どのくらい運命 (2)
時計を確認した。午後四時八分。前に確認したときからまだ二分しか経っていなかった。ちびちびと飲んできたコーヒーも残っているとは言い難い量になっている。帰って晩御飯を作り始めなければならない。水溜利のように残るコーヒーを飲み干し、会計を済ませた。
今週も待ち合わせ場所には誰も現れなかった。これで三週連続だ。店にはそろそろ陰気臭い客として覚えられてしまいそうだ。
驚くほどに何も変わらないまま時間だけがただ過ぎていた。そして変化のない時間が進むことのなんと早いことか。何か変化があったことといえば、理沙が少し早起きをしたあの日以来、出来上がった朝食をテーブルへと運ぶと既に着席している理沙が「ありがとう」と受け取る、新しいルーティンが生まれたくらいだった。
変わらない日々を嘆くことは少なくなってきた。他人を変えるよりも、自分を変える方が早い。俺は随分と暗い方向でそれを実行している。
それはなにも苦しいばかりではなかった。ただ理沙との距離感を計りかねていることは最近の悩みだった。すべきことはしているし、会話もあるが、理沙と距離を詰めるようなやり取りを出来ないでいた。
理沙に不満があるわけではない。彼女は記憶がなくても俺の理想の女性だった。だからこそ尚のこと、もし理沙がこのままだった場合自分がそばにいるべきではないのではないか、そんなことも思うことがあった。
今の理沙が俺に優しいのは、「以前の俺」と理沙が恋人であったからだ。今の自分は関係ない。例えば幸せなカップルの彼氏と突然に無理やり入れ替わった、それと何が違うのだろう。
はじめは理沙の記憶を取り戻してふたりで幸せになりたかった。やがて今の理沙とも誠実に向き合わなければならないと思うようになった。その結果は罪悪感を重ねるだけの日々だ。どれも俺の中に間違いなくある気持ちだが、それぞれの感情はどこかで互いを否定せねばならない。
そんな状態で生きることにこれからずっと耐えることなど出来るのだろうかとは問うまでもない。理沙が望むならばそうする。
しかし、理沙はそんなことを望むのだろうか。
それは分からなかった。聞けなかった。すべてを許してもらいたいと思うことは紛れもなく自分のエゴだが、すべてを知ってもらいたいと思うだけでも同様だろう。また息苦しいことに、俺はエゴをぶつけ合うような恋愛の出来る器を持たない人物だった。
重い足取りで駅へと向かう。五年の間にまた大きくなった駅は、異世界のダンジョンに負けず劣らずの迷宮だった。俺が知らないだけでもっと近い入口があるのかもしれないと思いながらも、いつものように分かりやすい改札口にまわる。
待ち合わせに使われることの多い広場を通ったときだった。誰かにじろじろと見られている気配を感じた。振り向くと、若い女性がいた。空中で持ち上げた両の手の平を顔を隠すように配置し、白々しく顔を斜め下に俯かせている。帽子を深く被り俯いているため誰か分からない。長い金髪を纏めることなく垂らし、下はジーンズ、上は黒のシャツとラフな格好をしている。金髪の知り合いはいないが、反応からしてこの人物が俺を見ていたことは間違いなさそうだった。
話しかけられたわけでもないため、ここは黙って去るべきかどうか逡巡していたときだった。彼女は頬を赤く染めながら、おずおずと顔をあげ、俺の顔を確かに捉えるとぱっと笑顔を咲かせて言った。
「良さん!会いたかったです。わたしです。圭子です!本当に、本当に会いたかったです!」
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