風あざみと陽炎と (6)

 圭子ちゃんが家に来てから三週間ほど経った。自分で言っていた通り、彼女は家にいる間ほとんどテレビを見て過ごしていた。理沙が誘ったときだけ外出をする。それ以外の時間は部屋に籠って本を読んでいるそうだ。そのあまりにゆったりした構え方に俺は少し感心していた。

 自分ははじめとにかく情報を得ようと必死であった。あれほど空回りという言葉が相応しいことはないと思う。自分とは完全に状況が違うとはいえ、圭子ちゃんは端から諦めているようだった。しかしそれでは初日の号泣はなんだったのか疑問ではある。

 ただ、まったく関心がないかというとそんなことはなく、圭子ちゃんは俺に理沙の話をよく尋ねてきていた。


「それにしても良さん、自分の記憶については本当に上手くやりましたよね。わたしだったら異世界の話を出してすぐにやばいことになっていたと思います」

「いやあ……俺も別に上手く躱せたわけではないんだけどね。『もしかして異世界帰りか?』なんて発想は普通ないから何とかなっただけだと思う」

「ばれそうになったこともあるんですか?」

「あった。手紙が一番やばかった」

「……え……手紙? ですか……?」

「最後に理沙に宛てて手紙を書いたんだよ。それを天使にお願いして理沙に渡してもらって。色々大変だったからすっかり忘れてたんだけど、ある日理沙から『良、何か変な手紙書いたりした?』って。異世界のこともばりばりに書いてるから、あの時は本当に頭がおかしくなったと思われても仕方なかったと思う」

「えーと……えーと、それは何で大丈夫だったんですか」

「うーん……いやあ……なんか……趣味でラノベを書いてることになった」


 その晩は雨が降った。翌朝には止んだが、気温がぐっと下がった。まだ厚い雲が垂れこめており、すぐにでもまた一雨がきそうな空模様であった。理沙が「降ってもいいから、行きはもってくれ」と願いながら出勤していった。濡れた折り畳み傘を鞄にしまいたくないそうだ。

 年末にかけて仕事がどんどん忙しくなっていくらしく、最近は帰りも遅くなっていた。仕事が忙しいことによるすれ違いは不安に思っていたことのひとつであったが、今は憂いなく支え合えていると思う。圭子ちゃんと再会できたからこそでは当然あるが、もしふたりだけであったとしても上手くやっていけていたと思える。そのくらい日常には違和感がなくなっていた。


 しかし対照的に圭子ちゃんの様子は不審になっていた。

 手紙に関して引っかかるところがあったようだ。


「手紙は持っているみたいです……」混乱した様子で圭子ちゃんは報告してきた。「一応確認なんですけど、お姉ちゃんは異世界の話とかにぴんときたりしていなかったんですよね?」


 以前は思い出話を聞いてくることがほとんどだったが、以降探るような質問をするようになった。圭子ちゃんはぎこちなさを隠すことも出来ずにいたが、理由は話してこなかった。違和感の輪郭をなぞるような日々がしばらく続いた。理沙からはもう少し待ってみようと話があった。


 その日はある会社の面接を受けてきた日だった。手応えは悪くはなかった。

 帰り道、跨線橋から浜離宮が見えた。雪吊りが設置されている。しばらくその景色を見ていた。花の名前は分からない。昔、ツバキという花を覚えた。友人に得意気に「あれはツバキだね」と言ったら「違う、あれはサザンカだ」と指摘された。その時は必死にツバキとサザンカの違いを叩き込んだ。だが、草花にはそうした似たものがまだまだあるのだと知って、自分には突き詰めるということは向いていないのだと諦めた。今はツバキとサザンカの違いだけは分かる。


 帰宅すると、着替えて晩御飯の準備をした。

 終えてリビングでくつろいでいると、圭子ちゃんが部屋から出てきた。表情は暗い。

 また理沙について聞きたいことがあるのだろう。真っ直ぐに目の前の椅子に向かってきた。


「しっかり思い出して教えて欲しいんですが、良さんが今まででお姉ちゃんの記憶が少し戻りかけているんじゃないかと思ったことを全部聞かせてもらえませんか」


 最近のうちでは最も直截に質問をぶつけてきた。


「記憶が? 例えばどんな感じ?」

「例えばといわれると難しいですけど……お姉ちゃんの発言で何かどきりとしたこととか、ありませんでしたか? 些細なことでもいいんです」


 言われて記憶を最初から辿った。まずは病院で目覚めた。話があまりに噛み合わず、理沙の記憶がないことに気付いた。つまり記憶が戻りかけていた様子はないといえる。

 しばらくはこちらが話を避けていたし、理沙も何となく昔の話を避けていたようだったから何もない。


「再会してしばらくは何だか理沙も過去の話は避けているようだった。単純に気遣いだろうと思っているけれど、邪推して、記憶があるからこそ避けていた可能性……とか」

「なるほど……」

「いや、言っておいてなんだけど、相当捻くれた見方かと思うぞ。ずっと記憶を隠している意味が分からないし、記憶をそもそも失っていないようにはさすがに見えない」

「でも、いいんです。そういうレベルのものでも。他にはありませんか?」

「あとは、そうだな。木刀を伝説の剣と呼んだこととか」

「木刀を? うーん……なるほど」

「まあまあ。捻り出してるんだから」

「ちなみにそれはどんなシチュエーションでしたか?」

「シチュエーションか……」


 説明をしようとした時、玄関の扉が開く音がした。理沙が帰宅したのだ。ただいまと玄関から声がした。「お帰り」と俺が言うと、圭子ちゃんも続いた。


「理沙、帰ってきたけど」

「はい、そうですね」


 話を止めた方が良いのではないかというつもりで問うと、どういうつもりか、まだ話を続ける気のようだった。


「ただ今帰りましたよっと……ん? なにその浮気を詰められてるカップルみたいな状況は」

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