第1話 依頼人:地獄アイドル
「……いいでしょう、私は自分の仕事に誇りを持っています。どんな事情があろうとも、秘密ごと彼女たちを守りきってみせますよ」
「頼もしいお方だ。それじゃ、めでたく皆で親睦を深めましょうか」
「え?」
「マロ、ムーン、こっちへおいで」
たちまち個室のカーテンが開いて、手を繋いだ二人の少女が入ってきた。
ミルクブロンドにピンクメッシュのツインテール。すぐ隣には、ネイビーブラックのストレートロング。
「マシュマロゴーストです!」
「……チョコレートムーンです」
「「私たち、Hallowe♡enです」」
サキュバスの羽と尻尾が二対、ゆらゆらと揺れている。
どうです、可愛いでしょう、とプロデューサーの顔がだらしなく蕩けた。
「ねープロデューサー、ここ個室? もう変身解いていい?」
「ああ、構わんよ」
「良かったー、さすがにちょっと疲れた」
「いつもありがとう、マロ」
ネオンが反応に困っている間に、サキュバスたちは空いている椅子に荷物を下ろした。そして、マシュマロゴーストと名乗った少女が、もう一人の少女の羽に手をかける。
「はい、お疲れ」
少女が触れた箇所から、サキュバスの羽が、少しずつ変化していく。アッシュピンクだった色は少しずつ純白に変わり、ふわふわと膨らんでいき、その姿はまるで、
「て、天使……!?」
地獄にあってはならない存在そのものだった。
「ひ、秘密ってこれか……なるほど、これはバレたら関係者全員ルシファーにブチ転がされるわ……」
「事情をお分かりいただけましたか」
「いや何もわからん。何で天使が地獄でアイドルやってんの?」
天界だってこんなこと知ったら黙ってないでしょうに、とネオンは呆れた。
むしろその辺りは天界の方が厳しい。地獄の者と交流していたことがバレたなら、極刑、堕天は免れないだろう。
少女たちはその言葉を聞いて、固く抱きしめ合った。
「だって、天使のムーンと一緒に生きたかったから!」
「サキュバスのマロが、二人で生きようって言ってくれたから」
「そ、そっか……」
ね、尊いでしょ? とでも言いたげにプロデューサーがアイコンタクトを送ってくる。
「満足に暮らすためには仕事も必要で、それでアイドルに」
「天使の姿で地獄を歩かせるわけにもいかないから、私の能力でサキュバスの見た目に変身させてるの」
チョコレートムーンこと天使の少女は、輝く白い羽を撫でて呟いた。
「本当は、きちんと堕天してから地獄に来たかったけど、ほら、堕天後の階級って元の天使の階級に依存するじゃないですか。私、もう少しで天使の位が上がるから、堕天するならその後のほうが絶対良いかなって。悪魔社会じゃ階級なんて天使ほど簡単に上がらないし」
「し、しっかりしてるな……とても天使とは思えない倫理観だけど……」
眉間に皺を寄せるネオンを尻目に、チョコレートムーンは、マシュマロゴーストの手を取って微笑んだ。
「結局、堕天まで待てなくて来ちゃった。早くマロと一緒になりたかったから」
「ムーン……!」
「あーはいはい、つまり私は若気の至りの尻拭いをして報酬が貰えるわけね? ルシファーに喰われるリスクも背負って。最高じゃない」
天使の滞在を見逃していたとバレたら、間違いなくルシファーの懲罰が待っている。
そして、依頼をバックレたらたぶん、プロデューサーからの報復が。
(クソ、とにかく成功させればいいんでしょ。九番街にも顔を売るチャンスだし)
ネオンは精一杯の笑顔を作り、握手を求めて手を差し伸べた。
「喜んでお受けします。護衛の契約、確かに交わしましたよ」
「なぜですか、ネオンさんがしばらくアパートに帰っていません……」
フルーレティの所有する、街外れのお屋敷の一室。
漆黒のゴシック調の寝室で、若き主はひとり不貞腐れていた。
寝台に、大きな蝙蝠状の翼と、豊かな髪が広がる。ラズベリーピンクの長髪に、薔薇石英のハイライトがチカチカと落ち着きなく揺れた。
「レティ様、お食事の用意が整いましたが」
「ああヴェルヴェット、ちょうど良いところに。ネオンさんの様子を見てきてくれませんか?」
「なぜそんなことを……」
給仕服を着た長身の女性が、表情の乏しい顔をフルーレティへと向ける。
「あの悪魔の娘と仲良くなりたいのでしたら、レティ様のやることは全て裏目に出ています」
「えっ、何がまずいですか?」
「はぁ……それでも、最初の頃よりはだいぶマシですが。初対面で最悪の印象を植え付けてしまったんですから、ゆっくり挽回していくしかないでしょう」
「そ、そんな! 私、そんなにひどかったですかね?」
「『卑しい地層からはるばる、よくぞ十番街まで辿り着きました』でしたっけ? あれじゃ喧嘩を売っていると思われても、仕方ありません」
「私としては、精一杯の歓迎のつもりだったのですが……」
「それに、ついこの間も、アパート一帯を精神感応でジャックしたとか」
「ネオンさんと連絡が取れないから、心配になって……」
従者・ヴェルヴェットは、呆れたように首を横に振る。
