第26話 来訪者エルダン
「エルダンの体に一体何が起きているんだ?」
ベッド型馬車の上に横たわり女性達に介抱されながら、ぐったりとした様子のエルダンへと視線をやりながら、私はカマロッツにそんな疑問を投げかける。
泣き止んで落ち着きを取り戻して、鼻から私を解放したエルダンはその直後に何故だか急激に顔色を悪化させてしまって、その場にへたり込んでしまったのだ。
立ち上がろうにも立ち上がれず、よろけてばかりのエルダンをカマロッツと女性達は慌ててベッド型馬車の上に運ぼうとしたのだが力が足りず、ならばと私も手伝おうとなって、そうして私達は力を合わせながら見た目以上に重いエルダンの体をどうにかこうにかベッド型馬車の中央へと運び上げた。
それからベッド上の女性達の手による必死のエルダンの介抱が始まって、エルダンの体調が一応の落ち着きを見せたのがつい先程で……エルダンが落ち着いたならばと私はカマロッツに説明を求めたのだった。
私より頭一つ分程背の低いエルダンが、人間一人……しかも大柄な方だと言える私を持ち上げたりしたのだから多少体調が悪化するのも仕方のない事なのかもしれないが……それにしてもあのエルダンの様子は悪化し過ぎのように見えるし、そんな体調のことだけで無く、耳のことや鼻のこと、私を持ち上げた怪力のことも気になってしまう。
私のそんな意図を察したのかカマロッツは何も言わずに頷いて、エルダンへと視線をやり事情を説明しても良いでしょうかとの許可を求める。
「勿論構わないの、ディアス殿とアルナーさんなら問題無いの。
僕のことを全部話して構わないの」
横になりながらのエルダンの言葉に深く一礼したカマロッツは私とアルナーへと向き直ってゆっくりと口を開く。
「エルダン様は亜人と人間との間に生まれた特別なお方なのです。
エルダン様の御尊母ネハ様は亜人、獣人と呼ばれる方々の中でも特に優れた御力をお持ちの象人族であり、エルダン様はその御力を受け継がれているという訳なのです」
カマロッツの説明によると象人族は大きな耳と長い鼻と他種族とは一線を画す巨躯と怪力を持ちながら、他者を守る優しい心をも併せ持ち、かつては神として崇められたこともあるのだそうだ。
エルダンは人間の父エンカースと象人族の母ネハとの間に生まれた半亜人というかなり特殊な存在で、生まれ持ったエルダンにしか存在しない魔力とかなりの体力を消費することで、人間から象人族の姿へ、象人族から人間の姿へと変化することが出来るのだそうで、先程は喜びと興奮のあまりにそれをやってしまったらしい。
「ああ、なるほどな。
それで耳と鼻と怪力、酷く疲れた様子にも納得がいったよ。
しかしエルダンは巨躯、という程でも無いようだが……?」
「エルダン様の半分は人間ですので……。
半亜人であることはエルダン様の強みでもあるのですが、同時に弱みでもあると言う訳でして……。
象人族と人間では必要な食事量やかかる病気、睡眠などの生活習慣などで大きな違いがあります。
その為エルダン様のお体には様々な不都合が起きてしまうことがあり……エルダン様が象人族にしては小さく人間にしては恰幅が良いのもその不都合の一つという訳です。
先程から行われているあのような奥様方のお世話もエルダン様の生活には欠かすことが出来ません」
私の疑問にそう答えたカマロッツはその世話についての説明を一つ一つ指で指し示しながらにし始める。
大きなベッド型の馬車は疲れの溜まったエルダンが不意に眠りに落ちて、不意に怪力での寝返りを打ってしまった時の対策で作られた物なのだそうで……普通の馬車は既に数台壊してしまっているらしく使えないのだそうだ。
女性達がエルダンに食べさせていた物はエルダンに必要な薬を混ぜ込んだ栄養食、扇であおいでいたのはエルダンが体温調節を苦手としているから……なのだそうだ。
象人族はその大きな耳を常に動かし続けることで体温調節をするらしいのだが、人間の姿の時のエルダンには当然にそんなことは不可能で、そのまま何もしないでいると高熱になってしまうことがあるのだとか。
ちなみに女性達の歌に関しては純粋にエルダンを喜ばせる為のものであり、体調などには一切関係無いそうだ。
「あの世話はそういう事情だったのか……。
しかしあの女性達は全員がエルダンの嫁なんだよな?
