第5話 長年の勘

<日本語版船内新聞>を配り終えた頃、電話が鳴り出した。


「げ。マネージャーじゃん……」

『くぁwせdrftgyふじこlp!』


 電話に出ると案の定、マネージャーは何やらお怒りだった。落ち着いて話せよと毎度思う。


 船でサービスに長く関わった人間は、心を病んでいる割合が高い。喜怒哀楽がぶっこわれてしまい、ちょっとのことで怒鳴り出したり、泣き出したりする。先ほどまで笑っていたと思えば、世の終わりのように悲観し出す。


 今回当たってしまったマネージャーはその手の<クルー病感染者>だった。


 長年閉鎖空間に閉じ込められた弊害なのだろう。テノール歌手の彼氏が任期を終えて下船してしまってから、おかしくなったと聞いている。


 なんとか宥めて要件を聞き出す。どうやら、531号室で盗難事件が発生したらしい。


「清掃員が盗んだに決まっているのよ!」


 531号室の奥様が叫んでいる。インドネシア人の清掃員が、困惑顔を浮かべていた。

 日本語が分からなくても、意味は伝わっているに違いない。


「ボク、やってないよ」不安そうな顔で、インドネシア人の清掃員、デニは呟いた。


 肩にそっと触れると、彼の目には涙が浮かんでいる。クルーは盗みをしないとは言い切れない。それでも明るみに出れば、翌日には船を降ろされる。清掃員は真っ先に疑われることを自覚しているので、基本的に客室で馬鹿な真似はしない。


「あの清掃員はなにじん?」

「インドネシアです」

「インドネシア人が掃除に入るなんて思わなかったわ」


 たまに日本人のお客様から訴えられる苦情だ。なんでも部屋に入れるのが怖いそうだ。では、なにじんなら良いのだろうか? そういう人は日本から出ない方が良い。


「盗難って決まったわけじゃないだろ」奥様の息子だろう。高校生くらいの男の子が、ベッドの上でゲームをしている。

「だって、探しても見つからないんだもの」

「本当に良く探したのか?」旦那様はソファーに腰掛けたまま、動こうともしない。

「何が無くなったのか教えて頂けますか?」


 サキが口を開くと、奥様が啖呵を切る。


「指輪よ。ブランドもので、高かったのよ! ちゃんとこの袋にしまっておいたのにないのよ!」

「いつもその袋にしまうのですか?」

「えっと、やっぱりこっちの袋かもしれない。と に か く、トランクをひっくり返して探したのよ。本当よ。それでもどこにもないの。絶対、この部屋にあるのは間違いないの! 盗まれたに決まっているわ」


 お客様はよく、豪華客船の旅に普段使わないような高価なものを持って来て、無くして騒ぐ。お洒落をしたいという気持ちは分かるが、海外旅行で高級品を身に付けるのは<私は無知です。狙ってください>とひけらかしているようなものだ。何の得があるだろうか。


 白い制服に身を包んだ警備員が二人到着した。事情を説明するといくつか指示を出されたので、そのまま通訳する。


「そのお手元にある袋の中を、もう一度見て頂けますか?」

「なんでよ! 何度も探したって言っているでしょ? 盗難なのよ!」

「お願いします」


 奥様が袋を開けると、指輪はそこにあった。


「見つかって良かったです」


 嫌味に聞こえることを恐れて、なるべく感情を込めずに呟く。奥様が苦笑いを始めた。デニへの謝罪も探してもらったことへのお礼の言葉もなかったが、用が済んだのでさっさと立ち去る。


「だから、母さんは騒ぎすぎ! 恥ずかしい」背後で、奥様の息子の声がした。


(少年よ。大丈夫。よくあることだから)


「こんなことで警備員さんまでお呼びしてすみません」


 エレベーターの中で謝ると、二人の警備員は「うふふふ」っと笑った。


「でも、どうして一発で分かったんですか?」

「うーん。長年の勘かな。なくしものって、案外手元にあるものなんだよ」


 灯台下暗しというやつか。






 事務所に戻り、専用のパソコンでお客様情報を検索する。

 ケンジと中国人客室乗務員のヤンは、寄港地で一緒に遊んできたようだ。「お土産」と言って、ヤンがチョコレートを投げてきた。


「903号室のお客様情報?」


 ケンジがパソコンを覗き込んでくる。くだんの件を説明すると、ヤンが食いついてきた。


「行為中疑惑が掛かって清掃出来なかったって? 日本人は<入室しないで下さい>のドアプレートの使い方も知らないわけ?」

「まぁ、ドアプレートは日本のホテルにもあるけど……純和風の旅館には無いところが多いんじゃないかな?」ケンジが答える。

「うふふふふ。ぶふっ。これは……」


 嫌らしい笑い方をするヤンの腹に軽く肘鉄を食らわせてから、ケンジと目を合わせた。


 乗船されたお客様の情報は、一括管理されている。宝くじが当たるような確立かもしれないが、火災が発生したり、行方不明者が出たりする可能性はゼロではないのだ。勿論、ご丁寧に写真付きだ。


「不倫……かな? 船への束の間の逃避行ってやつ」


 言葉を発したケンジを睨みつける。


「なんだよ。サキだって、そう思っただろ? 勘みたいなもんだけどさ」

「そりゃそうだけど……。わざわざ言わなくてもいいじゃない」


 サキはお客様情報のページを閉じた。

 お客様はお客様だし、事実は分からない。知らなくて良い。


「長年の勘ってやつだよねー」ヤンは楽しそうに呟いた。


 その日、903号室からの苦情電話はなかった。

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