第二章
第1話 遊園地に行きたい
「ねえネオン、たまにはどっか遊びに行かない?」
いつものアパートの共用スペース、共用の冷蔵庫、共用のテーブル。
夕食のベーコンエッグに海藻ペーストをまぶしながら、シーシャが提案した。
「んー、買い物とか? そろそろお風呂の洗剤、買い換えないと」
「そういうのじゃなくて、もっとお出かけ! って感じのやつがいい」
ネオンはスケジュールアプリを開いた。
依頼が一段落して今日は休みを取っているとはいえ、いつ新しい依頼が来るとも限らない。
「旅行だったら、あんまり遠くには行けないかな」
「えー、じゃあ、日帰りで行けるところ! そうだ、ヘルパークはどう? あたし一度も行ったことないんだよね」
「私もないけど、二人で遊園地って歳でもないでしょ」
「娯楽に年齢なんて関係ないよ。あと、エンタメなんてむしろ大人向けだって」
「そう言われればまあ、そうなのか?」
シーシャは、防水スマホでヘルパークの公式Helltterを開く。
「わ、今月はマリオネットイベントだって! ほら見てよ、魔法人形のショー、すごく綺麗。期間限定ショップも可愛いの多くて激アツすぎ。チケット取っていい?」
「いいけど……」
「やった。ちょうど十二時からの回が空いてるから、ご飯食べたら即出発ね」
「こういう時だけフットワークが軽いんだから」
「でも付き合ってくれるじゃん。はい、発券コード送るね」
シーシャが画面をタップした瞬間、聞き慣れない通知音が響いた。
「あれ、何だろ、ちょっとごめん。……もしもし? はい、はい。……えっ?」
シーシャの顔がだんだんと青ざめていくのを見て、ネオンは嫌な予感がした。
「はいわかりました。……はい、じゃあ」
「どうしたの」
「ネオンどうしよう、免許の更新今日までだった……」
「ええ……何の免許?」
「インスタントコーヒーの免許」
「免許いるんだ……」
シーシャはスマホを握り締めてテーブルに突っ伏した。
「タイミング悪いよー、せめてチケット決済する前に電話してよ!」
「忘れてたあんたが悪いんでしょ」
「正論ハラスメントやめて、効くから……あーあ、この水中でも動く限定ミニマリオネット欲しかったな……」
「そう言われてもさすがに一人じゃ行かないし」
ネオンがどうやって同居人を慰めようか困っていると、コーヒーショップのシャッターが激しくノックされた。
嫌な予感が膨れ上がり、ネオンは身構える。
「ネーオンさーん、あーそびましょ」
「帰れ!!」
顔も見たくないほど苦手な悪魔の声に、ネオンはたまらず飛び上がっていた。
「ねえネオンさん、中層の悪魔をバッタバッタとなぎ倒したって噂は本当ですか? 出身はどこですか? 何の目的で十番街へ?」
「またそれ? いい加減クソしつこいんだよ」
「それに、いつまでこんなに狭い場所で寝泊まりしているつもりなんです? 私のところに来てください、衣食住もお仕事も不自由させませんよっ」
「嫌、無理、帰れ」
絶対零度の拒絶を右から左へと受け流して、フルーレティは再びシャッターを叩いた。ああクソうるさい。リズムを取るな。
歌い出すな。ちょっと楽しくなってるだろやめろ。
こんなクソガキみたいな奴がこの街を治めてるとか、地獄か。
十番街で依頼を受けるために、一度挨拶に行ったその時から、どういうわけかネオンはフルーレティに異様に懐かれている。フルーレティいわく『人間の魂の匂いがするから!』らしいが、真意は掴めない。
やがてシャッターを叩くのに飽きたのか、フルーレティは建物の上にヌルっとゲートを開いて壁をすり抜けてきた。
ネオンは鍵の存在意義を嘆いた。
「ネオンさん、私とお喋りしたくないんですか?」
「あー、じゃあ好きな花教えて。あんたの墓に飾るから」
「えっ……将来、私を看取ってくれるつもりで!?」
「今死ねって意味だよ!」
ネオンはフルーレティが心底苦手だ。
(初対面で思いっきり見下す態度を取られたこと、忘れてないからな)
貴族フルーレティは、紛れもなく地獄生まれの純粋な悪魔だ。
地獄に生まれ堕ちた者は、時が朽ちるまで生まれた姿のまま。ゆえに地獄生まれの悪魔にとって、自己とは絶対的で不変のもの。
つまり何が言いたいかって、そういう悪魔ほど自分を曲げない、アタマが固くて糞ワガママだってことだ。
「……あのー、フルーレティ様、コーヒー飲めます?」
廊下で言い合う二人を見かねたのか、シーシャが湯気の立つ紙コップを差し出してくる。
「はい大好きです。頂きます」
「シーシャ、もてなさなくて良いから」
共用部屋のソファの真ん中に陣取って、フルーレティは微笑む。
シーシャの手からコーヒーを受け取り、優雅に啜った。