ただ世話するだけなら別に嫁である必要は無いんじゃないか?
王国法では重婚は禁じられているのだし……」
と私が尋ねるとカマロッツは少し難しい顔になって、何から説明したものかと言葉を濁らせる。
そのまましばらく頭を悩ませてから、カマロッツは言葉を選びながらの説明を始める。
「エルダン様の奥様方について説明する為にはエルダン様の夢についても説明する必要が御座いまして……エルダン様は人間と亜人が共に歩み共に生活し、種族の垣根無く皆が幸せに暮らせる世の中を作りたいとの夢……大望をお持ちなのです。
エルダン様自身が半亜人であり、御尊母様が亜人であり……しかしながら王国……カスデクス領での亜人、亜人奴隷の扱いは言葉に出来ぬ程に酷く。
物心の付いたエルダン様は、そんな領内の様子に心を痛めるようになって、そうして大望を抱くようになり……奴隷狩りを行ってきた者達に罰を与え、亜人達を保護するという活動を行って来た……という訳です」
しかし父エンカースは亜人奴隷推進派、その活動の目的を正直に亜人を保護する為だと言う訳にもいかず、表向きにエルダンには強い亜人ハーレム願望がある、ということになっているのだそうだ。
エルダンがハーレム要員を欲して、奴隷狩り達に亜人奴隷を献上せよと命令するのだが奴隷狩り達はそれを拒否、拒否されたことに怒ったエルダンが奴隷狩り達に罰を与えて亜人奴隷達を没収した、というエンカース好みの脚本でもって保護活動は繰り返されて、エンカースはそんなエルダンのことを耳にして領主の息子に相応しい言動だと絶賛したというのだからエルダンの目論見は的中したと言えるのだろう。
老若男女問わずエルダンに保護された亜人達はそんなエルダンの夢と活動に共感し心酔し、しかもエルダンがかつて神と崇められた象人族の血を引いていることを知れば一層深く心酔したのだそうで、その中でも特に女性達は本当にハーレムを作りましょうと口に出す程にエルダンに惚れ込んでしまったらしい。
保護活動は何も成功ばかりではない、失敗することも当然にあって、失敗の現場には悲惨な光景が広がっていることもあり……そんな苦難の道を歩むエルダンは心を痛めることが多々あったのだそうだ。
それでも活動を続け心を痛めながら弱っていくエルダンを見たエルダンに惚れ込んでいた女性達は自分達がエルダン様を癒やしてみせるのだと心を定め、積極性を増して……結果エルダンは多くの女性達をお嫁さんにすると宣言したと……。
ただの女好きのそれとは全くの別物なんだな。
「亜人の方々にとってハーレムは特段珍しいことでは無いのです。
子供がどう生まれるかなどの問題もありますが、活動の表向きの理由に真実味を帯びさせる効果も期待出来ますし、ネハ様もエルダン様のハーレムには賛成なさったので止める者も無く……という訳なのです」
そんなカマロッツの言葉に私はなるほどな、と頷くしかなかった。
これは余所者がどうこう言う話では無いのだろうしな。
しかし、鬼人族も重婚には肯定的だったし……そう考えると一人を愛せと教える王国の方が少数派だったりするのか?
だが両親には特にそれについては厳しく言われて来たからなぁ……たくさんの嫁だとかは私には無理だろうな。
これで大体聞きたいことは聞けたかな?とカマロッツの話を整理していると、隣で一緒に話を聞いていたアルナーが少し良いか?と声を上げる。
「……ディアス、カマロッツ、口を挟むようで悪いが気になったことがあるから一つ質問をさせてくれ。
どうしてエンカースはエルダンを自由にさせたんだ?いくら見た目が人間だと言っても奴隷の子、亜人の子なのだろう?
