第2話 Happy Hallowe♡en!
返り血を浴びたワゴンが九番街を走る。
街の明かりはどこも変わらずうるさく、煌々と地底を照らしている。
依頼人の自宅周辺まで来ると、ネオンはアクセルから足を離した。
「ネオンちゃん、送迎ありがとう」
「……ありがと」
「はいはい、イチャつくのも大概にしてよ」
ネオンがアイドルユニットの護衛任務を受けてから数週間。
ストーカーらしき相手を手当たり次第、次から次へと退けたものの、状況は膠着していた。
というのも、一番しつこくて厄介な相手を捕まえることができずにいたからだ。
「ホント、逃げ足が速いんだよなあいつ……」
その男は、マロとムーンの二人に接触しようとするでもなく、ただ離れた場所からじっと見守っているだけだった。目が合えばあっという間に逃げてしまう。
しかし、しばらくした後にケロっとして現れるのだから堪ったものではない。
「何が目的なのか、さっぱりわからん」
いっそ襲いに来てくれたら、その隙に取り押さえられるのに。見つめているだけで特に動く気配もないからちょっとしたホラーだ。
(まさか天使なのが既にバレて、証拠を狙ってる、とか……? だとしたらもっと警戒しなきゃ)
見張られている当の本人たちは、まるで気にしていなかった。というより、世界には自分たち二人しかいないと本気で思っているのだろうか。いついかなる時もお互いに夢中で、全く周りが見えていない。
「ねぇねぇムーン、今日の私の下着の色当ててみて」
「ヒントはないの?」
「えっとね、ムーンが見たことあるやつ」
「それだけじゃわかんない」
「じゃあもっとヒント。触って当ててもいいよ」
「部屋に戻ってからやれ!」
運転席からネオンが叫ぶ。
その時、物陰から粘つくような視線を感じた。間違いない、”いる”。
「ちょっとあんた、今日こそ顔貸しなさい!」
ネオンは銃を構えて、車から飛び出した。本来ならそのままアクセルを踏んで追いかけたいところだったが、面倒なことに相手は空を飛べるのだ。前回の失敗から学習済みだった。
「クソ……ッ!」
一発目の銃弾を外して、舌打ちをする。回避率がバグっているとしか思えない。
うっかり流れ弾を当てることのないよう、ネオンは護衛対象を横目で確認する。
「あ、ここにリボンがついてるってことは……赤のラメのやつ?」
「すごい、正解!」
「それ続けてたの!?」
呆れて吼える間にも見逃さなかった。ストーカーが振り返るために一瞬、動きを止めたのだ。
その隙に狙いを定めて、流れるように引き金を引いた。
「はい、そうです……俺は百合ップルを包む空気になりたかったんです……」
「なんだこいつ……」
ワゴンの後部座席に正座させられたストーカーは、羽からだらだらと血を流しながら釈明した。
カラスに似た異形の頭に生えた嘴が、パクパクとうるさく開閉する。
「だって、だって”ガチ”じゃないですか……この二人の関係性を浴びてるとホント狂えるっているか死ねるし生きれるみたいな、そういう喜びがあってそれはマロムンでしか満たせなくて」
「なんだこいつ」
この状況下で尚テンションが上がっていく男を見て、ネオンは心底困惑した。
背後から様子を伺っていたチョコレートムーンが、ぽつりと呟く。
「ふーん、そういうのも喜んでもらえるんだ。今度、そういう配信もしてみる? 私たちの部屋での普段の様子をずっと流すみたいな……」
「だ、だめ! ムーンのそういう時の顔は私だけが見ていいの!」
「ア”----!!」
「うるせええええ!!」
興奮してガタガタと揺れ出した自称百合ップルを包む空気に、ネオンは美しい手刀を放った。
天使バレとかルシファーの懲罰とかに気を張ってたのが馬鹿みたいじゃないか! と心で吼えながら。
「そもそもどうしてこんなことしようと思ったんだ! お前仕事は!」
「いや、実は、勤め先が急に蒸発して……悪魔人生どん底の時にHallowe♡enに出会って、おかげでそこから立ち直れたっていうか&%は#ピャッ!!」
彼が途中で言葉を失ったのは、マロとムーンがどちらからともなく抱きしめ合って、静かに口づけを交わし始めたからだった。
「あんたらまじで部屋まで待てなかったわけ……?」
「違うの、私たちの活動が、あのひとの助けになってたって言うのなら、それはすごく嬉しくて。だから、感謝を伝えるために?」
「……うん。私たちを推してくれてありがとう。感謝」
「そんな感謝の伝え方あるんだ……地獄アイドル界隈なんもわからん……」
ネオンの温度とは対照的に、彼は感動に浸りきって震えていた。歓喜の震えで火すら起こせるんじゃないかと心配になるくらいに。
「まあともかく、彼女たちに救われた悪魔人生だって言うのなら、なおさら自分の尊厳を貶めるなよ。彼女たちの価値を貶めないためにも」
「はい……! そうですね、俺は自暴自棄になるあまり、悪魔の誇りを忘れていました……!」
