愛の話はしていない (6)
「さて、他には何かあるのかしら。今宵は伝家の宝刀『頑張る』が冴え渡っているけれど」
さらに自信たっぷりに言った。俺もそれを覆す論理はもう持っていない。志を二択で迫られているのだ。どちらかといえば、なんて曖昧さも許容する寛容さすら見せつけられた。
しかし、それでもまだ個人的には解消したい疑念があった。ただここまでしてくれている彼女にそれを問うこともできない気がしていた。
「なに? 本当にまだありそうだね?」
まごついていると理沙が優しい声で尋ねた。……情けない。もう隠す方が失礼といった状況になってしまった。
観念して答える。
「理沙は、ええと……俺と一緒にいたいと一応思ってはくれてるってことでいいんだよな?」
「うん、もちろんいたいけど……」
「でもさ、俺は理沙が好きになった俺と違うだろう。今の理沙のことは何も知らない。俺のことを憎んだって不思議に思わない。俺は君から好きになった人を奪ったようなものだ」
なぜ理沙は気にしないでいられるのか。或いは気にしていたとしても強くいられるのか。実際に口にして気付いた。俺は、やはり彼女のようになりたい。不安ではなく憧れとして、知りたいのだ。
「え?」
理沙は何を言われているのか分からないといった風に驚いた。
「良は別人なの?」
「別……いや、どうだろう。本当に別人かと聞かれると、哲学的な問いになってしまうのかなとは思うけれど……でもだからこそ、そう思っても仕方ないという話で」
理沙が傾げる首の角度をさらに深くした。
「んんん……? 良が今の私は好きじゃないってこと?」
「え。いや、そうじゃない」
「えー、じゃあ何?」
「だって……気にならないか?」
「そう?」
気にならないらしい。感覚的な話題であると自覚はあるから、これで伝わらないならば、もう厳しいかもしれない。
「例えば、自分とまったく同じ人物がいたら、その人のことも好きになるのかとか。今回は違うけど、悪意のある人物と入れ替わってしまってもそれでいいのかとか」
「ええ……ちょっと現実との区別がついてないんじゃない? ……あ、そういうのもあり得るようになってしまったのか」
「そういうのではなくても、同じ特徴を持った人物であれば同じように好きになるなら、自分が好きになったものは一体何なのか不安になるだろ」
「うわあ……また面倒くさいこと言ってるなー。私は別にならないよ。でも、まあ良は確かに気にしそうだね」
呆れた様子で理沙は言った。諦めと慣れがこびりついているような肯定は、しかし好意的に聞こえた。また同じことを繰り返してしまうのではないかと、少し焦りを覚えた。
「ああ、ごめん……違うんだ。そういうことじゃないんだ。なんだろう。そんなことじゃないんだ」
「うん。じゃあ、どういうこと?」
俺の発言を終わりまで待って、理沙が素直に聞いた。
少し考えてみたが上手くまとまらない。結局曖昧な質問を投げかけることにした。
「…………理沙は俺についてどう思ってるんだ?」
「良のこと? 好きだなーとか」
理沙はわざとらしく言って、こちらにちらりと流し目をやった。
「……ありがとう。でも、そういうことじゃなくてだな」
意識的に淡々と答えると、理沙がくすくすと笑った。
「まあ実はそんなに冗談でもなくてね。良だなーって思っているし、この人のことが好きだなーって思っているんだよ」
冗談ではないとしても、謎かけのようにしか思えない回答ではあった。理沙としてもそれ以上言語化できていないのかもしれないし、単に区別はしていないというだけなのかもしれない。
「……それ以外には何か考えたりしないか? 俺はやっぱり自分の感じたことをそのまま信じるのは怖いと思うし、とても難しいと思う」
「そうかもしれないね」
落ち着いて理沙が言う。今更罪悪感に襲われた。これでは理沙への気持ちを、或いは理沙の気持ちを疑っていると言っているようなものだ。
「……ごめん」
「なんのこと? というか、謝らなくていいよ。私の答えも別に情熱的なものじゃないし」
理沙が無理矢理に笑顔を作る。悲しみとも怒りともつかない。ただ彼女が真剣であることは分かった。
「さっきと一緒で、良は何が正しいのかとか考えちゃうんでしょう。私はそういうのはどうでもいいと思ってる。それだけ。私、良に幸せになって欲しいと思ってる。だから、そのためにはどうしたらいいのかなとか考えてる。それって幸せとは何かとか愛とは何なのかとかを知っていても結局そうだと思うんだよね。好きだと思ったり、大切にしたいと思った時点で、結局一緒。だから、どうでもいいの」
「自分の好きだと思った気持ちが間違っているかもとは、思わない?」
「うーん……自分の気持ちと向き合い続けるしかないんじゃない? だってそもそも気持ちなんて変わるものでしょう。だから、自分の気持ちと向き合い続けなきゃいけないのはどうしたって変わらないし。だから、結局今どう思ってるかが大事かなって」
最後に「私は、だから」と付け加えて、理沙は自分の考えとして結んだ。
きっと全てを理解できてはいないだろう。しかし、彼女の思考の根幹に触れたという実感はあった。
自分とはまるで順序が逆。聞いて、リサもそうだったのだろうと思った。俺たちは、これからそういうことを理解していくはずだった。
そして、それを今、ひとつ終えたのだろうと思った。
頬を緩めて言う。
「俺は……理沙みたいに強くはいられなさそうだ。自分のことは嫌いだから、全部間違っているような気がしてしまう。俺がまったく同じように思うのは難しそうだと分かったよ」
「そこはお互い様だね。私は良みたいにずっと悩んでるのは絶対無理。でも、そういう風に色々考えてくれるからこそ気付くこともいっぱいあるから。実は、さっきのも昔に良が言っていたことだったりして」
理沙は少し照れてはにかんだ。
実感も記憶もない。だが、そんなことはもうどうしようもないのだろう。これから理沙の助けとなれるようになって、お互い様と言えるようになるしかないのだ。
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