エンカースは亜人を奴隷にしたがっているのでは無かったのか?」
アルナーのその疑問におお、言われてみればそれもそうだな!と私が驚いていると、カマロッツは苦笑しながらアルナーの質問に答え始める。
「それについてはなんと申し上げたら良いのか……。
ネハ様はエンカースの奴隷であり、エンカースの妻室では御座いません。
エンカースの妻室はジャニアという名の、人間の女性で御座いまして……。
エンカースとジャニアの子の長男ジャーニはエンカースにとても良く似て……その醜悪さと性根の悪さは領民の間で噂になる程で御座いました。
エンカースは自分によく似たそんなジャーニのことを良くは思っていなかったようでして……大層な美男子の……人間のお姿のままにお生まれになったエルダン様を一目見たエンカースは、この子こそが我が子であると、自分の全てを受け継いだ理想の子であるとそれはもう領内を上げての大騒ぎをしたのです」
そうして亜人の子であることは周囲にも本人にも伏せられたままエンカース達に育てられることになったエルダンは、奴隷として使用人として側で見守るネハが自分の母であるとは気付かないまま日々を過ごしていたそうだ。
だが5歳のある日、一人で遊んで居たエルダンがふとしたきっかけで自分の耳と鼻が変化することに気付き、その耳と鼻がネハそっくりだということにも気付いて、ネハが自分の母であると気付いたのだそうだ。
それからエルダンは積極的に、しかしエンカースに隠れながらネハと母子の交流を深めていったらしい。
例の夢、大望を抱くきっかけはこの母子の交流にあったのだそうだ。
アルナーはその話を聞いて、エンカースの所業になんとも呆れ果てたという顔になり、私もまた同様の理由で開いた口が塞がらなくなってしまう。
自分に似た子を嫌い、自分に似ない子を優遇し……しかしそこに全く愛が感じられないというのがまたなんとも凄まじい。
「エルダン様はいつかネハ様をそんな境遇から救い出そうと、そして大望を叶えようと懸命の努力を重ねるようになりましてその結果、様々な分野で才覚を発揮するようになったエルダン様は、エンカースにも気に入られ嫡男として期待されるようになったのです。
当然ジャニアとジャーニはそんなエルダン様のことを邪魔に思い、憎悪し、あの手この手の妨害や嫌がらせを繰り返し、エルダン様はそれでもネハ様の為、夢の為に負けるものかと奮闘を続けて来た……とそういう訳なのです」
カマロッツがエルダンの話をする時は自分で気付いているのかいないのか余程にエルダンの事が誇らしいのだろう、その声色は弾むような暖かい声色となり、一方エンカースやジャーニ達の話になると、その声色は低く響く冷たい声色になる。
そして今の話をした時はとても冷たい声色となっていて……妨害と嫌がらせという単語で済まされたジャーニ達が仕掛けたそれは余程の内容だったのだろうということが想像出来る。
「なるほどな……。
内乱騒ぎがあったと聞いたが、それはもしかしてエルダンとジャーニの後継者争いだったのか?」
私がそう尋ねると、カマロッツは少しだけ口ごもる。
「いえ……エルダン様はただ大事な人々を守ろうとしただけなのです。
ジャニア達は嫌がらせの中で得た情報でエルダン様の活動の真の目的、エルダン様の意図に気付いてしまい……当然エンカースにもその話は伝わりまして……。
話を聞いたエンカースは激怒、エルダン様とネハ様と亜人達も皆殺すとの宣言を出し……エルダン様は大事な人々を守る為にとエンカース達を討つことを決意されたのです。
傍目には後継者争いに見える戦いだったかもしれませんが、エルダン様は領主の立場を何がなんでも欲した訳では無く、皆様と幸せに生きたかっただけなのです……!」
拳を握り込みながら語気を荒らげるカマロッツ、エルダンは争いを望んでいた訳では無いと、そういうことか……。
しかし戦いは、内乱は始まってしまって、領内の人々はエンカースを支持するか、エルダンを支持するかの選択肢を迫られたそうだ。
が、人々はあっさりとエルダン支持を表明、エンカースに近い立場の従者達までもがエルダンに味方したというのだからエンカースの人望の無さが伺える。
エルダンのことを普段目にする人々が知るエルダンの欠点はハーレム願望くらいのもので、真面目に暮らし、努力を重ね、普段から領民を思いやる姿を見せてたエルダンが支持されたのは当然のことだったと自慢気に語るカマロッツ。
マヤ婆さんの住んでいた村にエルダンの悪い噂ばかりが広がって、良い方の噂が広がらなかったのは……人が悪い方の噂を好むからということなのだろうか?