ネオンは仁王立ちで舌打ちをする。
「ここはテイクアウトしかやってないんだけど。上がり込むな不法侵入だ」
「この街では私が法です」
「最悪な事実」
フルーレティは視線に気づいて、コーヒーから顔を上げた。
「おやどうしました、水妖のお嬢さん」
「あ、いえ……本当に可愛いですね」
「ありがとう、よく言われます」
シーシャはフルーレティの所作に見惚れていた。
ネオンの耳元に近づき、低い声で囁く。
「ねぇ、ネオンはどうしてフルーレティ様をそこまで邪険にするの。今のところ完璧でしかないじゃない」
「あんたは顔しか見てないでしょうが」
「ふふ、水妖種は貧弱と聞いていましたが、審美眼は確かなようですね」
「ほら! こいつ、いちいち言葉に棘があるんだよ!」
「えー、貧弱なのは本当だし」
シーシャは、作れていない力こぶを作って、自分の二の腕をぺちぺちと叩いた。
呑気な仕草に、ネオンは脱力する。
「はぁ……で、貴族サマは何しに来たの」
「ネオンさんともっと親しくなりたくて!」
「私の方はお断りなんだけど……」
フルーレティは、むっと頬を膨らませた。
「な、何でですか! まだ私たち、お互いに何も知らないじゃないですか!」
「大して何も知らない段階で、既に嫌な所ばっかりだから嫌なんだけど」
「そんな……っ! 私、長所はたくさんあります! 少しだけでもチャンスをくれたら、ネオンさんにいい所を見せますから!」
「長所……例えば?」
「顔」
「興味ない」
「ああっ中身も! 中身も知ってくださいネオンさん!」
埒の明かないやり取りが始まりそうになる。苦い顔をするネオンと、悲しそうに懇願するフルーレティを見て、シーシャがはっと何かを閃いた。
「そうだ、ヘルパークのショー! 二人で行ってきたらどう? 少しはお互いのことを知れるかも!」
「ネオンさんとお出かけ!?」
フルーレティの瞳孔がみるみる輝いて、ハートの形に光を放った。
「シーシャ、あんた、何言って」
「いいじゃん、何も知らないで毛嫌いするよりは。知ってるひとがギスギスしてるのを見るより、仲良くしてる所を見てる方がずっといいもん」
「もう、わかったよ、あんたが言うなら……でも今回だけだから! それでやっぱり無理だってなったら、遠慮なく距離を置くからね!」
「その心配はいりません! 私、ネオンさんに素敵な一日をお約束します!」
「どうだか……」
シーシャの言い分は一理ある、と思いつつも。
なんで私が、自分より力とお金のある奴に気を遣わないといけないんだ、とネオンは独自の美学でぼやいた。それも、とびきり気に喰わない奴に。
地底を生き抜くために、ある程度の繋がりは必要だけど、それは自分を擦り減らしてまで優先すべきことじゃない。
自分の尊厳を貶めてくる相手とは、徹底的に関わらないようにするのがネオンの生き方だった。
(だって、生まれとか種族とか、自分の力ではどうしようもなく変えられないことってあるじゃん。それを馬鹿にされて、いちいち心を痛めてたってキリがないし)
シーシャがスマホの時刻に気づいて、いそいそと鞄を手にする。
「あたし、そろそろ免許センター行かなきゃ、また後でねネオン。フルーレティ様、ご健闘を祈ります」
「あら、ついでですから送っていきましょうか」
フルーレティは丁重にコーヒーのカップを返すと、空中を人差し指で数か所なぞった。
たちまち、即席の移動ポータルが現れる。
「十番街以上の階でしたら、どこでもポータルを開けますよ。ええと、目的地はどこですか?」
「……十三番街。移動ゲートの東側」
上級悪魔らしい能力を目の当たりにして、ネオンは頭がくらくらとした。
「ここがヘルパークですか! 私、遊園地は初めてです!」
大量の風船の海の向こうに、巨大なサーカステント型の建物が聳える。
甘く焦げた砂糖の匂い、熱した穀物とバター。あちこちの屋台の香りが混じり合って、お祭りらしい空気が漂っていた。
カラフルな石畳に、棒キャンディのような柱。ピエロ帽の形のスピーカーは、奇妙なサーカスを連想する曲を絶えず流している。
ポータルから飛び出したフルーレティは、入り口で早速マスコットキャラクターの耳付きカチューシャを買い求めた。
ラズベリーピンクの前髪の上、透き通るツノの横に、ピエロ兎のつけ耳が並ぶ。
「なにそれ」
「わかりません! ですが皆さん付けていますし、おそらくここのドレスコードでしょう。ほら、可愛い!」
「あ、そう。それで、ここで何したらいいの?」
「さあ……?」
「…………」
遊園地に来たことがない少女がふたり、揃って顔を見合わせた。
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