第三章

第1話 死蝶は猛毒に手を伸ばす

「すみません、こちらで依頼を受けていただけると聞いたのですが」

「はーい。ねー、蝶の女の子が来てるけど、ネオンのお客さん?」


 ギラギラと立ち並ぶビルの一角、地底の街が動き出す時間。

 シーシャは、インスタントコーヒー店のシャッターを開けながら、二階に向かって呼びかける。


「ええと、ボディーガードをご希望の方ですか?」


 十番街ボディーガード、悪魔のネオンが、素早く階段を駆け下りてきた。

 背中に黒い蝶の羽を生やした来客の少女は、軽くお辞儀をする。


「はい、ボディーガードというのは、困っている市民の味方だとお伺いしました」

「まあ、ざっくり言うとそうですが……どうして私の住居をご存知だったんですか?」


 ネオンは、飛び込みの来客に内心困惑していた。

 ビルに事務所でも構えていれば話は別だが、ここは一階にテイクアウトのコーヒーショップがあるだけの完全プライベートの住居なのだ。


「私はフルーレティ様のお屋敷に通う配達人なのですが、フルーレティ様があなた様のお話を頻繁にされるものですから、すっかり覚えてしまいました」

「個人情報漏洩!!」

「それで私、少々困りごとを抱えておりますので、よろしければお力になっていただけないかと……」

「え、ええと、それは一体どのような……?」


 ネオンは引きつった笑顔で少女を応対した。


「実は私、最近恋人ができたのですが、彼女がその……猛毒種なものですから」

「猛毒種、ですか」

「ええ、非常に強力な力を持つアルラウネです。私は非力な蝶の悪魔ですから、彼女の毒の能力に耐性がなくて……でも、そろそろ彼女に触れたいんです!」

「……は、はぁ、それで私に何をしろと?」

「なるほどねー、異種族恋愛あるあるだ」


 コーヒー要ります? とちゃっかりメニューを運んできたシーシャが、うんうんと頷く。


「それなら、毒耐性の付与ができる上級悪魔に寄付をして、加護を貰ったらいいんじゃないです?」


 気乗りしない声色で、ネオンは提案した。

 上級悪魔、つまり貴族。彼らは自らの能力の一部を分け与えることができる。

 寄付と引き替えに恩恵を振るう、貴族たちが自らの立ち位置を守るための、地底の仕組みのひとつ。

 生まれながらの強者に都合よく出来ている世の中だ、とネオンは不服そうに眉を歪める。


「はい、私が協力して頂きたいのはまさにそれなんです。自己紹介が遅れました、私は死蝶バーバチカと申します」


 配達人・バーバチカはワンピースの裾を摘まんで、優雅なカーテシーで挨拶をした。

 ボリュームのある黒い三つ編みがふたつ、腰のあたりでゆらゆらと揺れる。


「毒体制の加護をくださる貴族様で、私の階級で訪れることのできる階層にいらっしゃるのはナベリウス様なのですが、彼女はお金に興味がないんです」

「ん? じゃあ寄付しても無駄ってこと?」

「はい。勝負でナベリウス様を満足させられないと、加護をくださらないとの噂で」

「ああ、やっと話がわかってきた……」

「お願いですボディーガード様! 私の代わりにナベリウス様と戦ってくださらないでしょうか! 報酬は言い値でお支払いします!」

「そうは言っても向こうは上級悪魔でしょ、こっちも準備ってものが……」

「準備が整えば、受けて下さるんですね! なるべく早い方が嬉しいですが、ぜひよろしくお願いします!」

「わ、わかりましたから、興奮しないでください鱗粉が散らかる」

「早く彼女とイチャイチャできるようになりたいんです! お願いします!」

「あー、わかったってば!!」


 ばっさばっさと羽を揺らして喜ぶバーバチカ。


 ネオンとしては、ただ戦うだけで物事が解決するのなら、非常にシンプルで好きな依頼だった。ただ心配なのは、相手は格上の上級悪魔だということ。

 どこまでも種族主義な地底の世界で、下剋上などまずあり得ない。


(上級悪魔に勝てる悪魔って、存在するの? いったいどういうつもりで、そんな条件を出してるんだか)


 ネオンも腕に自信はあるとはいえ、生まれ持った種族の差を突きつけられてしまえば、その壁は分厚く高い。


「ふーん、加護ってすごいんだね、あたし弱点多いから克服できる加護、いっこくらい欲しいなあ。真面目に貯金しようかなあ」


 ビービー鳴るお湯のケトルを傾けながら、シーシャが呟く。

 どうぞ、と差し出されたコーヒーを啜って、バーバチカが頷いた。


「ええ、やっぱり目標があると悪魔人生が潤うものですわ」

「優雅に言ってますが、その目標って恋人とのイチャイチャですよね?」

「ふふっ、これ以上の喜びがありまして?」


 バーバチカは唇に手のひらを当ててくすくすと笑った。


「おふたりは、恋をするのはお嫌いですか?」

「別に興味ない」

「あたしも、よくわかんないなあ」


 顔を見合わせて首を捻る、ネオンとシーシャ。 


「とにかく、まずは今後の予定など依頼内容を詰めさせてください」

「はい、よろしくお願いいたします」

「……あ、そうだ、少しお待ちください。その前に」


 ネオンは通話アプリを開いて、住所漏洩の元凶へと『殺す』スタンプを爆撃した。









「えへへ、ネオンさんからたくさんスタンプ貰っちゃいました」

「楽しそうで何よりですよ、レティ様……」


 ゴシック調の家具がずらりと並ぶ、フルーレティ邸。

 スマホを抱きしめてゴロゴロとソファを転がる若き主の傍で、従者は淡々と床掃除をしていた。


「ヴェルヴェット、どうしたんですか表情カタいですね。遊園地のお土産は気に入りませんでしたか?」

「いえ、以前に頂いたミニマリオネットでしたら、グールの良い遊び相手になっています。私はもとよりこの顔です」

「なら良いのですが」


 再びスマホに顔を向けて、頬を緩めるフルーレティ。ヴェルヴェットはそんな主をしばらくじっと見つめていたが、やがて口を開き、ぽつりと、


「あの、コーヒーはいかがですか」


 言いづらそうに指先を擦り合わせ、俯く。

 普段と違う彼女の仕草に気づかぬまま、フルーレティはにこやかに答えた。


「良いですね。ヴェルヴェットの淹れるコーヒー好きですよ」

「いえ、たまには、外の……」

「お店のコーヒーを? 珍しいですね。では、グールを呼んで来なさいな」

「あ……その、今回もわたくし自身が行こうと思っていて……」

「あなたが? 積極的に外へ出たがるなんて、これまで一度もなかったのに」


 フルーレティは驚いてスマホから顔を上げた。ヴェルヴェットの顔をまじまじと見る。


「そんなにお店のコーヒーが気に入ったんですか? あ、それとも気に入ったのは……」

「レ、レティ様」


 気まずそうな咳払いが部屋に響く。


(そういえば、前回のお使いの帰り、やけに店員さんを気にしていましたものね)


 珍しいこともあるものだ、と、フルーレティは笑う。


「それじゃお店で一番手間がかかって、準備するのにめちゃくちゃ時間のかかるコーヒー、お使いお願いしますね」

「そ、そんな注文をしたらご迷惑になってしまいます……!」

「満更でもない顔してますね」

「も、もう行ってきます!」


 バタン、と音を立てて扉が閉まる音がして、フルーレティはにっこりと微笑んだ。


「ふふっ、あの子のあんな表情、初めて見ました」

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