第3話 騒がしい館、穏やかなアパート

 再び、場所は変わり。

 ナベリウス邸のパーティーホールで、魔犬の群れに囲まれ、ネオンは苦戦していた。


「クソっ、なんか急に力押しになったな……」

「ボディーガード様、お気をつけて!」


 バーバチカを背後に庇いながら、ネオンはデリンジャーを構えて舌打ちをする。


「こいつら、倒しても次から次へと……!」


 完全に機嫌を損ねたナベリウスが、怒りの赴くままに眷属を召喚し続けている。いつ終わるともわからない戦闘に、ネオンは自らの体力を不安視した。

 新たに現れた獣が、一斉にネオンに飛びかかった。脳髄まで響く唸り声。牙を立てられる直前に、真っ赤にひらく喉めがけ、引き金を引く。続けてもう一体、二体。

 間髪入れずに回転し、バーバチカを狙って駆ける魔獣の背中を撃った。のけぞる魔獣を、蹴りで追撃して沈める。


「さ、さすがです!」

(クソっ、腐っても上級悪魔の館ってだけあるな……!)


 生まれ持った種族差を考えたら、ネオンの善戦は相当立派なものである。

 しかし、このままでは敗北が近いのも、また事実だった。


 貴族に負けるのは悔しい。

 依頼人の期待に応えられないのも、悔しい。


「クソが……っ!」


 ネオンは大きく舌打ちをして、魔力を前方に放出する。

 並の悪魔よりはるかに少ない彼女の魔力は、標的を傷つけるまでに至らない。ゆえに、ネオンは魔力を鏡状に固め、四方に展開する。


「バーバチカ、私の後ろに伏せて、絶対に動かないで!」

「は、はいっ!」


 魔力鏡に向かって連射した銃弾が、合わせ鏡の中で増え、跳ね返り、降り注ぐまばゆい銀の雨となる。豪雨は、魔犬の群れに向かって一気に着弾した。

 雨が止んだ後には何も残らない。

 