「どうして、あの娘にそこまで拘るんです?」
フルーレティは、寝台の上で仰向けに転がった。
柔らかいシーツの海がサラサラと、さざ波を立てる。
「だって……珍しいじゃないですか。彼女の魂、人間の匂いがします。それに地層出身の低級悪魔が、何の後ろ盾もなくこの十番街、地底深くへ降りて来れるなんて……!」
「ひとりの低級悪魔が、中層の主要な悪魔を皆なぎ倒したという噂は、確かに私も聞きました。それがネオン様、ですか……いったい何者なのでしょうね」
「気になるでしょう? 私もです、とっても興味をそそられます。珍しいものは大好きです。もっとあの子のことが知りたい」
わくわくする心を隠せない様子で、シーツの上でクッションに抱き着くフルーレティ。
「ともかく、長くアパートを空けているということは、きっとお仕事が忙しいのでしょう」
「うう、仕事なら私がいくらでも用意してあげるのに……どうして、ネオンさん……!」
フルーレティは頭を抱え、魔法ポータルから求人リストを取り出してパラパラと捲った。
地区内の住民の仕事の斡旋も、悪魔貴族の重要な特権であり役割の一つだ。
「いいですか、相手の仕事を尊重して労わって差し上げることも大事ですよ。だからご迷惑になりそうなことは考え直して……」
「いっそ、このお屋敷に住んでくれないでしょうか。あんなボロボロのアパートよりも、よっぽど快適なお部屋を与えられるのに」
「……間違っても、ネオン様の前では『ボロボロのアパート』などと口にしないほうが良いと存じます」
フルーレティはごろりとシーツにくるまった。あ、聞いてない、従者はそう判断する。
「うう……悪魔付き合いなんて今まで気にしたことなかったから、難しいです……」
まあ無理もないと、ヴェルヴェットは心の中で溜め息をつく。貴族という立場に甘えていたせいか、主の交友関係はポンコツ、仕事以外はてんで不器用なのだ。
そんなフルーレティが溢した弱音に、ヴェルヴェットは言葉をぐっと詰まらせた。
「……やれやれ、コーヒーのひとつくらいは、お使いに行っても良いかもしれませんね」
「えーん、ヴェルヴェット?」
「いらっしゃーい」
ヴェルヴェットは、古びた建物の前に立っていた。
目の前には、アパートの一階を雑に改装して作ったコーヒーショップ。
『シーシャのインスタントコーヒー』の看板の隣に開いた窓から、店主の気の抜けた挨拶が響いた。
「コーヒーをひとつ、お願いします」
「はーい。何か足します?」
「では、この店のおすすめを」
「おっけー、貴重なAB型Rhマイナスの血液トッピングしときますねぇ。お客さん運が良いです、今日だけ特別ですよ」
「有難いけど、そういうサービスは吸血鬼にしてあげたら良いのでは」
「あら、お姉さん吸血鬼ではない?」
「どこからどう見てもグールです、私は」
ヴェルヴェットは表情を変えぬまま、自分の腕をポキリと折ってみせた。土塊の詰まった断面を見せ、すぐに元通りにくっつける。
「グールの身ですが、同じくグール使いでもあります」
「なんかすっごく強そうですねぇ。十番街の方ですか?」
「ええ、この辺りの噂もよく耳にしています。なんでも、優秀なボディーガードがいるとか」
「ああ、それならあたしの同居人ですね。同居人って言っても、アパートが同じだけですけど。ここのアパート三階から上は崩れてるし、実質、一階と二階であたしたちの家みたいなもんです」
店主・シーシャは建物を見上げて笑みを浮かべた。
ヴェルヴェットは淡々と世間話を装う。
「そうでしたか。同居人様は、今はお仕事に?」
「はい、大きい仕事が入ったとかで、最近あんまり会えてなくて。でも、忙しくしてるほうが生き生きとしてるひとだから、本人的には充実してるんじゃないかなって」
(その暮らしぶり、フルーレティ様が介入できることは無いのでは……)
シーシャがコーヒーの入ったカップを手渡す。受け取って、ヴェルヴェットは優雅に一礼した。
「ありがとうございました。同居人様にもよろしくお伝えください」
「はーい。……あ、ねぇ、グールのお姉さん」
「?」
「これはあなたに」
そう言って差し出されたのはもう一杯のコーヒーだった。
ヴェルヴェットの無表情が、わずかにピクリと動く。
「なぜ、このコーヒーが自分用でないとわかったのですか? 貴女、心が読める能力を?」
「んー、勘」
「どんな観察眼ですか」
シーシャは掴み所のない笑顔でふにゃふにゃと笑った。
「あと、綺麗だからです」
「……綺麗?」
「お姉さんが」
「…………わたくし、が? このような土塊の身が、ですか?」
「あたし、顔が綺麗なひとには甘くなっちゃうんですよねぇ」
店員らしい愛嬌を込めて、シーシャはヴェルヴェットを見つめる。
「また来てくださいね」
「……粉とお湯の味がします」
コーヒーを一口飲んだヴェルヴェットは、率直な感想を述べた。
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