第75話 草原への旅路 その1


――――旅装の男



「おーい、まだかー?」


 兄貴が居るという王国の最西端の大草原。


 そこへ向かう為に手配した馬車の御者台に旅装にマントという姿で座った俺は、自慢の赤髪を掻きながら荷台に向かって声を上げる……が、荷台で支度をしているはずの妻からの返事は無い。


 朝日が昇り次第に出発だと、前もって決めておいたはずなんだけどなぁ……。


「おーーい、まーだーかー? 日が落ちるまでに宿に到着しないとなんだし、グズグズしてられんねぇぞー?」


 さっきよりも大きめの声でそう言うと、ゴトッ、ズザザザッという重い荷物を荷台に積み込んでいるかのような音の後に、ようやく妻の……アイサの声が返ってくる。


「よっこいしょーっと……ふう。もうすぐ終わるから、もうちょっとだけ待ってー!

 父さんへのお土産ばっかり積み込んで、お嫁さんへのお土産を積み込んでなかったのよー、迂闊だったー!

 ……あっ、お嫁さんじゃなくてお義母さんって呼ぶべきかな? イーライはどう思うー?」


「そんなのは今じゃなくて実際に会ってから決めたら良いだろ!

 ……それよりもだ、さっきから重そうな荷物を何個も何個も積み込んでいるようだが、そんなにたくさんのお土産って、一体何を持ってくつもりなんだー?」


「そんなの決まってるじゃない!

 ドレスを仕立てる為の生地に、仕立て道具に、アクセサリー一式に、化粧品一式よ!

 辺境住まいの上に気が利かない父さんが夫となったら、オシャレするにも苦労してるんだろうし、私が気を利かせてあげないとね!」


 と、そんなことを言ってアイサは新たな荷物を荷台に積み込み始める。


 こんな感じに何処か抜けているアイサとの付き合いは……俺が兄貴と呼び、アイサが父さんと呼ぶ、救国の英雄ディアスの仲間と、家族となったあの時からになる。


 流行病で両親を亡くし孤児になりながらも、まっとうに働き、まっとうに毎日を生きていた兄貴。


 そんな兄貴の生き方を見て、他の孤児達が自分も兄貴のようになりたいと集まってくると、兄貴は孤児達をまとめあげて、皆で助け合いながら生きる、孤児の互助組織ギルドのようなものを作り出した。


 1人じゃ出来ないような難しい仕事も皆で力を合わせれば簡単だと皆で助け合い、仕事をサボったり、悪さをしたりしないよう皆で注意し合い、病気や幼すぎて働けない子達を皆で支え合う……そんなギルドだ。


 そこでリーダーとなった兄貴は、ゴミ漁りなんかをして日々を生きていた俺達に、読み書きなんかを教えてくれて……そして真面目に、ちゃんと働くことの大切さを教えてくれた。


 ギルドが出来たおかげで、兄貴のおかげで悪さをする孤児が減り始めると、その様子を見た街の人達はより良い仕事を俺達に任せてくれるようになって、俺達を信用してくれるようになって……そうして俺達はまっとうな人間になることが出来たんだ。


 そんな風に俺達を人間にしてくれた兄貴を、俺達はリーダーとして慕い、兄として父として慕うようになって……そうして俺達は特別な絆で結ばれた家族になった。


 俺とアイサが出会ったのも、そのギルドのおかげだ。


 ある日アイサがギルドに拾われて……同じ赤目赤髪だからとすぐに仲良くなって、長い年月を一緒に過ごして、成人になったのだからと結婚して……そうして俺達は今でも夫婦で家族で、ギルドの仲間という訳だ。


 と、そんなことを考えていると、ようやく支度が終わったのか、遠出用の上等なドレスとその長い髪をふわふわと揺らすアイサが御者台に上って来て……俺のすぐ隣へと腰を下ろす。


「はー……おまたせおまたせ!

 それにしてもようやく父さんに会えるわねー。

 やっと戦争が終わったっていうのに何処に居るのか全然情報が入って来ないんだものねぇ。

 あっ、そういえば知ってるー? あの子ったら王都に父さんが居るもんだと思い込んで、戦争が終わるなりに王都まで行っちゃったんだって! 結局それでも父さんに会えなくてしばらくの間、王都の酒場で荒れてたらしいわよー」


 いつもの笑顔でいつものようにカラカラと話題を回し始めるアイサに、適当に相槌を打った俺は手綱へと意識を向けて、馬達を歩かせ始める。


 王国北部のここから、兄貴の居るらしい草原へと一直線に進むという選択肢もあるにはあるが……治安の問題と宿の問題もあるので、今回の旅では素直に街道に沿って南へと向かう。


 南に進んで東西を結ぶ大街道にぶつかったら、後はそのまま大街道を西に向かってカスデクス領に入り、カスデクス領を抜ければ目的地の大草原だ。


 以前のカスデクス領は悪すぎる領主の評判から近づき難い場所だったが……新しい領主の評判は上々で、兄貴と仲が良いとの噂も聞こえてきている。


 兄貴が悪人と仲良くなるはずは無いし、仮に隣人が悪人であった場合は……確実に兄貴が騒動を起こしているはずなので、その評判と噂は真実なんだろう。


 ……噂の真偽と新領主の評判を自分の目でも確かめてみて、問題が無さそうならカスデクス領にも支店を出しても良いかもしれないな。


 街道沿いに南へと進み、途中何箇所かの宿場町に泊まり……兄貴達への土産という名の積荷を増やしながら大街道へとたどり着き、昼過ぎに大街道沿いの宿場町に入ると、町の中心にちょっとした人だかりが出来ていた。


