第4話 悪魔貴族の愛と美学
アメジスタの口から出た言葉は、ネオンの予想と理解を超えていた。
「父さんがここで焼け死んでくれないなら、私は外に出ません!」
「急にどうしたんですか、アメジスタさん!」
「私はずっと前から思っていたんです! 父さんが……っ!」
可憐な声が、歪み、悲痛に吼えている。
火事と不意の再会をきっかけに、これまで抑えていた感情の箍が外れてしまったのか。
「どうせ居なくなるなら、どうして母さんを手放してくれなかったんだ、って!」
「なっ、どういう事?」
ネオンは、横目でフルーレティに視線を投げた。
「気が動転してるみたい。私が中に入って、ポータルに無理矢理押し込もうか」
「わー、ダメですダメです! 扉を開けて、うっかりバックドラフトが起きたらアメジスタさんが危険です。部屋の外から何とか説得するしかありません」
「バック……? わ、わかった」
「アメジスタ、ドウシテ……」
燃え盛る火の中で、少女の悲痛な叫び声が耳を刺す。
「父さんは、ずるいんだもん……っ!」
その言葉を聞いた瞬間、ネオンの脳裏に、記憶にない風景がフラッシュバックする。
『お姉ちゃんはずるいよ……』
燃え盛る火の中で。
焼け落ちていく村を見上げながら。
『じゃあ私は、妹のために、どうすれば良かったの……?』
呆然と立ち尽くす少女は自分と全く同じ顔をしていた。
『でももう遅い』
崩れた十字架を踏みにじって、少女は呪いの言葉を吐いた。
『全部燃えてしまえ、地獄に堕ちろ、私もろとも』
(なんだ……? 今の、白昼夢みたいなのは……)
「ネオンさんどうしたんですか、ボーっとして!」
「あ、え、ううん、少し酸欠でフラッとしたのかも」
たちまち霧が晴れたかのように、悪い夢は現実から忘れられていく。
フルーレティは焦って声を荒げた。
「ええい、いつまでも駄々を捏ねていないでください! ネオンさんの安否とあなたの命なら、私は前者を取りますよ!」
「やだ、だって、だって……ずっと父さんが羨ましかったの……!」
アメジスタは、声を震わせながら言葉を絞り出した。
「父さんはずるい! いなくなったくせに、母さんの心をずっと返す気ないの、ずるい!」
「エ……」
「父さんばっかり、母さんを独り占めしてずるい……!!」
背後で、炎が一段と燃え上がった。
「私の方が、ずっとずっと母さんを大事にできるのに……! 父さんが母さんに何も言わず出て行っちゃったから、母さんは期待を捨てられずにずっと待ってる……! 私は永遠に母さんの一番になれない……!!」
「なら、あなたはこのまま、お母様に永遠に会えなくなりたいんですか!」
「イヤ、嫌だよ……っ!!」
地底の者にも、肉体の限界がある限り、終わりは来る。
このまま炎に呑まれれば、拗らせた想いは彼女の身体ごと消滅するだろう。
「……そう、そんなのは、悪魔貴族たる私が許しません」
フルーレティは毅然とした態度で言い放つ。
「あなたのその感情は、私に言わせれば、紛れもなく愛です。ワガママだろうがエゴだろうが、他者を傷つけようが、愛は愛。それ以上でも以下でもありません。今ここに息づく唯一無二の感情を、貴族フルーレティの名において、祝福します」
彼女の美学をもって、悪魔貴族は優雅に嗤う。
そして、魔力を一気に放出して、ポータルの形を変えた。
「ポータルを、あなたのお母様のもとへ繋ぎます、さあ、外へ」
「うっ……お、おかあさん……!」
アメジスタの気配が完全に空間の向こうへ消えたのを確認して、フルーレティは額から一筋の汗を流した。
「アメジスタさんは、ひとまず焼失の危機からは逃れました。あとは、あなたたちの問題ですね」
「ゴメン、アメジスタ、ゴメンナ……」
「……愛は確かに尊いですが、愛に応えなきゃいけない義務なんて、誰にもないのも確かです。残酷ですね、世界って」
「エッ……?」
「だからこそ、愛が少しでも報われたら、嬉しいのでしょう。あなたにも愛があるなら、真っ直ぐに彼女と戦いなさい。それが地底の者らしい生き方だと、私は思いますよ」
フルーレティは機械人形にそっと手を差し伸べた。
「私たちも帰りましょう。娘さんにもお伝えしたんです、私に協力できることがあったら何でも相談してください、って。私はフルーレティ、十番街の悪魔です」
「フルーレティ、サマ」
