第70話 祝いの品
カニスが隣領から戻って来たあの日、カニスからの檄を受けたクラウスは独力の狩りにこだわるのを止めて、犬人族達に協力を頼み、アルナーや鬼人族達にマタビの粉を分けて貰い、時にはカニスの手も借りながら狩りをするようになった。
そうした結果、クラウスは今までが嘘のように順調に成果を上げるようになって……たったの三日で十分過ぎる量の黒ギー達を確保することに成功したのだった。
それらの黒ギーを鬼人族に引き渡し、対価として受け取った山のようなメーア布を荷車に積み込んで、荷車引きを手伝うと申し出た何人かの犬人族達と共に隣領へと旅立つクラウスとカニス。
そんなクラウス達を笑顔で見送りながら……私は内心で酷く焦っていた。
首飾りを作るのに夢中でクラウスとカニスに贈る祝いの品の準備を全くしていなかったのだ。
あの様子ではどうしたって時間がかかるだろうし、一、二週間は余裕があるだろうと考えていたのだが……まさかたったの三日で準備を整えて、そのまま間を置かずに旅立ってしまうとは予想外だった。
アルナー達はクラウス達が帰って来たなら即祝宴だとはりきってしまっているし……残された時間は少ないと言って良いだろう。
だというのに私は、まだ何を贈るかすらも決めていない訳で……うぅむ、どうしたものだろうか……。
そんな私とは違ってアルナー達の準備は順調のようだ。
祝宴の豪勢な食事とやらを、どんなメニューにするかも既に決まっているようで……犬人達に指示を出しての材料集めも順調に進んでいるらしい。
竈場の作成も順調に進んでいて、カニスの父親が手配してくれた職人達と資材もそろそろ到着するそうだし……新しい竈を使ってのアルナーと婦人会とマヤ婆さん達の総力を挙げての料理となれば、さぞ豪勢なものとなることだろう。
そんな料理に負けないような祝いの品となると……うぅむ、本当に何を贈ったら良いのだろうか……。
こういうことはアルナーに相談するのが一番なのだろうが……以前大丈夫だと、なんとか間に合わせると言ってしまった手前、どうにも相談しづらい。
そうして頭を悩ませて悩ませて、どうしたものかと悩み抜いた私は―――。
「……それで私の所に相談しに来たのかい?
全く呆れたモンだねぇ」
―――と、半目になりながらそんなことを言う鬼人族の長、モールのユルトへと相談に来たのだった。
「他に当てが無くてなぁ……。
それといくつか報告することがあったから、そのついでというやつだ」
モールの前に座る私はそんな前置きをしてから、相談の前にとその報告を済ませていく。
畑の作物は順調に育っているがその理由、原因は未だに分からないという報告と、ディアーネ達と揉めてしまったという報告。
それとペイジン達が血無しという者達を連れて来てくれたらイルク村を中心とした交易が始まるという報告だ。
それらの報告の後にディアーネとの面倒事の際に手に入れた戦利品のいくつかを荷車に積んで持って来たのでこっちで活用して欲しいという話をすると、私を半目でじっと見つめていたモールは小さく頷いて……その口元に小さな笑みを作る。
「……なるほどね。
全くアンタはどこまでも予想の数段上を行ってくれる男だねぇ。
……その上戦利品までくれるってんじゃぁ相談くらいは乗ってやらないとだね」
そんなことを言って一旦言葉を切ったモールは、口元を引き締め直してから言葉を続ける。
「それで……結婚祝いの贈り物、だったかい? すぐに用意出来る物が良いんだったね?」
「そうだな、向こうで開かれる宴席とやらで数日は帰ってこないはずだが……それでも早ければ二、三日後には帰ってくるかもしれないし、準備に時間がかからない物が良いな」
「……それなら、メーア布の上等な寝具でも贈ってやれば良いんじゃないかい?
寝具は常に余分めに作っているからすぐにでも分けてやれるし、アンタから贈る品としても寝具なら都合が良いだろう」
モールにそう言われて私はうん? と首を傾げる。
確かに寝具はあって困るものでも無いだろうが、しかし新婚の祝いというには少し地味ではないだろうか? それに都合が良いとは一体?
そんなことを考えながら頭を悩ませる私に、モールはじとっとした視線を送ってくるだけで何も言わず……そのまま少しの時間が流れて、それでようやく一体何故新婚夫婦に寝具を贈るのか、その理由に思い至る。
「ああ、そういうことか!
確かにクラウスは奥手だから、それも良いかもしれないなぁ」
私がそう言うと、モールは大きな……盛大な、わざとらしさすら感じてしまうような大きさの溜め息を吐いてから、言葉を返してくる。
「……全く、アンタがそんな調子じゃぁアルナーが自分の子供を抱けるのはいつになるやらだねぇ……。
まぁアレだね、アンタ達夫婦がそんな調子だからと、その夫婦が変な遠慮をするかも知れないし、そういう意味でもアンタから寝具を贈るのは悪くない手だと思うよ。
病除けと子宝、安産願いの刺繍をしたのを用意してやるから、持っていきな」
モールにそう言われて私は、これで肩の荷が下りたと、ここに相談に来て良かったと感謝の言葉を口にする。
そんな風に報告と相談を終えた私は、モールと共に男衆に預けておいた荷車の元へと向かい、戦利品達を荷車から下ろして男衆に引き渡し……その代わりに病除けや魔除けの効果のあるらしい月や花の刺繍や、子宝や安産の願いが込められた何種類かの鳥の柄の刺繍のされた何枚かの敷布と掛け布と、二つの枕を受け取り、荷車に乗せる。
……モールが変に気を利かせて子作り用の薬草も一緒に渡そうとしてくるが、それについては丁重に断った。
そうして来た時と比べて随分と軽くなった荷車を引きながらイルク村へと帰り……その時が来るまでクラウス達に見つからないようにと、それらの品々を倉庫の奥へしまい込むのだった。
それから何日かが過ぎたある日……隣領から職人達と資材を載せた馬車が到着し、竈場の最終調整と屋根の建設が行われた。
完成した竈場には、予定になかった休憩用の広い空間や、隣領の職人達がわざわざレンガを持ってきて作ってくれたレンガ積みのパン窯までがあって、かなり広々としている。
そんな竈場全体を覆うように作られた屋根の縁には、布を吊り下げる為の留め金のようなものがあり、冬場にはそこから布を下げることにより、寒気が入り込むのを防ぐのだそうで……他にも色々とアルナー達の意見を取り入れた凝った作りとなっているそうだ。
屋根の作業が終わり、厩舎の増設も終えた職人達は、まだいくらか資材と時間に余裕があるからと、出来たばかりの厠や、ガチョウ達の飼育小屋にも手を入れてくれて……そのどれもが良い仕上がりとなってくれている。
鬼人族の職人達の腕も決して悪くは無いのだが……隣領の職人達のほうがいくらか上の腕であるらしい。
そんな風に三日程の時間をかけて良い仕事をしてくれた職人達には、それらの作業の礼として資材の代金として小さめの袋いっぱいの金貨を渡しておいた。
相場が分からないのでこれで足りるかは分からなかったのだが……金貨を懐に入れて満足げな笑顔になった職人達の様子を見る限りどうやら問題無かったようだ。
そうして職人達が軽い足取りで隣領へと帰り、出来上がった竈場でアルナー達が早速にと祝宴用の料理の下準備をし始めた、その翌日。
荷車いっぱいの山のような土産達と共にクラウス達が隣領から帰って来たのだった。
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