第72話 結婚の祝宴 その2


 本日私達は、アルナー達が祝宴の準備で忙しくしていた為に、朝食を食べていない。


 またこれから日が沈む時まで祝宴が続く為に、当然夕食も用意されない。


 つまるところ目の前に並ぶこの料理達が、今日の朝食であり、昼食であり、夕食でもあり……その為に相応の量となっているのだ。


 朝食を抜いたことによる空腹から勢い良く食らいついている者が何人か居るが、ほとんどの者達は目の前のこれが一日分の食事であることをよく理解していて……まだまだ先は長いのだからと、じっくりと料理一つ一つの味を確かめるようにしながら祝宴の食事を楽しんでいる。


 そんなテーブルから少し離れた一画には、フランシスとフランソワの為の山盛りの草や、エイマの為の山盛りの木の実なんかも用意されていて……フランシス達も同様にじっくりと、モサモサと、カリカリと食事を楽しんでいるようだ。



 そんな中、今日の主役であるクラウスとカニスはと言うと……鮮やかな刺繍がされ、小さな宝石達が縫い込まれたメーア布で飾られた二人の為に用意された席で……緊張と、ドレスを汚したくないという思いからか、一際豪勢な料理達に手を付けることなく、ただただ皆の食事風景を眺めていた。


 細かいことなど気にせず、素直に食事を楽しんだら良いと思うのだが……まぁ、あれだけの料理達を前にして、いつまでも食欲を抑えられるとは思えないし、そのうち食欲に負けて手を出し始めることだろう。



 そんな周囲の様子をひとしきりに眺めていた私は……さて、自分も食べるかと手近な料理へと手を伸ばす。


 からし菜の酢漬けと干し肉を挟んだパンに、細かく切ったチーズを振りかけて焼いた芋と腸詰め。

 この季節にしか手に入らないという薬草の花と芋と肉の煮込み料理。

 干しぶどうと干し杏、玉ねぎとニンジンを入れた煮炊き米に……こ、この異様な量のくるみが入ったパンは……ああ、セナイとアイハンが竈場で焼いたパンなのか。

 

 私の隣の席に座りながら期待に満ちた目でこちらを見てくるセナイとアイハンに「美味しいよ」と声をかけて……満足そうな笑みを浮かべるセナイ達の頭を撫でたりしながら食事を進めていく。


 

 そうしてそれなりの時間が経ち、皆の食事が一段落したのを確認した私は、


「マーフ、セドリオ、シェフ。

 そろそろ頃合いだ、やってくれ」


 と、声をあげる。


 すると、マーフ達に率いられた犬人族達の男達が一斉にわっとクラウスの下へと駆けていって……緊張した面持ちのままのクラウスのことを皆で協力して持ち上げてわっせわっせと運び始める。


 これは犬人族達に伝わる祝宴の儀式なのだそうだ。


 結婚という幸せを掴んだ男を担ぎ上げ、村中を歩き回り、村で暮らす全ての者達にその姿を見せて祝福して貰う。

 他にもこの男はもう既婚者であるのだと村中に知らしめることによって、浮気だとかそういうトラブルを減らす目的もあるそうだ。


 今日はこの場に、村で暮らす全ての者達が揃っているのでわざわざそうする必要は無いように思えるのだが……儀式は儀式、ということなのだろう。


 クラウス自らがわざわざこの儀式をやって欲しいと希望した辺りを考えると……絶対に浮気をするつもりは無いという、そういう宣言代わりなのかも知れないな。


 そんなクラウスを抱え上げたまま、村をぐるりと一周して戻ってきた犬人族達は、わふっとの掛け声と共にクラウスを地面へと放り投げる。


 そして一部の……独身の犬人族達が、放り投げられたクラウスへと群がり、その手でクラウスをベシベシと叩き始める。


 これは幸せな結婚をした新郎への嫉妬を紛らわせる為……という名目の下、自分は独身であると周囲にアピールすることで、新たな出会いを求める儀式……らしいのだが、犬人族達の表情を見ると、ただただじゃれあっているようにも見える。


 そんな風にされてクラウスは、ようやく緊張が解れたのか、突然大きな笑い声を上げ始めて……そして笑い声をあげたまま、犬人族達に襲いかかり、抱きしめて、


「よくもやってくれたなーー!」


 との声と共にじゃれあい始める。


 そんなクラウスの様子を見たカニスが破顔し大きな笑い声を上げて、近くにいたマーテルもカニスの笑い声に釣られてしまったのか笑顔になって……これをきっかけに祝宴は一気に賑やかになっていく。


 カニス達だけでなくその様子を見ていた周囲からも笑い声が上がり……マヤ婆さん達が手拍子で祝いの歌を歌い始め、その歌に合わせて何人かの犬人族達がそれぞれのパートナーと手を取り合って、自由にそれぞれの踊り方で踊り始める。


 ステップを出鱈目に踏んだり、ただただ駆け回ったり、くねくねと体をくねらせたり……形式やら伝統やらに関係なく、ただただ自由に、好きなように楽しみ始めて……そして以前の宴の時のように、セナイとアイハンがエイマと共に広場の中央へと躍り出て、マヤ婆さん達と一緒になって歌を歌い始める。


 以前のセナイ達の歌は、ただ楽しげに歌っているだけの子供らしいものだったのだが……今度の歌は全く別物の、大人顔負けの上手さとなっている。


 セナイとアイハンのその歌に場は更に盛り上がって、賑やかさが一段と大きなものとなる。


 いつの間に練習したのか、いつの間にあそこまで上手くなったのか。


 と、セナイ達の歌のあまりの上手さに驚かされてしまっていると、隣に座っていたアルナーが声をかけてくる。


「……一体何をそんなに驚いているんだ?」


「何をって……あれ程の歌を聞かされたら誰だって驚くだろう!?」


「ああ……歌のことか。

 あの三人は耳が良いからな、上達が早いのも当然だろう」


「……そ、そういうものなのか?

 耳の良さが歌の上達に関係するものなのか?」


「歌は聞いて覚えるものなのだから当然のことだろう?

 自分の歌声がどう響いているかもよく聞こえているのだろうし、そんなに不思議なことだとは思わないな」


 と、アルナーはそんなことを言ってから……しばし無言になり、無言のままこちらのことをじっと見つめてきて……そして片手をスッと差し出してくる。


 その手を見て……アルナーの顔を見て、一体これは? と私が首を傾げていると、アルナーは「立て」とだけ一言。


 なおも首を傾げながら、その言葉に従い私が立ち上がると、差し出していたその手で私の手を取り、テーブルから離れるように引いていって……踊る犬人族の輪の中へと連れていかれた辺りでアルナーの意図をようやく察する。


「……あー、私はダンスだとか、そういった類のことは苦手なのだが……」


「元々ディアスにそんな期待はしていないから安心しろ」


 と、固い声でそう言ったアルナーは……しばしの無言の後に言葉を続けてくる。


「……鬼人族には男女の踊りだとか、そういう文化はあまり無いのだが……折角マヤ達に習ったからには、やらないと損だと思ってな。

 王国ではこういう機会にはこうするものだと聞くし……少し付き合え」



 そう言って、返事を待たずに私の両手を取るアルナーに私は「本当に苦手だからな」との念を押してから頷いて……そうしてセナイ達の歌が響き渡る中、必死に一生懸命に頑張った結果……どうにかこうにか傍目にダンスのように見えるであろう何かを披露することに成功するのだった。


 

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