風あざみと陽炎と (7)

 テーブルに向かい合って座る俺たちを、理沙が茶化した。何となく雰囲気が重いのを一目見て察したのかもしれない。

「別に取ったりはしないですよ」

「え、うん。そういうのがあるとは思ってないけど」

 

 なぜか好戦的に答えた圭子ちゃんを、理沙は戸惑い気味にあしらった。

 圭子ちゃんはそれがまた何か不満だったのか仏頂面をした。理沙には背を向けているため見えていない。


「……わたしが言うのもなんですけど、良さんのこと信じてるんですね。何でそんなに信じられるんですか?」


 羨望と挑発が半々に混じったように圭子ちゃんが尋ねた。俺からは表情まで見えた。圭子ちゃんが取り繕うために、羨ましがった雰囲気を出したのだと分かった。だが、あまりに拙い。隠すことを目的とするのではなく、礼儀として装っているのかもしれない。

 理沙は戸惑いながらも照れた素振りを見せた。


「えー、まあずっと一緒にいるわけだし」

「でも世の中のカップルだって一緒にはいるけど浮気とかあるじゃないですか。どうしたらふたりみたいに」

「うーん、なんだろう。まあでも浮気に限って言えば、良はしないだろうね」

「それは分かりますけど……じゃあ浮気以外はどうですか」

「えー、難しいなあ。なんだろう。告白してくれたときに、幸せにしますって言ってくれたからかな」

「でもそんな約束なら世の中の……」

「まあそうだけど、すっと納得できたのも確かにあるのよね。場所とタイミングが良かったのかな。一面の花畑だったんだよ。あれはロマンチックだったわ」

「一面の花畑?」


 ちらりと圭子ちゃんが視線を送ってきた。本当かと問うている。確かにそういうことがあったと言っていた。異世界での俺の行動と偶然にも似た出来事は特別印象に残っていた。圭子ちゃんも異世界で俺が花畑で告白したことは知っている。だから驚き尋ねてきたのだろう。

 しかし、俺に聞いたところでこの世界での事実は俺も理沙に聞いたことがすべてである。確認をして意味があるとは思えないが、一応聞いたことと相違ないので視線を合わせて小さく頷いた。

 圭子ちゃんは目を見開き驚いた。そして急にすとんと顔から感情が抜け落ちると白けた声を出した。

「そういった出来事で信じられるんですね……だったら、記憶喪失になってもまだ信じられるのはなんでですか?」

 理沙が一瞬言葉に詰まった。

「うん、だって良は良だし。全然変わってないもの」

「そこがすごいなって思っちゃいます。わたしだったら、完全にゼロからと同じだから、そんな風に信じられるか……」

「まあ本当に記憶喪失だったら、私も多少は違うと思うけど……」

「『本当に記憶喪失だったら』ってなんですか?」

 狙い澄ましたように圭子ちゃんが理沙の言葉を拾った。もう取り繕うこともしていない。それだけの正義が自分にはあると思っているようだった。

 理沙は圭子ちゃんの突然の態度に困惑しているのか、気まずそうに目を何度も瞬かせた。

「え……あー、良さ、完全に私のことを忘れてたわけではないんだよね。だから全部忘れてたわけじゃないって意味で」


 圭子ちゃんが口を開こうとして止めた。憤然として必死に粗を探しているようだったが、筋は通っていることを理解すると、鼻を鳴らして口をとがらせた。

「それで言ったらさ、ふたりこそ」


 圭子ちゃんが黙ったのを見て、今度は理沙から切り出した。


「短い時間なのに随分仲良くなれたよね。ふたりとも人見知りじゃない? なのにもう何年もの知り合いみたいに仲良く」


 聞いた瞬間に顔が強張った。誰も何も言葉を発さなかった。秒針の音だけが響く。視線の動かし方が分からなくなっていた。何か言わねばならないと理解しながらも、窮鼠と気付いた衝撃を受け止めきれずにいた。それで俺はどうして沈黙が成立しているのかも知らず、ただ自分は被害者であると打ちひしがれていた。


「……似たもの同士で気があったのかな。理沙も、理沙が、共通の話題だし」


 酸素を求めて言葉を吐いた。圭子ちゃんの援護はない。

 恐る恐る理沙の方へと向き直った。


 意外にも理沙は申し訳なさそうな表情をしていた。気遣うようにこちらを見ている。目線が合うと、優しく目許だけで微笑んだ。

 ねえ、と理沙の口が音を発さずに動いた。

 圭子をお願い、続けてそう視線と表情で示した。


「ごめん、牛乳買ってくるの忘れちゃった。ちょっとすぐ行って買ってくるね」


 捨て置くみたいに言って、理沙が足早にその場を去る。

 玄関の扉が大きな音をたててしまった。閉錠の音がした。


 重苦しい空気の中にふたり取り残される。

 圭子ちゃんはまだ呆然としていた。

 誰よりも存在を求めあった部屋で、最も悔やんだ空の器のようだった。


「圭子ちゃん、ごめん」

「良さん」


 声をかけると、憔悴しきった様子の圭子ちゃんが被せるように答えた。


「お姉ちゃんの記憶は……ひょっとしたら戻せるのかもしれません」


 顔を上げた彼女はガラスのような目をしていた。脆く、歪んだ光を湛えている。そこに俺の姿が映っていた。いつか見たマネキンのような少女に似た薄い笑みを浮かべていた。

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