君の背 (4)

 理沙がラジオを小さい音でかけはじめた。車で走り始めてから二十分ほど経っただろうか。山というよりは丘と呼ぶ方がふさわしい景色が続いている。時折、理沙が次の目的地に関わる話を振ってくれる。ハンドルを握っているのは理沙だった。助手席に座る者として話題の提供くらいはしたいのだが、この場所ならではの会話を遮るほどの話はない。それは沈黙を忌避して話題を提供するほどに会話が不足していないということであり、理沙の行為もおそらく不快な状況を打破する目的のものではないはずだった。


「ねえ、ピスタチオってどう思う?」


 理沙が切り出した。次の目的地は牧場だった。併設されている施設で提供されるジェラートが人気であるらしい。つい先ほどまでの話題は「詳しい内容を知らぬまま記号として消費する行為の功罪について」だった。ドナドナから辿り着いた。初デートとはこれでいいのかは分からない。


「ピスタチオ?」

「好き?」

「好きなわけではない……と思う」


 食べたことはあるのだが特別に強い印象が残っていない。美味しいと思った記憶がない。逆にまずいと思った記憶もない。おそらく普通だったのだろう。


 メニューを見て食べたことのない味があったとき、割と冒険心をもって挑戦するタイプだが「別に不味くはないが、普通」くらいの感想であることはままある。

 そうなると次に見かけても他に候補があれば当然選ばない。やがてうっすらと覚えていた味も忘れ「確か美味しいとまでは思わなかったな」という記憶だけが残る。

 そして二度と注文することのないかもしれない味が生まれる。そうしたもののひとつだった。


「自分が将来偏屈爺になるんじゃないかって不安に思ってるんじゃない?」

「それは論理学か」

「違うの?」


 違わない。

 注文しないと自分で決めているのだが、すごく勿体ないことをしている気がしてしまう。

 店によって味は当然違う。試すときに最高品質のものでないこともよくある。ならばいくつか試してみなければ本当に自分の舌に合うかどうかは判別しかねる。

 しかし、はじめの一歩を踏み出す勇気はあっても、ひとつだけを見て分かった気になる殻は破れない。


 こういったことは味だけではないのだ。

 時々一歩踏み出した経験をして、その時の感覚が悪ければ避けるようになってしまう。

 人生には限りがあるのだから一回目の経験で判断することも悪くはない。 

 だが味くらい些細なものでそれをしていてもよいのだろうか。将来自分が決めつけすぎの偏屈になってしまうのではないかと不安になってしまう。

 そして結局、そんなに好きではない食べ物の専門店を時々調べてしまうのだ。


「超能力を疑うレベルだ」

「ちなみに良はもうずっと十分におかしいよ」


 言い返すか迷っていると、理沙はラジオから流れてくる音楽に合わせて口ずさみはじめた。横目で様子を窺うと頭が曲に合わせて控えめに揺れていた。歌詞がうろ覚えなのだろう。途中鼻歌で誤魔化しながら、それでも理沙は歌いきった。知らない歌だった。


「もうすぐ着くはずだからね」


 理沙がカーナビを見て言った。


「一回右曲がったら、もう道なりで着くから。もうお腹鳴らし始めていいよー」


 理沙は運転をしていると普段よりも適当に喋るタイプのようだった。遅れてカーナビが右折の指示を出した。山道に入っていく。だんだんと家畜の臭いがしてきた。

 すぐに視界が開けた。左手に今までの山景色とは不釣り合いな地元のお洒落なケーキ屋といった風の建物が見える。カーナビに目をやった。理沙がハンドルを左に切った。


「ここのピスタチオはねえ、美味しいと思うよ」


 もったいぶったように言って、車を正面から突っ込んで停めた。シートベルトを外すと、こちらを見て理沙はいたずらっぽく笑った。


「どうする?」


 すべて見透かしているようにそう言った。


「分かるだろ?」


 拗ねたように答えると、理沙は懐かしそうな目を向けて穏やかに笑みを浮かべていた。

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