君の背 (3)
「どこか変だった?」
それを知ってどうしたいのか、自分でも分からないまま尋ねた。
個人の力ではどうしようもない。災害のようだ。どうか一番大切なものは奪わないで欲しい。祈るような気持ちがあった。
「昔と違うなってだけだよ。前は知らない人になんて絶対話しかけなかったから。服屋で話しかけられたら店を出たし、キャッチに声をかけられたら絶対にその店には行かないタイプの人間だった」
理沙の返答は拍子抜けするほど大したことのない内容だった。ほっと息をつく。改めて考えれば、もし理沙が何か思うところがありそれを告げるためにこのデートを計画したとして、こんな序盤で切り出してくる可能性は低いはずだった。
知らない人と話をしないのは確かにそうであった。必要であれば気さくな会話くらいは出来ていたと思うが、しなくて済むのであれば避ける方法を探す手間は惜しまなかった。しかし、異世界で旅をするようになり知らない人ともコミュニケーションを取る状態が当たり前になると、いつの間にか気にならなくなっていた。つまり環境に強制されることのなかった自分がどうであったかは明らかなことである。
しかし説明のしようもない。無関心を装い、生返事をする。驚きはあるかもしれないが、人見知りがなくなった程度と言えばそれだけのことだ。
「あ、本当に変とかってことじゃないよ。いいことだと思う」
慌てたように理沙が言葉を継いだ。墓穴を掘らないように返事を避けているだけなのだが、気を悪くしたと思ったのかもしれない。どう答えたものか迷っていると、理沙が困惑した笑みでそれを受け止めた。
「……うーん、ごめん。複雑な気持ちがあるのは確かなの。子どもがいつの間にか親離れしていたことに気付いたようといいますか」
何も責めたわけではなかったのだが、理沙はついに勝手に観念したように自白した。だが本当の気持ちを語りながらも冗談で薄く包み、追求されることは拒んでいた。
理沙が道に落ちていた石をこつんと蹴った。石は小さく何度も跳ねて弧を描きながら脇の道へと転がっていく。
「旅の恥はかき捨てって言うじゃんか」言うべきか迷いながら口に出す。「なんとなく似てるのかも。薄いのかもしれない。自分への責任感みたいな何かが」
返事をするならば、それが最も自然な帰結である気がした。答える必要のある問いかけだったのかは分からないが、あれだけ聞いて無視をするというわけにもいかない。
理沙が唇を強く引き結ぶ。おそらく言うべきではないことだったと悟った。
いっそ黙り続けた方がよかったのかもしれない。あるいは真面目に答える必要はなかった。理沙ひとりに背負わせるのかという罪悪感から嘘が零れた。
いや、果たして嘘であったのか。人見知りをしなくなった理由とは関係ないが、俺が自分の人生すべての責任を負うつもりがないのは事実ではないのか。
それならば俺は間抜けに真実をそのまま話してしまったことになる。
互いに黙ったまま立ち尽くしていた。うるさいエンジンの音をたてて車が何台も横を走り去った。時折冷たい風が吹く。後は何もない。開けた土地に男女がいる。
理沙が顎を上げて言った。
「私はきっと違うと思う」悔しそうな目をして、俺を見据えている。「良は自罰的だから、そういうのは許せないよ」
何かを説得するような声が寂しげだった。
直後苛立たしいクラクションが近くで鳴った。音に驚きそちらを向くと、左折のためにブレーキを踏んだ白のプリウスの横を、黒い車高の低い車が車線変更して抜き去った。
なんとなく間が悪くなって再び沈黙が落ちる。
「これは、本当に親っぽかったかもしれないね」
理沙は話の接ぎ穂を探るようにおどけた調子で言うと、頬をふっと緩めた。そして一瞬肩を怒らせると腰に手を当てたまま言った。
「もうなんて顔してるの! 私のせいだけど! そんな顔しないの。ほら、でーと顔。でーと顔しなさい」
ずかずかと近づいてきて俺の両頬を掴み、ぐいと引っ張った。理沙は痛がる俺を見て笑い、手を頬から離すと今度は自分の頬を掴む。
「はい、これでお相子ね」
そう言って手を離すとくすくすと笑った。俺は自己嫌悪と、強引な彼女への懐かしさを思った。そういえば頬を引っ張られたことは初めてかもしれない。以前の俺はよくやられていたのだろうか。頬を自分でも引っ張ってみる。心なしかよく伸びるような気がしないでもない。なんだか無性に腹が立った。自分で頬を引っ張りながらしかめ面をする俺を、気付くと理沙が不思議そうに見つめていた。
「これで俺の勝ちだね」
すました顔を作り言ってやると、理沙は悪戯っぽい表情を見せた。そして「負けたー!」と楽しそうに言いながら、また俺の頬を取ろうと手を伸ばしてきた。
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