
お父様はアルナーちゃんのお兄さんのこと何も知らなかったの? 事情くらいは聞いていたものと思っていたのだけど?」
「いや、初耳だな。
結婚式でも見かけなかったし、両親と弟妹だけの家族なのだと、今の今までそう思っていたのだが……」
「あらまぁ……。
お父様にも話せない程、恥に思っていたのか、それとも話せばお父様との結婚話が流れてしまうと思っていたのか……あるいはその両方かしら?
……これは私が思っていたよりも問題の根が深いのかもしれないわね」
……と、私とエリーがそんな会話をしていると、アルナーの平手打ちを受け続けるお兄さんから、またも、
「た、頼む、アルナー! 話を……話を聞いてくれ!!」
との声が上がる。
それでもアルナーは耳を貸すこと無く平手を打ち続けていて……私は、そんなアルナーをどうにか落ち着かせようと静かに、ゆっくりと声をかける。
「アルナー。
そこまで言っているのだから……話を聞いてやったらどうだ?」
怒りで我を失いながらも私の言葉に耳を貸してくれているのだろう。
アルナーの動きが少し鈍る。
「怒るにしても叩くにしてもまずは話を聞いて、それからにしたら良いじゃないか。
それに……このまま続けていると、そんな光景をセナイとアイハンに見られてしまうぞ」
私がそう言って……セナイとアイハンの名前を出したのは少し卑怯だったかなと小さく悔いていると、効果があったのかアルナーは勢いを失って大人しくなる。
大人しくなって荒く息を吐き、そうやって心を落ち着かせてから……立ち上がるアルナー。
そうしてから私の側へとやって来て、私のシャツをぐいと引っ張り、それでもってぐしぐしと顔を……目元に溜め込んでいたらしい涙を拭き始める。
……顔を拭きたいのならそうと言ってくれれば、以前アルナーに頼んで作って貰ったハンカチがポケットに入っていたんだがなぁ……。
それからアルナーは、ふぅと熱の籠もった息を一つ吐いて……先程の私の言葉に返事をしているつもりなのだろう、こくりと頷く。
兎にも角にもアルナーが落ち着いて良かったと私が安堵していると……今度はアルナーのお兄さんが、その体を起こしながら怒りに満ち溢れた声を上げ始める。
「き、貴様か! 貴様が件の悪徳領主か!
お、お、お前のせいで、お前のせいであんなに大人しく可憐だったアルナーが……!
こんな、こんな暴力を振るうような女になってしまったではないか!!
よくも……よくもよくもよくも!!
絶対に許さんぞ!!」
……。
そんなお兄さんの言葉に、私は何とも言えなくなってしまい……硬直してしまう。
私のせいでアルナーが暴力を振るうようになってしまった……?
……いやいや、いやいやいやいや。
初対面の段階で蹴られた覚えがあるのだが……?
硬直したままそんなことを考えていると、表情から考えていることを読まれてしまったのか、アルナーが無言でげしりと私の脛を蹴飛ばしてくる。
その痛みに耐えながら私は……さて、この面倒そうな人をどうしたら良いのだろうかと頭を悩ませるのだった。
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