「エルダン様とお味方の皆様は協力しあいながら懸命に戦い、あちらに多数の裏切り者が出たこともありまして、ついにエンカース達を討ち取るに至り、王都の許可がまだ無い状態ですので自称ではありますが、エルダン様は自らがカスデクス領の領主であることを宣言したのです」
それからエルダンはすぐに政務に取り掛かり、領内を落ち着かせ、建て直していきながら領内を外敵から守る為にと周囲の情報収集も積極的に行い始めて、その情報収集の途中で私がこの草原に居るとの話を耳にし、そして私に会いに来たとそういうことらしい。
カスデクスの家に長年仕えていたカマロッツが耳にし目にし、エルダンの側で記憶して蓄えて来た怒涛の如くの物語。
それを満足いくまでに語れたとカマロッツは満足そうに溜め息を吐いている。
全く以って凄まじいとしか言えないエルダンの生い立ちの話の数々に私もまた溜め息を吐いてしまう。
そんな物語を紡いで来たエルダンに憧れてるだとか会いたかっただとか言われてもただただ決まりが悪いだけで、自分みたいな人間にと申し訳無さまで感じてしまう。
居たたまれなさから頭を掻き、何処を見るとも無く周囲へと視線を巡らせて、アルナーのことをふと見れば、エルダン……というよりエルダンのことを甲斐甲斐しく世話する女性達のことを見つめながら、密着とも言えるエルダンと彼女達の距離感を羨ましそうにしていて……ああ、うん、アルナーの興味はそっちか。
アルナーと、アルナーの視線を追う私の視線に気付いて、そこそこに体力を戻せたらしいエルダンがもじもじとしながらこちらへと近寄ってくる。
「ディアス殿、先程は申し訳無かったの。
とても無礼なことをしてしまったの。
……僕は見たこと無かったの、亜人をちゃんとしたお嫁さんにする人を僕は見たこと無かったの。
亜人がお嫁さんでお子も亜人で、アルナーさんはとても幸せそうなの、アルナーさんがそうならきっとお子達も幸せなんだと思うの。
そんなアルナーさんを見て僕は勘違いしてしまったの、少し暴走してしまったの。
僕と同じ夢を持つ同志だ、仲間だなんて言ってしまったの……ちゃんと確認もしていないのにそう言ってしまったの……」
エルダンはそんなことを口にしながら、長い鼻を上下に揺らし耳をパタパタと動かしながら……何かを言いたげに私のことをじっと見つめてくる。
エルダンが何を言おうとしているのかはわざわざ問うまでも無いことで……ならばちゃんと応えるべきだろうと私はエルダンのことをじっと見つめ返しながら口を開く。
「エルダンの夢には私も賛同するぞ。
私の住む村では既に人間と亜人が入り混じって平和に暮らしているからな、あの光景が国中に広がっていくというのは素晴らしいことだと思う。
同志だなんて大層な存在にはなれないかもしれないが、応援するし、出来る限りの手伝いもしよう。
……それとエルダンの夢は本当に立派な夢なのだからもっと胸を張って堂々とした態度でも良いんじゃないか?」
私がそう言うとエルダンはまたも泣きそうになって、それでも必死に涙を堪えてみせて、もじもじとするのを止め、鼻を大きく振り上げながら堂々と胸を張ってみせる。
すると今度はそんなエルダンのことを見たカマロッツとエルダンの嫁達が大きく声を上げて、泣き出してしまって……結局そんな涙に釣られてエルダンは堂々と胸を張りながらも一筋の涙を流してしまうのだった。
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