第54話 急報


「よーし、セドリオ、堰板を上げてくれ」


 と、溜池の側に立つ私がそう言うと、センジー達の氏族長セドリオが、忙しなくコクコクと頷いてから水路の入り口部分にはめ込んでおいた木製の堰板の取っ手へとぐっと噛み付く。


 犬人族が噛みやすいようにと工夫のされた形状になっている取っ手に噛み付いたセドリオがその顎の力でもって堰板を持ち上げると、小川の水が水路へとさらさらと流れ込んでくる。


 鬼人族の職人に制作を依頼し、かなりの木材と日数をかけることで完成となった、その水路は、小川と溜池を接続する形で地面へと埋め込まれていて、流れ込んだ水はその水路を通り、溜池へと向かっていって……センジー達が広く大きく広く掘ってくれた溜池へと流れ込んでいく。


 溜池の底と壁はチルチ婆さんとターラ婆さんの指導の下、敷葉という方法で叩き固めてある。

 そうすることで溜池は水に負けたり、崩れたりしない長持ちする溜池になってくれるのだそうだ。


 本来、敷葉という方法では木の枝や木の葉を使うらしいのだが……ここいらでは手に入らないので草原の草で代用している。


 枝や木の葉の代わりに刈り込んだ草を底や壁に敷き詰めて、その上に土をかけたら木槌で力いっぱいに叩き固める。

 そうしたらまた草を敷いて土をかけて、それを何度か繰り返して……という感じだ。


 何度も念入りに叩き固めたおかげか、溜池はしっかりと小川の水を受け止めてくれていて……ゆっくりとだが着実に溜池の中に水が溜まっていく。


 溜池堀りを完成となるまで毎日のように頑張ってくれたセンジー達は、溜池の縁で身を乗り出しながら水の溜まっていく様子をじっと眺めていて……溜池がこうして無事に完成したのが余程に嬉しいのか、その尻尾は激しく振られている。


 センジー達の手を借りながらも、溜池の完成にはかなりの日数がかかってしまった。


 気が付けばすっかり季節は夏になりつつあり……本格的な夏になってしまう前に溜池を完成させることが出来たのは、一生懸命に溜池を掘ってくれたセンジー達と……他の部分で仕事を手伝ってくれているシェップ達、マスティ達のおかげと言えるだろう。

 

 畑の作物達は順調に育っているし、セナイとアイハンの畑に植えられた木の実も芽を出し始めた。

 それらの畑の為にも溜池にはたっぷりと水を蓄えて貰わないとな。



 と、そんなことを考えていると私の後頭部の髪がモシャリと……背後から伸びて来た大きな口に食(は)まれてしまう。


 モシャリモシャリと髪を食み続けるその口をどうにか手で払い除けながら振り返ると、そこには鼻息を荒くしながら手綱を揺らす、黒毛の牡馬……アルナーがベイヤースと名付けた馬の姿がある。


 ベイヤースは私の馬……ということになっている。


 私はあまり乗馬が得意では無いのだが……しかし草原の領主として、家長として馬に乗れないでは話にならない……とのことで、何日か前にアルナーに半ば強引にベイヤースを押し付けられたのだ。


 他の馬に比べて足が太く、がっしりとした体付きのベイヤースは、乗馬下手な私に合わせて上手に駆けてくれるという賢い面もあるのだが……普段は落ち着きがないというか、やんちゃな性格をしていて、こうして私の髪を食んでくるのも、もう何度目になるだろうか。


 アルナー曰く、同じ時を一緒に過ごし、世話をしてやり、馬との絆を築き、馬から尊敬されるようになればそういうことをしなくなるそうで……その言葉に従い、今日は溜池での作業をしながら一緒に過ごし、作業が終わったらブラッシングなどの世話をしてやろうかと考えて、ベイヤースを連れて来たのだが……どうやらベイヤースはただ溜池の側に立っているだけという今の状況に飽きてしまったようで、早く世話をしろと、自分を構えとの催促をしてきたようだ。


「……ようやくの完成なのだし、もうしばらくここで見ていたいんだが、駄目か?」


 と、私がベイヤースに声をかけると、ベイヤースはクワリと歯をむき出しにして露骨に嫌そうな顔をしてくる。

 首筋を撫でてやったりしてご機嫌取りをしてもその表情は変わらず……仕方ないかと溜め息を吐く。

 

 名残を惜しみつつ、セドリオ達にベイヤースの世話があるから後は任せるとの声をかけ、


『任せて!』

 

 と誇らしげに胸を張って異口同音に声を上げるセンジー達に見送られながら、ベイヤースと共に溜池の側を離れる。



 手綱を軽く握りながら、厩舎に戻ってブラッシングをするか、村を出て草原を散歩するか、それとも村の方で遊ぶかとの判断をベイヤースに委ねると……ベイヤースは村に向かいたいのか、村の方へと足を向け始める。


