第25話 来訪者カスデクス その2


 馬上のカマロッツが走り去ってからしばらくして、カマロッツが走り去ったその方向から現れたソレを目にした時……私はまさかと自分の目を疑った。


 木の軋む音と女性達の歌声を響かせながら大きなベッドが草原を移動してくるというその光景は、誰が見たとしても我が目を疑うに違いない。


 もしかしたらあのベッドはベッドでは無く馬車なのかもしれない、何しろベッドの土台には車輪がついていてそんなベッドを4頭の馬が引いたりしているのだから……。


 ベッドなのか……馬車なのか……いっそベッド型馬車とでも呼ぶべきだろうか。

 

 ベッド型馬車の上には透き通った白い布を垂れ下げる立派な天蓋があり、そんな天蓋と白い布に覆われたベッドの上には数々のクッションや色とりどりの花びら、そして枕などが置かれている。


 そんな寝具の中心には恐らくエルダン・カスデクスだと思われる丸々と太った男がどっしりと座っていて、その周囲には10人程の女性達の姿。


 女性達は誰もがゆったりとした全身を覆う白いドレスに身を包み、白い布を頭に被りそれを顔全体に巻きつけることで目以外の部分を覆い隠している。


 そんな女性達はカスデクスに何か食べさせてみたり、扇であおいでみたり、歌声を上げてみたりとあれやこれやとカスデクスの世話を焼いていて……いやはや、多くの女性を侍らせているとは聞いてはいたが実際に目にすると凄まじい光景だな。


 そんな有様のエルダン・カスデクスは想像していたより随分と若く15・6歳くらいのように見える。

 エルダンは顔だけを見れば色男と言って差し支えのない顔立ちで……独特の形に整えられた茶色の短い髪をしていた。

 丸々と太った体は白い布で作られた服に覆われていて……その服の上から太陽のようなシンボルの描かれた布を体全体に巻き付けたりしている。

 

 ベッド型馬車の周囲には馬に乗ったカマロッツに、同じく馬に乗った護衛と思われる剣や槍などを手に持った鎧姿の女性達が5人。


 護衛まで女性なのかとの驚き半分、呆れ半分の気持ちでそれらを眺めていると隠蔽魔法で姿を隠しているアルナーから囁き声での報告が入る。


(あの樽のような腹をしている男は強い光りの青、周囲の女達は薄い青だったり白だったりだが赤は居ない。

 護衛達は全員白だ)

 

 あんな男なのだから当然に鑑定の結果は赤なのだろうし、さっさとお帰り願って……って、ん?青?

 今、アルナーはカスデクスは青だと言ったか?


(私がディアスと初めて出会った時程では無いが、相当に強い青だな、あの男は)


 全く予想だにしていなかったアルナーのその報告に私はまさかと驚き、呆然としてしまう。

 アルナーの言葉を疑う訳じゃないが、まさか噂のエルダンが青という結果だとは……。


 私がそうやって呆然としているうちにベッド型馬車は私達の目の前へと到着して、到着と同時にエルダンは何故だか焦った様子でベッド型馬車から飛び降りてドタバタと腹を揺らしながらこちらへと駆け寄ってくる。


「申し訳なかったの!申し訳なかったの!

 勝手に領地に入ってしまって本当に申し訳なかったの!

 ディアス殿を怒らせるつもりは無かったの……僕はただ憧れのディアス殿に一目会いたかっただけであるの」


 エルダンは甲高く響く声での独特の……どこかペイジンのことを思わせる口調で言葉を続ける。


「僕の名前はエルダン・カスデクス、エルダンって呼んで欲しいの。

 救国の英雄ディアス殿のことは子供の頃から知っているの、たくさんたくさん戦場での活躍のお話を聞いたの!

 だから僕はディアス殿のことを尊敬していて、とっても憧れているの!

 頑張って頑張って領主になってみたら、お隣の領主がディアス殿だなんて奇跡みたいだと思ったの!

