君の背
君の背 (1)
こう言ってしまっては悪いが目的地に着いた時、本当にここで合っているのかと疑った。進むにつれてビルより山が増えていった車窓。少し古い駅舎。駅には自動改札がなく、コンビニも併設されていなかった。しかし小さい駅かというとそうでもなく、特急列車が停車するという。ここらでは最も人口が集中しているが、観光客が激しく乗降はしない、そういった土地なのだろう。
別になにか悪いというわけではない。だが、実質理沙とこの世界での初デートということもあり、初デートのイメージが明らかに先行し過ぎた。結果、少し互いのデート観に乖離を感じたというだけである。
駅を出て正面にカフェらしきものがあるのが唯一華やかさを感じられた。ロータリーには他に店は何もない。交番が脇にあったが誰もいなかった。あとは築五十年以上は経っていそうな何が入っているのか分からない背の低い建物が並んでいるだけだ。ざっと辺りを見回したが特に目立つ看板もない。客を待つタクシーもいない。
この場所は理沙が選んだ。デートをしようと言った理沙が場所の選定も請け負ったのだ。どうもはじめから場所は決めていたような節はあった。それでいておそらく有名ではないだろう場所。一体ここに何があるというのだろうか。
「ね、ほらそういう顔するんだよ。普通さ」
きょろきょろと周囲を見渡す俺の横に立ち、理沙が言った。
「何か変な顔してたかな」
「ぎゃふんと言わせてやるからな、と思わせる顔を」
そう言って自信ありげに笑うと理沙はくるりと体の向きを変えた。
「こっちこっち」俺の手を取り言った。「まだ少し歩くの」
駅正面にロータリー。その奥に真っ直ぐ道が続き、丁字路があって先は分からない。だが建物の並び方からその道がメインストリートだと見て取れた。しかし理沙が歩き出したのは、線路と平行にはしる歩行者専用の道路だった。家並と線路の間の空間。脇に花壇が設置されている。冬になりかけという季節のためか何も植わっていないが、暖かくなったとして果たして何か植わるのかは分からない。整備されているのだろうと思える程には荒れていないが、華やかなところは想像しにくい道だった。
道幅は二人で並んで歩いたらそれだけで完全に通行を塞いでしまうくらいしかない。自然と距離が少し近くなる。石鹸の匂いと柑橘の香りがした。香りにつられて何の気なしに匂いのする方を向くと理沙と丁度目が合い、反射的に視線を逸らしてしまった。
視界の端で茶色のトレンチコートと黒いワンピースの裾が揺れている。冷たい秋風を気にも留めず上機嫌に舞っていた。
すぐに車の走る通りに出た。向かいの道に見慣れたコンビニがあった。駐車場がやたらと広い。正直なところ少し安心した。
「ね、ほらそういう顔するんだよ」
俺の顔がほころぶところを見逃さず、理沙がまた言った。
「何か変な顔してたかな」
「お前の家に回覧板まわしてやらないからな、と思わせる顔を」
とぼけると何やら物騒な返事があった。少し背筋が伸びる。「こっちだよ」と理沙が手を引いた。道路を正面に右方向へ進み、やがて線路をまたいだ。やはり町の中心からは離れていくようだ。しかし、よく考えてみるとこういった町の中心はおそらく生活の中心地になる気がする。そうであれば、別に外れていく進路でも不安に思う必要はないのかもしれない。
「あとでレンタカーは借りるんだけどね。レンタカーを借りる場所も遠いの」
そういえば駅前にはタクシーがいなかった。朝早いこともあるかもしれないが、他人の車を必要とする人が少ない場所なのだろう。東京からはすっかり離れた車社会だった。
「ならもっと駅近くで借りられるところから乗ってくれば良かったんじゃ」
「ね。でもこっちの方が良いんだって、言ってたから」
「誰が」
「良」
理沙は言って立ち止まると、何か期待のこもった目でこちらをのぞき込んできた。
「じゃあ、やっぱりここには来たことがあったんだ」
「そう。初デートの場所がここだった。『行きたいところがあるんだけど、いいかな』ってここに連れてこられて、私も今の良と同じような気持ちだったと思うわ」
「今はいい思い出になってる?」
「ふと思い出す場所なのは確かね。来たのはその時一回だけだったけど、よく覚えてる。勿論初デートだったからというのは大いに影響あると思うけど、素敵な場所だと思う」
「どうして俺はここを選んだんだろう?」
「それはどうでいいことなんじゃないかな」
つまらなさそうに理沙は言った。歩き出しながらまた話し続ける。
「昔に良の思いを受けた私が、今こうして良をまたここに連れてきている。どうせならその意味を考えた方が、幸せには近いんじゃないかと思うの。そもそも私は考えなくてもいいと思うんだけどね、そんなこと。今、楽しいな。きれいだな。かわいいなって思って欲しい。記憶を取り戻すって、今がなくなることじゃないもの」
「でも、記憶や経験が捉え方や考え方を変えることはあるだろう。今をないがしろにしているわけじゃない。今は過去を積み重ねて出来るものなんだから、これからのことを考えて昔を思い出すのは同じくらい大切なことだよ」
理沙の言いたいことは分かっているつもりでいる。俺が本当に記憶喪失であるならば、理沙の言葉はとても優しい。だが、理沙には知り得ない事情が俺にはある。
理沙にどうして記憶がないのかは何も分かっていない。圭子ちゃんは単に理沙が記憶を失っている、あるいは思い出せていないのではと考えているようだった。俺はただ理沙の記憶が戻ることだけを考えていればいいのだろうか。それは違う気がしていた。圭子ちゃんと約束したように、いずれ記憶については諦める。その意味以外でも、状況は記憶さえあればいいとは既に思えなくなっていた。
「……私、良とは多分違う考えをしていることがあるんだけど」
言って、ためらうような間を作った。急かすこともないと、何も言わず理沙が言葉を継ぐのを待った。このデートには時間があるような気がしていた。土地の雰囲気が装飾されていないからか、必要な時間がゆったりと流れているように思う。
理沙も余裕を持って構えているのか、なかなか話し出さなかった。草木の匂いが磯の匂いに変わる。先ほどまで里山といった雰囲気があったが、顔を上げると奥には海が見えた。
歩調が少し早まる。理沙が急いだのだった。冷たい肺に暖かい空気が流れ込む。黙々と足を動かし続けると理沙が明るい声を上げた。
「到着!! ……まずは朝ごはん食べよう? 続きはまた後ということで」
漁港だった。コンクリートで出来たL字型の土地が海に突き出している。脇には小型の船が数隻停泊していた。隣には広い駐車場があり普通車がいくつも停まっている。港の規模からすると車の数が多かった。駐車場の奥には事務所のような建物がある。そこに縁日のように簡易テントがいくつも並び、ほどほどに混雑していた。
「祭り?」
「ううん。朝市。まあでも私たちにとっては同じようなものだね」
やたら出発の時間が早かった理由が分かった。漁港の朝市だったのならば確かに早い。
「行こう行こう」と理沙が俺の手を引いた。もう近くにあって逃げないというのに、まるで子どものようだった。
楽しみにしていたのか、俺が昔そうしたのかは分からない。確かなことといえば、俺が初デートの初ご飯に朝市を選択した事実だけである。
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