 その途中、厩舎へと視線を向けると、厩舎の中は空っぽになっていて……どうやら白ギー達も、他の馬達も何処かへ出かけているようだ。


 他の三頭の馬達にもアルナーが名付けていて……赤毛の牡馬がカーベラン、白毛の牝馬がシーヤ、灰色毛の牝馬がグリ、という名前になっている。

 

 カーベランにはアルナーが、シーヤにはセナイが、グリにはアイハンが乗っていて……3人とも私とは比べ物にならない上手さで馬達を乗りこなしている。


 アルナーに至っては鞍無しでカーベランに跨がり、その上カーベランを走らせたまま弓を射り、空を飛ぶ鳥に見事に矢を命中させるのだからなんとも凄まじい。


 セナイとアイハンはそこまではいかないまでも、馬との意思疎通が上手いのか、さも簡単そうに手綱を操って、軽快にシーヤとグリと共に駆ける事が出来る。


 ベイヤースのおかげでなんとか乗馬の体を成している私とは全く段違いの腕前だ。

 

 ……と、そんな私の思考を読んだのか、先を歩くベイヤースがこちらへと振り向いて、切れ長の大きな目でじっと見つめてくる。

 その目は『分かっているならもっと頑張れよ』とでも言いたげで……私はむぅと唸り声を上げる。


 ベイヤース達はとても賢い。

 フランシス達程ではないがある程度の言葉を理解するし……言葉が無くともこちらの思考を読んでいるかのような反応を示してくる。


 アルナーが言うには、その遠くまで見通す目でもって私達の表情の細かい変化を見て取り……そうやってこちらが何を考えているかを読み取っているのだそうだ。


 ならばと試しに『すぐに上手くなってみせるさ!』との感情を込めての笑顔を作ってみる。


 するとベイヤースは、私の笑顔を見るなりその口と鼻からブッフゥと大きな溜め息を吐き出し……それきりこちらを見なくなる。


 ……全く、なんとも憎たらしい態度だが、それでもいざ私がその背に跨がれば、私に合わせようと懸命になってくれるのだから、憎いなどとは微塵も思わない。


 それどころかその態度からはちょっとした可愛げを感じることが出来て……私はベイヤースの背にそっと手を置き、ベイヤースを撫でてやりながら一緒に村へと向かって歩いていく。


 そうしてイルク村に入り、広場へと到着すると、そこには最近になってよく見かけるようになった、セナイとアイハンとフランシスとフランソワと……大量の犬人族達が一塊になって昼寝をしている光景が広がっている。


 セナイ達の畑から芽が出たその日から、セナイ達が畑の側で昼寝をするようになって……そんなセナイ達に釣られてフランシス達と犬人族達が一緒に昼寝をするようになり……出来上がった光景。


 夏になって日差しが強くなり、季節相応に気温が高い今、そうやって一塊になっていては暑苦しいだろうに、その場で寝ている全員が、一人の例外もなく穏やかな寝顔をしている。


 そんな広場の中に爽やかな夏の風が吹いてきて、畑の芽達が風に揺れて……セナイとアイハンが寝言で、パパ、ママと呟く。


 なんとも穏やかで微笑ましいその光景に眠気を誘われでもしたのか、ベイヤースがその塊へと静かに近付いていって、塊の中に混ざろうとし始める。


 セナイ達の側にゆっくりと伏せるベイヤースの顔から、ハミと手綱を外してやるとすぐにベイヤースは眠りに付き始めて……そんな光景にたまらず私も眠気に襲われて負けそうになる。


 声を上げないようにあくびをし……両手を振り上げ体を反らせて眠気を振り払う。

 そうやって仰け反りながら空を眺めて……ベイヤースが目を覚ますまでここで何か作業をしていようか……と、考えていると空の向こうから白い影が飛んでくるのが見える。


 妙に激しく羽ばたきながらこちらへと一直線に向かってくるあれは……ゲラントか。


 前回とは違い必死に羽ばたきながらこちらへ向かってくるゲラントを見て……これはただ事では無さそうだとこちらからもゲラントの方へと駆け寄る。


 そうして村の外れ辺りで、ゲラントが胸前に上げた私の腕へと降り立ち……呼吸を整えた後、そのクチバシを開く。


「ディアス様、火急の知らせでございます。

 エルダン様からのお手紙をお持ち致しましたので、至急ご確認の上、お返事を頂きたく……!」



 そう言って胸を張るゲラントの胸元の鞄から手紙を取り出し、広げて読むと……そこにはなんともロクでも無いことが書いてあり、私はただただ溜め息を吐くことしか出来ないのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る