第19話 第四の来訪者、行商人

 

 領民集めの方策の話し合いが行われた翌日の昼、私は小川近くに腰掛け、小川の流れを眺めながらフランシスとフランソワのことを撫で回していた。


 まずは頭をゆっくり撫でてから、毛を押し付けるようにしての撫で方で、首、背中へと手を移動させていく。


 フランシスはやや乱暴に力強く撫でて、フランソワは優しくふんわりと撫でる。

 別にフランシスにだけ意地悪している訳ではなく、フランシス達がこの撫で方を好むのだ。


 それと好みとは関係なくフランソワのお腹を撫でる時は出来る限り優しく慎重に。

 フランソワの妊娠が判明してからそろそろ一ヶ月が経つ、まだ目立つ程に大きくなってないとはいえ、膨らみを感じる程度には子供が育っているようだし、十分に気をつけないといけない。

 

 メーアの妊娠期間は五ヶ月程という話なので今が春なのを考えると出産は秋頃か。

 秋になる頃、この領、そしてイルク村はどうなっているんだろうなぁ。

 領民はどれくらい増えているのだろうか、新しい村が出来ていたりするのだろうか、領民が減っているというのは……あまり考えたくは無いな。 


 昨日の話し合いを経ての領民集めは一応に動き出している。


 クラウス発案の領民募集の看板を隣領近くに立てるだとか、アルナー発案の行商人が来ることがあったら金を払ってこの領を宣伝して貰うだとかは特に問題も無いのでやるだけやってみようと言うことになって、看板作りの方については既にクラウス主導で始まってたりもする。


 だがそれはすぐに領民が集まるというものでは無く、確実に領民が集まるというものでも無く……何かもっとこう、良い領民集めの案は無いものかなぁ。


 ……そういう意味ではマヤ婆さんの出した案……私がすぐさま却下したあの案が手っ取り早く最適解なのかもしれないが……しかしアレはなぁ……。


「なんだい、ディアス坊や、あたしのことを呼んだかい?」


「う、うおぅっ?!

 ま、マヤ婆さんか?!

 いや、呼んだも何も私は声すら出してないんだが……」


 音も無く気配も無く、突然に私の横に現れたマヤ婆さんの登場に私は驚いてしまって、フランシス達を撫でる手の動きを思わず止めてしまう。


 フランシス達が撫でるのをいきなり止めるんじゃないとの抗議の角突きをゴッゴッと私の脇腹に繰り出す中、マヤ婆さんはゆっくりと口を開く。


「……そうかい、なんだかディアス坊やが呼んでる気がしたんだが気の所為だったかね。

 それはそれとして坊や……昨日の話の続きなんだけどね、どうして奴隷は駄目なんだい?

 ドラゴンの素材を売って大量に奴隷を買えば領民なんてあっという間に増えるだろう?

 何故そうしないんだい?」


 そう、マヤ婆さんの出した案というのは奴隷の購入のことだった。


 幼い頃に売り払われた者、重い罪を犯した者、返せない程の借金を重ねた者、あるいは囚われた異民族などが人間として扱われなくなり道具として扱われ、そんな扱いが死ぬ時まで続く生き地獄……それが奴隷制度だ。


 奴隷はそう高く無い値段で買うことが出来る、それこそあっという間に村一つ分の人数を揃えることも可能だろう……だが私は……。

 

