第71話 結婚の祝宴 その1



 クラウス達が隣領から帰って来た翌日の正午。


 広場に置かれた戦鐘……いや、イルク村の鐘が鳴らされて、それを合図にクラウスとカニスの結婚の祝宴が開始となる。


 鐘の音が響き渡る広場には、村の皆やふんわりとした白い毛の犬人族、カニスの母マーテルが、広場を囲うようにして立っていて……そうして出来上がった円の中心には仲睦まじい様子の新郎新婦、クラウスとカニスの姿がある。


 新郎であるクラウスは昨日持ち帰った土産の中にあった、ゆったりとした無地の白い服……クルタと言う名の服でその身を包みながら、緊張しているのかピッシリと背筋を伸ばしていて……新婦であるカニスはマーテルが拵えたという茜色のシルクドレスでその身を包みながら、そっとクラウスに寄り添っている。


 思いっ切り歯を噛み締めた硬い表情をするクラウスと、ただただ静かに柔らかに微笑むカニス。


 そんな対照的な二人の様子を見てなのか、参列者の皆は笑顔となって賑やかな笑い声を漏らしていて……なんとも言えない温かな空気が広場を包み込んでいる。


 そんな空気の中、私はというと、皆が作り出す円の外側で、アルナーがメーア布で簡単に仕立てた神官服……のような服を身に纏いながら、祝宴の進行役として声を挙げるタイミングを見計らっていた。


 なんだってまた私が進行役を……とも思うが、今日の主役であるクラウスとカニスにどうしてもと頼まれてしまっては断る訳にもいかなかったのだ。


 結婚式の際には欠かすことの出来ない聖人ディアの遺した祝福の聖句。


 これを幼い頃から徹底的に、絶対に忘れないようにと両親達に叩き込まれていた私は、今でも一字一句間違うことなく暗唱することが出来る。


 かつての戦場で私は、仲間が死んだ際には弔いの聖句を、生命の誕生に立ち会った際は生命を讃える聖句を、戦地で誰かが結ばれた際には祝福の聖句を暗唱していたのだが、クラウスはそのことを今でもよく覚えていて……それで私に進行役を頼もうと、そう考えたらしい。


 

 そんな私が進行役を務める今回の祝宴は、基本的には王国の伝統に則ったものとなる。


 そこにクラウスが希望した犬人族の伝統と、カニスが希望した鬼人族の伝統を混ぜ込んだ、イルク村風にアレンジした祝宴、とでも言えば良いだろうか。


 カニスのしている赤い染料による化粧もそのアレンジの一端で、あれはアルナーが祝宴の為の魔除けと、子宝に恵まれるようにとの祈りを込めて施した鬼人族に伝わる化粧となる。


 毛に覆われた顔に化粧をする、という初めての経験からかなりの苦労があったようで、出来上がるまでに結構な時間がかかってしまったようだが……その甲斐あってか、とても美しい出来栄えとなっている。


 他にも薬草を漬け込んだ油を肌に塗り込んでいたり、薬草を刻んだものを口の中に含んだりしているらしい。


 祝宴の前に、新婦と女性だけで集まって、支度やら何やらをする時間があり……その時間に薬草に関するあれこれや、化粧染めなどが行われたらしい。


 そうした時間の後に新婦のお披露目があり、待ち構えていた新郎が新婦を迎えて……そして今に繋がる、という訳だ。


 ちなみにだが新郎がそういった薬草やら何やらの準備をする必要は全く無いらしい。

 いつもとは違う特別感のある格好をして、後は終始堂々としていればそれで良い、とのことだ。



 ……と、そんなことを考えているうちに丁度良い頃合いとなり、私は皆に聞こえるように大きなわざとらしい咳払いをする。


 そうして皆が落ち着き静かになるのを待ってから……周囲をゆっくりと見回してからそれらしい口調で聖句を暗唱していく。


「人は独りでは生きられない。

 だからこそ人は家族という在り方を見出し、自分ではない誰かを愛するようになった。

 今日ここで行われる祝宴は、そんな家族になろうと、家族を作ろうとする二人の門出を祝うものである―――」


 聖人ディアが遺した教えはそう難しいものではない。


 人を愛せ、自分を愛せ、そして人生を謳歌せよ。

 人を傷つけるな、人のものを奪うな、人の領域に侵入するな。

 生まれやその生き方で人を差別してはならない、迫害してはならない。


 ……などなど、ごく当たり前のことを人々に説いた聖人ディアは、建国記の時代……常に建国王の傍らに立ち、聖地にて得た世界の根源たる知識で建国王の偉業を支えたという。


 建国が成り、人々の生活が落ち着いてからは神殿を作り、聖地に眠るという神を讃え、多くの教えを遺した聖人ディア。


 結婚や出産……養子縁組などといった家族を作る行いを特に奨励したという彼が、その忙しさのあまり、生涯独身で子を残すこと無くこの世を去ったのはなんとも皮肉な話だ。


「―――よって今日はここに集まった皆で、存分に食べて、歌い、踊り、二人の未来に幸あれと、その門出を祝福するとしよう!」


 長々と続いた聖句をそんな言葉で締めると、皆がわぁっと盛り上がる。


 そうして犬人族達が一斉に駆け出して、テーブルや食器などが運ばれて祝宴の場の準備が整えられていき……そこにアルナー達が丹精込めて作った料理が運ばれてくる。


 昨日クラウス達が持ち帰った土産の中にあった材料で急拵えしたものから、手間と時間をかけて作ったものまで、パンに肉に、木の実に様々な野菜に、果物までが使われた料理達がテーブルに並べられていって……その光景はまさに圧巻だ。


 マヤ婆さん達が中心となって作った王国風の料理に、アルナーと婦人会が中心となって作った鬼人族風の料理に、犬人族達が好きだからと用意された、ただ焼いただけの味付けも何もしていない肉の塊に。


 ああ、全く……どれもこれも本当に美味そうで、漂ってくる香りだけでも腹が減ってしまって……その料理達を前にした誰もが空腹を抑えられないといった表情になっている。


 セナイとアイハンなんかは、目の前のくるみパンと、くるみとコメの煮込み料理と、油で揚げたパンに砕いたくるみと蜂蜜を和えたものを前にして、その口から滴る涎を抑えられなくなってしまっている。


 いつもの宴とは全く様子の違う、贅を尽くしたという言葉が相応しい、まさしく圧巻としか言いようのない料理達を前にして、誰も堪えられないという顔になり、早く食わせろという顔になり……そしてその顔を私の方へと向けてくる。


 それらの顔に圧された私は、慌てて口を開き、


「さて……食事の準備も整ったようだし、まずは皆でこの豪華な料理達を楽しむとしようか!」


 と、祝宴開始の号令を、大きな声で発するのだった。


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