 それで会いたくなってしまったの、仲良くなりたくなってしまったの。

 本当にそれだけなの、悪いことは絶対にしないの……だから怒らないで欲しいの、そんなに睨まないで欲しいのー……」


 最後には消え入るような声になってしまっていたエルダンの顔は今にも泣き出してしまいそうな程に不安の表情を浮かべている。


 あー、いや……怒っているつもりは無かったんだが……強く睨んでいたせいでそう思わせてしまったか。

 ……先程カマロッツが何やら焦っていたのもそのせいだったのだとしたら……あまり褒められた態度では無かったなとガシガシと自分の頭を掻いて反省する。


「あー……こちらこそ申し訳なかった、エルダン……殿。

 怒っていた訳では無いんだ……突然の来訪者に警戒していたもので、つい、な。

 どうやら私はカマロッツ殿にも失礼な態度を取ってしまっていたようだ」


「良いの良いの、呼び捨てで良いの、エルダンって呼んでくれて良いの。

 カマロッツのことも呼び捨てで良いし、失礼だとか気にする必要なんて無いの。

 僕はディアス殿と仲良く出来たらそれで良いのー」


 私が謝罪の言葉を口にするとそれで安心したのか、エルダンは笑顔となって腹をプルンプルンと揺らしながらそう言ってくれる。


 その態度と笑顔を見るにエルダンはどうやら本当に青のようで、私と仲良くしたいが為に此処へとやって来たというのもどうやら嘘では無いらしい。


 隣領の領主と仲良くしたいというのはこちらも同じこと、女性を侍らせているあのベッドの有様だとか色々と言いたくなってしまう部分もありはするが……余所者である私が言うことでも無いだろうと言葉を飲み込んで、握手でもしようかとエルダンへと近寄ろうとするとエルダンが私の隣へと視線をやりながら口を開く。


「ところでディアス殿、隣のお嬢さんは誰であるの?

 ディアス殿とおんなじ匂いがするからもしかしてお嫁さんであるの?

 それなら紹介して欲しいの!

 僕も16人もお嫁さんが居るからお互い紹介し合うの!」


 隣のお嬢さん?ああ、アルナーのことか。

 アルナーは嫁ではなくて婚約者―――いや、待て、今エルダンは何と言った?!

 エルダンには隠蔽魔法で隠れているアルナーのことが見えているのか?!


「そこに居るお嬢さん、とっても隠れんぼがお上手なの。

 でも僕は耳と鼻が凄く良いからそこに居るのが分かっちゃうの、お嬢さんはディアス殿と一緒の優しい良い匂いであるのー」


 何気なくそう言い放つエルダンの様子に悪意は感じられず、その顔もニコニコと裏のない笑顔を浮かべている……が、その言葉は私を激しく動揺させる。

 

 まさか隠蔽魔法を破ることが出来る人間が存在するだなんて考えても居なかった。

 そこにアルナーが隠れているのだと分かっていても、気配の欠片も感じ取ることが出来ないのが隠蔽魔法だ。

 それをまさかエルダンが破ってしまうとは……。

 

 私は懸命に、必死に頭を働かせてどうにかアルナーのことを隠す方法は無いだろうか、誤魔化す方法は無いだろうかと思考を巡らせる、のだがそんな都合の良い答えを私が見つけられるはずも無く、思考は空振りに終わってしまう。


 私がそうして無駄に時間を使っていると……私やエルダンが何かを言うよりも先に観念してしまったらしいアルナーが隠蔽魔法を解いて姿を見せるという暴挙に出てしまう。


 隠蔽魔法を解いたアルナー……と言うよりもアルナーの額に生える角のことを見るなりにエルダンと、エルダンの背後に控えていたカマロッツや女性達もが目を見開きながらに驚愕して、驚きのあまりに声も出ないようだ。


 一行の中でも一段と激しく驚愕し、その表情をこれでもかと歪めているエルダンは、全身をわなわなと震わせ、耳と鼻をピクピクと痙攣させたりしながら言葉を絞り出すようにしながらゆっくりと口を開く。


「……そ、そのお嬢さんは、だ、誰であるの、何者であるの?

 な、な、なんというお名前で、なんという種族で、ディアス殿とはどういう関係であるの?!」


 エルダンは言葉を絞り出す度に声を上擦らせていって、言葉の最後の方には悲鳴のような声となってしまっている。


 エルダンのそんな尋常では無い様子に私は警戒心を強めながらもここはしっかりと私達がどういう関係であるか示すべきだろうと口を開く。

 

「アルナーは私の婚約―――」

「私はアルナー、ディアスの嫁だ」


 私の言葉を遮って、私の声より何倍もの大きい声でそう言い放ってしまうアルナー。

 そんなアルナーの言葉を耳にしたエルダンは体の震えを一層強くして、アルナーのことをじぃっと見つめながら言葉を続ける。


「あ、アルナーさんのその角は生まれつきであるの?