男はキラキラと瞳を輝かせた。
「俺、また仕事探して真っ当に働いて、彼女たちに感謝を返せるように頑張ります!」
「うん、応援してるよ!」
「……うまくいくことを祈ってる」
「はい! そして、俺の稼ぎをぜひ百合配信の資金に充ててください! 今の光景を俺だけが独占するのはもったいなさすぎる!!」
「う、うん、若干ついていけない感じは残るけど……まあ解決ならいいか」
ネオンは銃をレッグホルダーに収めて、鳥の悪魔のつぶらな瞳を一瞥する。
さて、この後の処分はどうしようか、とプロデューサーに連絡しようとしたところで、
「ああ……引き取ってくれそうな心当たり、あるな……」
と、若干不服そうに呟いた。
「え! 九番街から十番街への移住希望ですか? もちろん大歓迎ですよ! 仕事? 何でも希望を言ってください、なるべく叶え……あ、それなら大人気百合漫画家のパラダイスピエール先生のとこの住み込みアシスタントはどうでしょう? ええっ料理もできるんですか! じゃあうってつけですね、あー先生、先生ー?」
「レティ様、何してるんですか。そんなにバタバタと飛び跳ねて……」
「ふふっ聞いてください、ネオンさんが、私に連絡をくれたんです!」
(レティ様、業務連絡でもそれほどまでお喜びに……)
地底の一日は、夜に始まる。
そしてまた夜に終わるのだ。
「結果的にフルーレティのヤツに協力した感じになったのは、何か癪だけど……報酬もいっぱい出たし、悪くない仕事だったかな」
「へぇ、じゃあ仕事は一段落ついたの?」
「まあね」
ネオンは、シーシャが淹れてくれた薄いコーヒーを啜った。
あの後すぐにチョコレートムーンは天使の位を上げてからの堕天を成し、望み通りのサキュバスの姿を手に入れたらしい。天使バレの心配が無くなったので、護衛の仕事も一区切りとなったのだった。
プロデューサーに契約終了を惜しまれ、いっそボディーガード系アイドルとしてタレントデビューしないかと言い出された時はどうなることかと思ったが。
(ま、それは置いといて、地獄に影響力のあるアイドルたちと繋がれたのは大きいな。もっと名声を上げて、そして)
まばゆい十番街の明かりが、窓の向こうにきらめいている。
街と下層を隔てる移動ゲートの光を横目に、ネオンは小さく息を吸った。
(クソみたいな環境から私を救いあげてくれた恩人に、絶対、会いに行くんだ)
正面ではシーシャが、楽しそうに鼻歌を歌っている。
「また、こうして一緒にのんびり夕食が食べれるんだ?」
「嬉しいの? それで今日はこんなに食事が豪勢なのか」
「ふふん」
「ありがと。でも正直言って……どれも私の苦手って言った食べ物ばっかり」
「ええ、そうだっけ? 全部セールで安くなってたからつい」
「わざとじゃないのが逆にすごいよ」
酢漬けのオキアミを摘まんで、ネオンはふっと笑った。
次の依頼に想いを馳せて、窓の外を眺める。街のネオンサインが、ウィンクするみたいに瞬いた。
【完】
第一章の登場人物紹介
ネオン・ライト
種族:悪魔(中級)
十番街のボディーガード。武器は銃と体術。
憧れの上級悪魔の傍へ行くために、依頼をこなして名声を集めたい。
生前は人間だったため、見た目は悪魔の特徴がやや薄い。
シーシャ
種族:水妖
ネオンと同じアパートに暮らす同居人。
一階を改装して開いたコーヒーショップで、インスタントコーヒーを出している。
水霊と幽霊、両方の性質を持つため、上半身は常に湿っており膝から下は多少透けている。
フルーレティ
種族:悪魔(上級)
十番街の一区画を治める貴族。自他ともに認める並外れた美人。
ネオンにちょっかいをかけてはよく空回りしている。悪魔としての能力はその地位に恥じない。
地獄生まれの純粋な悪魔で、普段の人間体のほか、いくつか姿を使い分けているらしい。
ヴェルヴェット
種族:グール
フルーレティに仕えるメイド長。ほぼ無表情。
グールでありながらグールを使役できる稀有な存在。
水に弱く、濡れると泥状に溶けてしまうが、流されさえしなければ問題なく動けるらしい。
チョコレートムーン
種族:サキュバス(元天使)
本名はセレニエル。
正確には堕天使だが、堕天時にサキュバスの姿を模したのでサキュバスということになっている。
マシュマロゴースト
種族:サキュバス
本名はマロニエ。
チョコレートムーンとは地上旅行へ行った際に出会った。お互い一目惚れだったらしい。
プロデューサー
種族:山羊の悪魔
こう見えてかなりの愛妻家であり、妻のことを何より溺愛しているらしい。
百合ップルを包む空気になりたい悪魔
種族:鳥の悪魔
彼が住み込みに来てから、パラダイスピエール先生の作画ペースが大幅にアップした。
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