 

 町の人間と、町の外から来た人間達が混ざり合って出来たその人だかりの中心には、どういう訳だか鎧を纏った王国兵の姿があり……どうやらそいつが人だかりに向かって何か、大層な演説をぶっているようだ。


「―――そこであの英雄ディアスが叫んだんだ! 同じ王国の人間を殺したくはないと!

 だが大逆人ディアーネはその言葉に一切耳を貸さず、俺達に進軍を指示しやがった!

 するとどうだ! ディアスは俺達を殺さないように手加減しながら戦ってくれて……おかげで俺達は誰一人命を落とさずに済んだんだ!

 ようやく集まった僅かな領民達と必死に作り上げた小さな村を、破壊しようと略奪しようと襲いかかる俺達にさえ慈悲の心を見せる救国の英雄の姿に! 俺達も、ディアーネに従っていたカスデクス公も……その場に居たディアーネ以外の誰も彼もが全員が涙して、武器を手放し降伏したってわけさ!

 だというのにディアーネは懲りもせずに武器を振り上げディアスに襲いかかり―――」


 まさかこんな所で兄貴の名前を耳にするとは……と、俺が唖然としていると、隣で「ふぅん」とアイサが声を漏らす。


 その赤い目を鋭くしながら王国兵の顔を鋭く睨み……観察し始めるアイサ。


「―――そういう訳で俺達はカスデクス公の所でしばらく厄介になったんだが……カスデクス公も中々の人物でなぁ、俺達なんかにえらい豪華な部屋を用意してくれただけでなく、すっげぇ美味い飯を食わせてくれたんだよ!

 なんでもカスデクス領は香辛料と砂糖が名産だそうで、その上景気も良いとかでな―――」


 そんな風に演説が盛り上がっていく中、観察を続けていたアイサは、


「……さ、今のうちに良い宿を確保しちゃいましょー。

 ここに皆が集まっちゃってる今なら何処の宿へ行ってもガラガラのはずだよー」


 と、演説への興味を失ったのか、そんなことを言って、人だかりではなく町の風景へと視線を巡らせ始める。


 こういう時のアイサの言葉には素直に従ったほうが良い。

 長年の付き合いでそのことをよく知っていた俺は、何も言わずに素直に頷いて、宿が並ぶ一画へと馬車を進ませるのだった。

 

 

 そうして良い宿を確保して、馬車を預けて……水浴びだとかを済ませての夕食時。


 宿の部屋のテーブルで、アイサと向かい合いながらの食事の途中、アイサに、


「……で、昼間のアレは一体なんだったんだ?」


 と、さっきからずっと抱いていた疑問を投げかけると、アイサが手に持った木匙で空中に何かを描きながら俺の疑問に答えてくれる。


「……なんだも何も、カスデクス公の仕掛けた宣伝でしょー?

 イーライも知っての通り前のカスデクス公は色々と悪評が多かったから、父さんの英雄譚を利用してその悪いイメージを払拭しようとしてるんじゃないかなー?

 そもそもあの兵士さんが本当にディアーネの部下だっていうなら、王墓荒らしの犯人でもある訳だし……そんなことをしでかした人が、どうして自由の身なのかって話よ。

 王様の恩赦が出るにしても、それは当分先のことだろうし……さっきの人はカスデクス公が雇った役者ってとこじゃないかなー。

 きっと他の町でも吟遊詩人とか、踊り子とか、行商人とかが似たようなことをしてるはずだよー」


「……へぇ。

 でも宣伝をしたいってんならわざわざ兄貴の話なんかしてねぇで、領の宣伝だけをしたら良いんじゃねぇの?」


「それじゃぁ流石に露骨過ぎるし、何より皆が興味を持ってくれないじゃない?

 皆が大好きな英雄譚……時の人である父さんの英雄譚の端っこに宣伝をくっつけることで、効率的に広めようとしているのよー。

 今回の件にはカスデクス公も関わっている訳だし、話の中に領の宣伝を混ぜてもー……まー、そこまで不自然じゃないし、悪くないと思うよ。

 ただちょっとやり方が雑っていうか、焦り過ぎかなって思わなくもないけどー……免税が決まって王国中の商人達が注目している今だからこその一手なのかもね」


「なるほどなぁ。

 ……まぁ、兄貴と仲の良いお隣さんの景気が良くなるってんなら悪くない話か」


「そーねー。

 ……まー、父さんのことかなり格好良く褒めてくれていたし、私としてはそれだけで高評価かなー」


 そう言ってアイサは木匙をテーブルの上のスープへと戻して食事を再開し始める。

 俺もそれに習い食事を再開して……そうしてこの日は、少しでも旅の疲れを取る為にと早めに就寝するのだった。


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