 残らない、はずだった。


「はあ……っ、まだ来るつもり!?」


 淡い煙の向こうから、新たな獣たちが召喚されようとしていた。

 ネオンが殲滅を諦め、召喚者の元へ強硬突破する手段を考え始めたその時。





「……待て、魔獣め!」

「!?」


 そこに現れた見知らぬ者の声に、場の空気が一変した。

 バーバチカが両手を口に当て、目を見開く。


「あーちゃん!?」

「えっ、誰?」

「か、彼女が、私の恋人のアルラウネです!」


 現れたのは、頭頂部に美しい緑色の蕾を生やした少女だった。

 どうしてここに、と驚くバーバチカに、アルラウネは詰め寄る。


「水臭いよチカちゃん、どうして私に相談してくれなかったの? ナベリウス様のところへ、毒の加護をもらいに行くって!」

「だ、だって、サプライズがしたくて……それに、あーちゃんを危険な目に合わせるかもしれないなんて、耐えられないから……」

「私、一方的に尽くされても、嬉しくないよ。二人の問題なんだもん、二人で解決したいよ」

「あーちゃん……わ、私……」


 彼女が部屋に現れた瞬間、魔犬はたちまちネオン達から距離を置き始めた。おそらく本能的に、毒の匂いを警戒しているのだろう。


「……話は後だね。チカちゃんを傷つけようとするなら、このアブサン、本気出しちゃうから。ボディーガードさん、すみませんがチカちゃんを守ってください」

「わ、わかった。この状況をなんとかしてくれるんですね?」


 少女の頭頂部の蕾がみるみるうちに育って、翡翠色の花弁が花開く。一気に色濃くなる毒の瘴気から、ネオンはバーバチカを庇った。

 満開の花の下で、薄く微笑を浮かべたアブサンは、毒液の滴る胸をはだけて魔犬の群れの前へと躍り出た。


「……一口食めば夢心地、一口喰らわば蜜の楽園」


 細い指が、服の中から毒液を掬う。粘り気を帯びた銀糸が細長く伸びて、ツッ、と垂れた。


「血に飢えた佗しき獣に、咲き誇るこの身を捧げましょう。身も心も蕩ける絶頂の毒、喰らえるのならば召し上がれ」





「なんだその口上は!? ボクのよりもかっこいいじゃないか!」


 ナベリウスはキャンキャン吼え、額がくっつくほどの勢いでモニターを覗き込んだ。


「くっそー、ボクの魔犬は毒には弱いんだ! せっかくの毒の加護も、ある程度の自我がある相手でないと付与できないし……仕方ない、戻れ! ボクが直接行く!」


 魔犬の召喚を止め、ナベリウスは椅子から颯爽と飛び降りた。

 その際にモニターに尻尾を引っ掛けて盛大に床とキスをしたが、誰も見る者がいなかったことは幸いだった。









「……あ、ここは……?」

「ヴェルヴェットさん! 気がつきましたか!」


 同じ頃、十番街のアパート。

 見慣れぬ部屋で起き上がったヴェルヴェットは、自分を見下ろす少女の顔を見て呟いた。


「あなたはコーヒーショップの……どうして私の名前を」

「ごめんなさい、緊急時だったんで勝手に荷物を漁っちゃいました。あなたの身分証から名前と住所がわかったんで、フルーレティ様に連絡を取ったんです」

「ああ、そうでした、私はうっかり流水を浴びてしまったのですね……」

「水が乾けば復活するってフルーレティ様に聞いたので、同居人のドライヤーを借りて使おうとして……でも熱くて触れなくて、色々奮闘してるうちに、時間がかかっちゃいました」


 申し訳なさそうに、えへへ、と笑うシーシャ。


「私、水妖なので。部屋は湿気が多いし、大丈夫ですか? 気分悪くないです?」

「平気です、水といっても流水が天敵なだけですので……コーヒーも飲めるくらいですし」

「なるほどー」

「介抱して頂いて、ありがとうございます」

「いえいえー、あたし戦いとか無理なんで、人助けっていったらこんなことくらいしかできないんですけど」

「そんなことはございませんよ。改めて、お礼を申し上げます。……貴方のお名前を教えていただけますか」

「シーシャです!」

「あ……お店の名前と一緒だったのですね。……シーシャ、さん」

「じゃああたしは、ヴェルさんって呼びますね」


 頷いて、ヴェルヴェットは改めて部屋を見渡した。荷物の少ないこざっぱりとした部屋の隅に、悪魔ひとりをすっぽりと沈められそうな広さの水を溜めたプールがある。


「あ、それ、ソファ兼ベッドです。ヴェルさんが入ったら大変なことになりますね」

「ええ……きっとそうですね」


 タオルケットの海から上半身を起こし、ヴェルヴェットはシーシャの腕の汚れに気づく。


「あら……申し訳ありません。私の土で、お身体が汚れています」

「全然いーですよ。というか、ヴェルさんこそ大丈夫ですか? この土、身体の一部だったんじゃ……」

「人間や悪魔で言うと、少し出血した、くらいの感覚でしょうか。栄養のある食事をして大人しくしていれば、問題ないと思われます」

「ってことは、私が触ったら、ヴェルさん出血しちゃうってことですね。ほら、私の皮膚の表面って水を含んでるから。握手とかも危険危険」

「握手?」

「貴族間ではあんまりしないみたいですけど、こうやって手のひらと手のひらを組んで、挨拶するんです」

「それに、友好の意味があるのですか」

「そうそう。ま、ボディーランゲージがなくても挨拶はできますけど、悪魔は身体言語が大好きですからねー」

「触れる、ということは、大事なことですか」

「たぶん? まあ、あたし悪魔っていうより幽霊なんで、そこの感覚ズレてるかもしれないんですけど」

「?」

「あんまり、人に触れたいって思わないんです。触れられたい、とも。コレなかなか共感されないから、言わないようにしてるけど……なんか今言っちゃいました」

「なぜ……」

「うーん、ヴェルさん話しやすいから」


 シーシャはヴェルヴェットの隣に腰を下ろして、微笑んだ。


「私はそもそも、そういうことを考えたことがなかったです」

「そうなんですか? もっと聞かせてくださいよ、ヴェルさんのこと」


 ふにゃりと笑う金色の目を見て、ヴェルヴェットは身体の芯が再び疼くような心地がした。


(私、自分のことはあまりわからないのに)


 柔らかい星影がカーテンの隙間から降り注ぐ。


(わからない、けれど、この子はどこか懐かしいような気がする)


 ざわめく感情の正体を確かめたくて、ヴェルヴェットは目の前の瞳を見つめ返した。

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