「奴隷……というか奴隷制が好きじゃないんだよ。

 戦場で何度か奴隷兵を見たがそれはもう酷いもんだった。

 皆が皆、やせ衰えていて、若い奴隷は満足に体も成長していなくて……戦いの先に抱く希望も何もないもんだから、生きようとすらしない。

 戦場で早く死んで楽になりたいと敵の剣に飛び込んで刺さりに行く奴隷もいたくらいだ……」


「……それなら坊やが奴隷達をひどい扱いをしないであげたら良いだけの話じゃないのかい?」


「買うこと自体が問題なんだ、奴隷商人に金が回れば新たな奴隷が生まれてしまう。

 ここで奴隷が売れると知れば尚更だろう。

 奴隷商人になるような連中が法を正しく守って奴隷集めしているとは到底思えないしな。

 ……うちの領では奴隷を持つことも売ることも禁止したいと思っているよ」


「そうかい、そうかい。

 ……良かったよ、坊やが奴隷を嫌いで。

 あたし達も奴隷は嫌いだからねぇ……一安心一安心」


 そう言ってヒェッヒェッヒェと笑うマヤ婆さん。

 私はそんなマヤ婆さんに何を言ってるのだと驚きながら声を上げる。


「は、はぁ?!

 嫌いならなんで奴隷だなんて案を言い出したんだ?」


「ここに人が増えて行くうちに、誰かが奴隷推進だなんてことを言い出してしまうんじゃないかと心配したんだよ。

 そうなる前にあたしが言ってしまって、それで坊やを奴隷反対の方に誘導して領法で奴隷を禁止に……なんてことを考えていたんだけど、どうやらその必要も無さそうで良かったよ」


「それならそうと回りくどいことをせずに、そうしてくれと言ってくれたら良かったのに……」


 マヤ婆さん達はアルナーの魂鑑定で皆が青だったし、青の人から何か提案があれば私は前向きに受け入れるんだがな。


「そうだね、坊やの言う通りだよ。

 ごめんねぇ。

 カスデクスのことがあったからどうしても悪い方に考えてしまってねぇ。

 気持ちが焦ってしまったのかもしれないね」


「カスデクス……隣の領主のことか?

 確かクラウスが酷い領主だとかなんとか言っていたような……」


「その通りだよ。

 領主として褒められたもんでは無いのは勿論、領主と長男は奴隷狩りを趣味だと公言して憚らない碌で無し。

 次男は次男で女奴隷を集めて侍らせている碌で無し。

 あそこで住んでる間はそれはもう奴隷に関わる酷い話ばかりを耳にしたもんだよ……」


 そう言いながらじっと私を見つめるマヤ婆さんの目は……静かに揺れていた。

 私はその目をじっと見つめ返して。


「この領はそんなことにならないから大丈夫だ」


 と強く頷く。

 そんな私を見てマヤ婆さんは満足そうに笑って、ありがとうねとの一言を残してからユルトに戻ろうとゆっくりと歩き去る。


 マヤ婆さんのことを見送りながら……マヤ婆さんの言葉を噛み締めながら私はフランシスとフランソワのことを撫で始める。

 二人共、マヤ婆さんと話してる最中も角突きを繰り返すのは流石に反則じゃないかな?

 あれだけやられたら、きっと私の両脇腹は痣だらけだぞ?

 会話に夢中でおざなりにしたのは悪かったが、それにしたって限度ってものが……ああ、うん、分かったよ、撫でるよ、撫でたら良いんだろう。


 今日はもうこれといって用事も無いし、残りの時間はお前達の為に使うよ。

 ……ってアルナーがこっちにやってくるな……確か今日は家事で忙しいと言っていたはずだが……もしかして……また来客か?