「結局は私たち、自分勝手に生きるしかないんですから。好きに生きた者に報いは来ます。私はそう信じていますよ」
炎の中にポータルの光がゆらり揺らぎ、細い糸となってうねり、やがて閉じた。
機械仕掛けのピエロを見送ってから、園内のベンチで大きく息を吸い込む。
明け方が近づく空が、トロピカルな蛍光色のドリンクに反射していた。
「ねえ、あれで良かったの? なんか全然スッキリしないんだけど……」
マリオネットの少女の顛末を見届けて、ネオンは複雑な気分を引き摺っていた。
「愛で戦えとか、好き勝手にやった者が報われるとか、無茶苦茶すぎ」
「ではネオンさんは、どういった結末をお望みでしたか?」
「それは……うまく言えないけど、全員が納得して終わる方法はきっとあるはずでしょ」
「青いですねえ」
「はあ?」
「お互いの愛と愛が矛盾したとき、全員が納得するなんてあり得ません」
「なっ……! そこまで言い切ることないでしょ」
「いいえ、真理です。だから人々は苦しむし、地獄は潤うんです」
フルーレティの瞳は、決して揺るがぬ光を宿していた。
地底の者にも、肉体の限界がある限り、終わりは来る。
ただし例外として、不死性を持つ上級悪魔は別である。
彼らは肉体の終わりを持たない代わりに、魂の変質をもって、一自我の終わりとみなされる。
だから、地獄生まれの純粋な悪魔は、自らを曲げない。常に不変であれと心に刻む。
自らの魂の死が、訪れることのないように。
(こいつは、一度信じたことに対しては、絶対に自分の意見を変えない。そういうものなんだ、上級悪魔って)
ネオンは、フルーレティとの間の埋まらない溝を垣間見た気がした。
やっぱり、上級悪魔とわかり合うなんて無理だ。変わる可能性のない相手と付き合い続けるには、相手の思うままに自分を変えるしかなくて。ネオンにとって、それはとても息苦しい。
付き合ってられないと、ストローを噛み潰す。
呑み込んだドリンクは、冷える心に対して、どこか懐かしい味がした。
「ネオンさん」
「なに」
「私の好きな花は、ピエリスです」
「は?」
「……あー、アパートでした話? そんなんもう忘れてた。何それ知らない」
「地上の花なんですけど、花言葉が素敵で記憶に残ってるんですよね」
「ふーん。ま、地上の花なんて、私が見たことあるはずないか」
「…………」
「なんだよ」
「……え? ネオンさんの顔、左の方が眉が濃いんだなって」
「見んな!! 見たとしてもせめてそういう時は褒めろよ! 化粧のアラを探すな!」
「あ、そういえばシーシャへのお土産どうしよう……」
「後日、屋敷の者に代行を頼んで届けさせましょうか」
「風情ないなあ……まあでも、あの子は気にせず喜ぶだろうな」
案の定、大量の限定グッズに大喜びしたシーシャはフルーレティへの好感度を爆上げし、事あるごとにフルーレティ側の味方に回ることになるのだが、それはまた別のお話。
【完】
第二章の登場人物紹介
ネオン・ライト
好きな食べ物:チョコレート
十番街のボディーガード。
生前は人間だった悪魔。
遊園地には仕事で通りがかったことはある。遊んだ経験は皆無。
シーシャ
好きな食べ物:炭酸の飲み物
十番街のインスタントコーヒー屋さん。
地上出身の水妖で、色々あって地獄に来た。
遊園地に憧れはあるが、水場を長く離れると力が弱るため、あまり旅行経験がない。
フルーレティ
好きな食べ物:肉(なんでも)、クルミの入ったパン(地上のもの)
十番街の悪魔貴族。
悪魔の倫理に乗っ取って気ままに奔放に生きている。
遊園地に行きたいと思ったら屋敷内にアトラクションを作ったりショーを呼んだりすればいいと思っている。
ヴェルヴェット
好きな食べ物:乾燥した小動物の骨
フルーレティ邸のメイド長。
遊園地が何か知らない。実は冒頭のフルーレティの家凸を止めようとしていたが、無駄だった。
アメジスタ
種族:マリオネット
舞台役者、踊り子。趣味は魔界動物の生殖を観察すること。
誰にも言えないまま拗らせた想いは父への憎悪へと反転した。
アメジスタの母
種族:悪魔
娘との親子仲は良好で、よくシミラールックを着たりしている。
アメジスタの父
種族:マリオネット(鉄製)
アメジスタの母と出会うまでは自我のない機械人形のピエロだった。
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