 アルナーさんは亜人であるの?」


「私は鬼人族でこの角は生まれ付きだ、亜人という言葉は初めて聞いた言葉なので答えられない」


「亜人は人間以外の人間に近い種族を指す言葉なの。

 獣人、魚人、そういった種族は全て亜人と呼ぶの」


「そうか、なら私は亜人と言えるだろう」


 アルナーのその言葉に対するエルダンの反応は更なる驚愕……では無く硬直だった。

 目を見開いたまま、瞬きもせずに震えることも止めての硬直。

 そんな硬直がしばらく続いたかと思ったら見開かれたままの目からポロリポロリと大粒の涙が溢れ始める。


「うぉぉぉおぉぉん、うぉぉぉぉぉぉおぉぉん!!」


 涙を流しながら大声を上げ始めたエルダンのそれは号泣となって、号泣したままにエルダンはこちらへと駆け寄ってくる。


 いきなりのエルダンのその行動にアルナーに何かするつもりなのかと私がアルナーの前に立って身構えれば、エルダンはアルナーには目もくれずに……駆ける勢いそのままに私に狙いを定めて飛びつき、抱きついてくる。


「ディアス殿ぉぉぉ、ディアス殿ぉぉぉ、お子は、お子はどうであるの?

 アルナーさんとの間のお子は亜人であるのぉぉぉ?!」


「ぐうっ……おいっ、待て待て待て、なんで私に抱きつくんだ、なんで泣いてるんだ?!

 アルナーとの間に子はまだ居ない!居ないから落ち着け!!」


「ディアスと私の間にまだ子は居ないが、ディアスは……恐らく亜人だと思われる孤児を2人、引き取って育てているぞ」


 あっ、こら、アルナー、余計なことを言うんじゃない!

 相手がいくら青だと言ってもセナイ達のことは隠すべきだろう!


「亜人のお子を育てているの?!

 ディアス殿は亜人がお嫁さんで、亜人がお子であるの?!

 うぉぉぉおぉぉん、うぉぉぉぉぉぉおぉぉん!

 お母様ぁぁーー、お母様ぁぁーーー!

 ここにも仲間が居ましたぁ、同志がいましたぁぁ、お母様がよく話してくださるディアス殿がその人でしたよぉぉぉぉ!!」


 エルダンがそんなことを叫びながら一層激しく号泣し始めると、何故だかカマロッツや女性達もが泣き始めてしまって、シクシクとすすり泣くそれらの声達がエルダンの号泣との合唱を始める。


 一体何故エルダン達は泣いているのか、エルダンの今の言葉に一体どんな意味が込められているのか、そんなことを考えながら号泣騒動の中心で私が困惑していると……その騒動を上回る、いや、上回るどころでは済まないとんでもない事態が起こってしまう。


 何がきっかけでそうなってしまったのか、号泣を続けるエルダンの耳が突然大きくなってしまったのだ。


 いや、大きくなったというのは正しくない、丸くて薄くて大きな耳に変化したと言うのが正しいだろう。


 エルダンの変化はそれだけでは終わらなかった、耳が変化した次の瞬間にはエルダンの鼻に長い何か……腕のような物が生えて来て、長く伸びるそれはグニャリと曲がったかと思えば私の腰へと巻きついてしまって、凄まじい力を発揮しながら私をグワリと持ち上げてしまう。


 謎の腕によって宙に持ち上げられてしまった私はどうしたものかと右手で握る戦斧をじっと見つめる。


 戦斧をこの灰色の腕に叩きつけさえすればそれで私は解放されるのかもしれない、が……まるで赤ん坊のように号泣し続けるエルダンを攻撃するのはどうにも躊躇われて、戦斧を握る手に力が入らない。


 謎の腕はただ私を持ち上げているだけで、何か私を害しようだとか攻撃しようだとかの様子を見せていないということも私に攻撃を思い留まらせてしまう。


 近くでそんな状態の私のことを見つめているアルナーもまたエルダンを攻撃しようとは思っていないようで、だがどうにか私をその腕から解放出来ないかと思案顔になっている。


 そしてそんな私とエルダンの様子を見たカマロッツは慌てながらにすすり泣くのを止めて、エルダンへと駆け寄って。


「エルダン様!エルダン様!

 鼻を!鼻を落ち着かせてくださいませ!

 エルダン様のお鼻がディアス様を持ち上げてしまっています!!」


 と、とんでもないことを口に出す。

 は、鼻……?

 いや、確かに鼻があるべき位置から生えてはいるが……この腕がよりにもよって鼻だと言うのか?!


 私とアルナーはカマロッツのその発言に驚くやら何やらで最早言葉も声も無く、ただただ呆然としてしまう。


 お鼻を、お鼻を落ち着かせてくださいと繰り返されるカマロッツの言葉は号泣し続けるエルダンの耳には中々届かなかったようで、結局エルダンが泣き止み落ち着きを取り戻し、そして私を解放してくれるまでには結構な時間がかかってしまうのだった。


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