「ディアス、行商人達がようやく来てくれたそうだ、村での取引を終えてもうすぐこちらにも来ると村の男衆が知らせてくれた」


 鬼人族の村に来ているという行商人、以前アルナーに行商人について質問した時は何も答えてくれなかったものだが、もうその時の警戒心に満ちた態度は何処へやら、だな。

 さて、我が村にとって待ちに待った行商人だ、食料に薬草に道具各種を売って貰うだけでなく、領の宣伝もして貰う予定の行商人。

 つまりそれは大事な大事なお客様な訳で、当然私が顔を出す必要がある訳で……。

 だからフランシスにフランソワ、そんなに怒らないでくれ……角突きの威力が上がってるぞ、痛い痛い。


「まぁまだ到着までは時間がある。

 それまではディアス達はそのまま遊んでいてくれ。

 私はクラウス達に知らせたり倉庫の在庫の確認をしてくる」


 お怒りのフランシス達の様子を見てアルナーが苦笑しながらそう言ってくれる。


「そ、そうか。

 悪いなアルナー、色々任せっきりで。

 行商人との取引が終わったら私も家事を手伝うよ」


 私がそう言うとアルナーは笑顔を見せてくれながらこの場を立ち去って……そして私はフランシスとフランソワをこれでもかと二人が満足するまで撫で回していく。


 撫でて撫でて撫で回して、いい加減に手が疲れたなという辺りで鬼人族の村がある方向の草原の向こうに行商人と思われる一団が現れる。


 車輪の回る音と馬の鳴き声と……荷物が揺れる音や何かが揺れるカランカランという音を上げながら、こちらにゆっくりと近付いてくる行商人の一団。

 それをよく見ようと立ち上がり、背伸びをしながら目を凝らす。


 大きな黒毛の馬二頭が引く幌馬車はかなりの大きさで、その周囲を護衛が囲んでいる。

 幌馬車の屋根には吊るされた鐘があって、馬車が揺れる度にそれが揺れてカランカランと音を出している。あの音で客に商人が来たぞと知らせているのだろうか?

 そんな馬車が段々と近付いて、その姿をはっきりと視界に収めた瞬間から私はその馬車から目が離せなくなって……そのまま硬直してしまう。


 馬車……というか、馬車の御者台に居る御者から目が離すことが出来ない。護衛は恐らく普通の人に見えるので問題無いのだが、しかし御者のあの姿は一体……。


 何かの獣の革で作られたらしい茶色の服を身に纏い、背の高いブーツで脚を覆って、頭の大きさに比べてかなり小さい帽子を被りながらゆっくりとこちらに向かってくる……カエル頭。

 ピョコンと顔の上に乗った目に、左右に大きく広がるでかい口に緑の肌。


 顔がカエルに似ているとかそういう話ではなく、間違いなくにアレはカエルで、カエルが服を来て馬車を操っている。


 私がそんなカエル人間達から目を離せないでいると……クラウスが様子を見るためかこちらへと駆け寄ってきて、


「へはっ?!」


 とそのカエル人間を見るなりに驚きの声を上げて硬直してしまう。

 行商人がどんな商品を持って来たかと見に来たマヤ婆さん達もカエル人間を見るなりに悲鳴のような驚きの声を上げ始めて、ざわつき始める。


「ああ、やっと来たようだな。

 あれがフロッグマンの行商人だ」


 と最後に現れて、私達のそんな様子に気付きもせずになんでもなさそうに言うアルナー。

 フロッグマン……。そんな人種も存在するんだな……。

 というかアルナー、それならそうと事前に一言欲しかったぞ?

 いきなりあの見た目は心臓に悪いにも程があるよ。


 そうしてフロッグマンは驚愕し硬直したままの私達の目の前まで馬車を走らせて来て……ゆっくりと速度を落としていって馬車を停止させる。

 馬車を止めてから吸盤が先端についた指で馬たちをひと撫でしたフロッグマンは御者台から降りるなり、護衛達と共に一列に並んで見せて……帽子を脱ぎ行儀よく頭を下げながら挨拶を始める。


「やぁやぁ、あんさんが噂のドラゴン殺しのディアスどんですかい。

 あっしは行商人のペイジン・ドと言うモンです、お会い出来て光栄でさぁ。

 今日は色々と珍しいモン持ってきましたんでん、今日は良い取引をさせてくだせぇや」


 ゲコゲコゲコと独特の音を声と同時に膨らむ喉の奥で鳴らしながら、男を思わせる低い声で声を発するフロッグマン。


 私はペイジンと名乗ったフロッグマンにどうにかこうにか挨拶を返して、その顔を……その姿をじっと見つめながら、世界の広さというものを痛感するのだった。

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