第2話 魂をこころに、一、二と数えよ
「一つの身体に二つ以上の魂? 無い無い。そんな貴重なケースがあったらお目にかかりたいくらいだぜ」
「そうですか……」
同時刻、十番街の裏路地。
悪魔貴族のフルーレティは、従者の身体の違和感を相談するため、秘かに街医者を訪れていた。
「しかし自我のあるグール、ねえ。それだけでもだいぶ、レアっちゃレアだな」
「ええ、我々悪魔のように振る舞い出したのは、ほんの最近の出来事なのです。その本人が、”自分の身体が自分のものでない気がする”と言ったものですから……どうも気になって」
「っつっても、本人がいないんじゃ診断のしようがねえよ」
街医者はチェストに手を伸ばし、酒瓶を掴んで一口あおった。
「お前の仮説通り、そのグールが蘇った死体だとして。元の身体の魂なんてとっくに抜けてるか、そいつに自我が生まれた時点で上書きされてるはずだ」
「上書き……消えてしまうということですか」
「ああ、一つの身体に魂は一つ。地獄広しといえど、過去から現在に至るまでこの事実は揺らいだことがない。もし反証が見つかったとしたら、歴史を動かす大事件になるはずだぜ」
それ程あり得ないことだから、あんまり真に受けんなよ、と街医者は付け足す。
「……どうやら、私が杞憂しすぎていたみたいですね。最近、あの子の言動が変わったから、少し過敏になっていたのかもしれません」
フルーレティは、どんな時でも無感動・無表情だったグールの姿を思い浮かべた。
ここ最近になって、彼女の様子は変わったと思う。積極的に外へ出かけたり、今まで全く興味を示さなかった異種族理解の参考書を読んだり。また、そわそわと落ち着きのないことも増えた。
上級悪魔の価値観に則れば、変化はそれまでの魂の死だ。
それは、フルーレティにとっての絶対的な死生観だった。
「貴重なお話をどうも、ドクター・ヤドリ」
「おう」
相談に乗るのは、酒瓶を舐めながら頷く、目つきの悪い街医者。
ドクター・ヤドリと呼ばれた彼女こそが、先ほど大通りでロキと揉めていた相手だった。
「それにしても……魂って本当に不思議ですよね」
「地獄の歴史をもってしても、解き明かせないモンはあるからな。貴族サマ、魂哲学に興味あんのか?」
「いえ、深く考え出すと頭が痛くなっちゃいそうですから、やめておきます」
フルーレティはへらへらと笑った。
「魂の変質は、私が最も恐れるものです。私や私の親しいひとが、変わってしまうなんてとても耐えられない」
「残念だが、変わらないモンなんてどこにも無いよ、その点においては生者も死者も等しく同じさ」
「うう、やっぱり頭が痛くなりそうです……」
スツールの上で、胎児のように身体を曲げるフルーレティ。
「……そうだ、魂と言えば、最近は人間の魂をもつ悪魔のことが気になってるんです」
「へえ、元人間が悪魔に?」
「珍しいですよね。私、人間のことは大好きでしたが、あまりにも寿命が短くて、あまりにもすぐに変わってしまうから、悲しくて。でも、人間の魂の悪魔ならもしかしたら……!」
「元が何だろうが、他の悪魔と大して差はないような気がするが……なぜそんなに、人間に拘る?」
「人間は、私の命の恩人なんです。ずっと昔に地上に出た時に、運悪く悪魔狩りに追われたことがあって。絶体絶命のところを匿ってくれた子がいて、それから人間のことが大好きになっちゃいました」
「ふうん、そいつの魂は今頃どこに在るんだろうな」
「どこに居ようが、幸せに暮らしてるといいですねえ」
ヤドリが再び酒瓶を傾けようとした瞬間、
「やあやあ、お邪魔するよヤドリン!!」
「段取り忘れたのかアホドクター! あんたが入っていったら絶対怒らすから最初は引っ込んでろって言ったでしょうが!」
雪崩れ込んできた集団がすべての意識を奪っていった。
「えっ!? ネ、ネオンさん?」
ロキがネオンを連れて、扉が壁に激突する勢いで診察室に侵入してくる。
ネオンは、苦手な悪魔貴族の姿を視界に入れて、事態がさらに面倒になっていくのを覚悟した。
「フルーレティ、なんであんたまでここに……」
「ああ、ネオンさんは変わらずいつものボロスーツ姿で安心します」
「何の嫌味だ死ね」
その反応もいつも通り! とフルーレティはやたら嬉しそうだ。
「テメエ、なん……っ、なんでここが……!」
案の定、ヤドリは酒瓶を壁に叩きつけて激昂する。
「お願いだよ、話を聞いて欲しいんだ! キミがワタシを憎む理由が、どうしてもわからない!」
「しつこいぞ……! 私の口から、話せることなんて無えんだよ!」
「なぜ……っ!」
ヤドリが拳を握って、ロキへと殴りかかろうとする。直前に、フルーレティがその猛る肩へ手を触れた。
するとたちまち、ヤドリの動きがピタリと止まり、まるで四肢を見えない糸で拘束されたかのように動けなくなってしまう。
「ドクター、私も不可解です。聡いあなたがなぜ、そのように怒りを露わにするんですか」
「……ッ、貴族サマのいる前だったな。だけど私は……っ!」
「私も、脅すつもりであなたを止めたわけではありません」
静かに呟いて、フルーレティは魔力の縛めを解いた。ヤドリは再びロキを睨みつけるが、暴れても無駄と学習したのか黙って立っている。
一触即発の空気に似合わぬ陽気さで、フルーレティはニコリと笑った。
「どうやら双方に、譲れないものがあるみたいですね。なら、私たちは悪魔なんですから、正々堂々勝負で決着をつけましょうか!」
「勝負う?」
「そちらはお二人のようですから、私はドクター・ヤドリ側につきますね!」
「は、バカじゃないの、階級差考えなさいよ! ああでも、こっちにはロキがいるんだよな……」
「勝った方が、負けた方の言うことを何でも聞くということでいかがでしょう?」
「へえ……面白いじゃないか」
ロキが、不敵な笑みでフルーレティの前に躍り出る。
明らかな不満と異議を顔に出したネオンとヤドリをよそに、二人は微笑み合う。
「それで、何の勝負を?」
「勝負はなるべく公平なものでなくてはいけません。つまり、『誰も得意じゃないけど勝負が成立する程度には出来ること』で競うべきです、例えば……」
フルーレティはたっぷりと間を取って瞳を閉じた。
「アイデアが全く浮かびません!!」
「考えなしかよ」
「し、仕方ないじゃないですか、私はドクターたちの得意なものを知らないんですから」
ネオンさんのことはたくさん知っていますけどね! と、胸を張って付け足すフルーレティ。いや、それはない、と間髪入れず否定するネオン。
「あ、そういえば、九番街には娯楽用の戦闘施設があるらしいじゃないですか! そこに行きません?」
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