どのくらい運命 (5)

「そんなに接点はなかったみたいだ。五年前のあの日、続いていたこの世界では理沙と圭子ちゃんはしっかりとは会えていなかった。圭子ちゃんのいた団体はそのまま集団自殺未遂を追求されて、理沙は圭子ちゃんと特に会えないまま。気づいたときには圭子ちゃんの母親が圭子ちゃんを連れてアメリカに行ってしまったって」

「じゃあ、お姉ちゃんとの覚えていないやり取りはまったく無かったかもしれないんですかね」

「いや、それはあったみたい。あの山の中で理沙は圭子ちゃんと少しだけ話せた瞬間があって、『どんなことがあっても圭子の味方だから』と伝えた理沙に『ありがとう。もうちょっとだから待っててね』と圭子ちゃんは答えたらしい。もうちょっとってなんだろうと思って、理沙は覚えていたみたいだ」

「えー、なんですかそのやり取り。それ、あれですよね。何がもうちょっとだったかは答えられた方が良さそうな感じじゃないですか。困るなー……わたし」

「理沙が言うにはそれ以外は無いそうだから、まあここだけと思って考えるしかないね」


 一週間後、圭子ちゃんと再び外で落ち合っていた。場所は前回と同じコーヒーチェーン店。理沙はいない。実際にはこうして認識のすり合わせを行うためだが「後もう一回だけ俺とふたりで会って心を決めたいと言っている」と理沙に嘘をつき、この時間を作った。


「……ところで念のために確認をしておきたいんですけど」


 小さく深呼吸をしてから、圭子ちゃんが改まった様子で会話を切り出した。


「もし仮に、ですけど。お姉ちゃんの記憶が戻らなかったとしたら、良さんはどうするつもりなんですか」

「どうするって……」

「簡単に言えば別れることはあるのか、ということです。だって良さんと共有している思い出はひとつもないんですよ」

「でも理沙は理沙だろ。そこが何か変わったわけじゃない」

「それはそうなんですけど……良さん、本当に分かってますか?」


 本当に分かっているかと聞かれると、それは肯き難い。理沙と共に過ごした五年間で分かり合えた沢山のことがある。それが今やすっかり無いということに自分はまだ真剣に向き合っていない。可能性として認識していることと、確定した事実として受け止めることには大きな差がある。


「ちゃんとは分かってないかもしれない。でも……理沙なんだよな」


 実際離別を考えたことがないわけではないが、それは理沙に失望するような意味ではなかった。その気持ちが反抗するかのように口をつく。 

 記憶を無くした理沙と過ごしてもう一か月近くになるが、記憶が無いこと以外理沙は本当に理沙のままだった。元々の性格が変わったわけでもないし、記憶はなくとも残っているものがあるのかもしれない。実はもうすっかり思い出していて、からかっているんじゃないかと疑いたくなるくらいだった。


「思い出も確かに大事だけど、俺はやっぱり理沙という人間を好きになったんだと思うよ。今だって、理沙と過ごしていると、俺はこの人のことが好きだなって思うんだ」

「でも、お姉ちゃんにはこっちで過ごした記憶があります。それでも同じ人だと思えますか? 今のお姉ちゃんが好きになったのは自分だと思えますか? わたし、それが心配で……」

「……そういう話なら、確かに分からなくはないよ。理沙はあまり思い出話をしてこないけど、どうしようもなく以前の俺が意識されるときは『違う。それは俺じゃない』と思うこともある」

「それです! それ!」圭子ちゃんは突然大きな声を出した。しかしすぐに肩を落として小さくなる。「……良さんは苦しくならないでしょうか? 自分が一体何を好きになったのか、何を信じたのか不安になりませんか? 罪悪感は? 二度と戻れませんよ。良さんみたいな人は」

「……」

「お姉ちゃんは良さんと一緒だった記憶が無くなってしまって、その原因は分からないですけど、わたしは今お姉ちゃんにこの世界で過ごした記憶があるのはセーフティーネットのようなものが働いたからだと思うんです。それはそれとして、お姉ちゃんにとってみればその記憶が事実になるわけじゃないですか。そうすると、良さんは……」


 だんだんと歯切れが悪くなり、最後まで圭子ちゃんは口にしなかった。顔も俯かせ、目を合わせることを避けているようだった。


「圭子ちゃんの言っていることは分かるよ。でも、そんなこと理沙からすれば何か意味があるのかな。俺たちが何もなかったことにすれば、それで解決するんだ」

「そうじゃなくて! ……いえ、それも気になるところですが、わたしは良さんが心配なんです」

「俺は……俺は理沙が俺と一緒にいることを望んでくれるなら大丈夫だよ」

「絶対、つらいですよ」

「つらいこともあるだろうね。でも圭子ちゃんもいる。なにより理沙が側にいてくれる。それだったらさ、大丈夫だって気はするんだ」


 間違いなく今はその気持ちだ。だが数時間後には分からない。不安とはそういうものだ。しかし今虚勢を張らなくていつ張るというのか。


「それにさ、俺は理沙と約束しているんだ。病めるときも健やかなるときも愛し、幸せにすることを誓いますってね」

「……お二人はまだ結婚はしてないですよね?」

「それはしてないけどね。……言っておくけど真面目な話だぞ? 俺は理沙と約束をした。俺に出来ることなんて、それを守ることだけなんだ。だから俺は、理沙が俺といたいと思ってくれるなら、その約束を守る」


 圭子ちゃんは難しい顔をしてしばらく宙を見つめていたが、やがてうんうんと大きく頷いた。そしてわざとらしく真面目くさった表情を作ってみせた。


「なるほど。なるほど。これは惚気られてしまったようですね」


 優しい声でそう言うと、安心したような笑みを浮かべた。その表情を見てこちらもいくらか緊張を解く。圭子ちゃんがグラスに口をつけたのを見て、頼んでおきながらまだほとんどコーヒーを飲んでいなかったと気が付いた。テーブルの上にはもうわずかにしか残っていない水と、すっかり熱を失ったコーヒーが置かれていた。

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