第3話 ちん〇んで世界征服

 船の最前方に位置するバーには、厳かな音楽が流れている。

 船内のバーでも年配層を対象にした、ハイランクなバーだ。

 低めのガラステーブルが十卓ほど並び、お客様たちはソファーに腰掛けている。


 新婚旅行客を対象としたクローズドパーティーが終盤に差し掛かった。

 結婚記念日を祝いに来たご夫婦も招待されている。


 イギリス、ギリシャ、スペイン、フランス……挙げればきりがない。

 世界各国から、愛を祝いに来たご夫婦だけがこの空間に集められている。


 全面ガラス張りとなっているので地中海が一望出来、展望は抜群だ。

 燃えるような夕日がゆっくりと海面に溶け込んでいく。


 サキが日本語で、愛の言葉を読み上げた。

 ショッキングピンクのロングドレスを纏い、真珠のネックレスを付けている。


 他の言語での朗読は、もう済んでいる。


 音楽がクライマックスに差し掛かったころ、船長がおもむろに立ち上がった。

 手には、シャンパングラスを持っている。


「ご乗船ありがとうございます。皆様の旅が素敵なものになるよう、心から願っています」


 感極まって泣き出す日本人女性もいた。無理もない。

 耳元で、長年連れ添った夫に感謝の気持ちを伝えられているのだから。


 全員が一斉に立ち上がり、シャンパングラスを掲げる。

 船長が一言。


「ちん〇ん!」

『ちん〇ー-ん!!』

 

 日本人以外のお客様は、船長の言葉を大声で復唱する。

 

 金縛りにあったように凍り付く日本人のお客様。

 舞台に立つサキも動揺を察知し「うっ」と小さなうめき声を上げた。


 ちん〇んの大合唱が始まった。


 どこの国のお客様たちもそれはそれは幸せそうだ。

 日本人のお客様を除いて。


(サキ!!!!!)


「に、日本人の、お、お客様……」


 噛むな、サキ。

 シャンパングラスを持つサキの手は震えている。


「ち、ちん〇んは、ちん〇んは……」


(しっかりしろ)


 サキは大きく息を吸ってから、一気に言葉を発した。


「ちん〇んは、イタリア語で『乾杯』という意味でございます。今一度、乾杯の音頭を取らせてください。か、乾杯! サルーテ!」

『乾杯! サルーテ!』


 サキの三回のちん〇ん発言に場が和んだのか、日本人のお客様の頬が緩んだ。

 周囲と乾杯してから、着席する。


 新しい船長が来たことを、忙しさにかまけてすっかり忘れていた。

 こういうことは、いつもサキがちゃんとやってくれるのだ。


 マネージャーが、ギロリとこちらを睨んでくる。

 後で怒鳴られるな、これは。


 ちん〇ん騒動はあったが、結果としては良いパーティーだった。

 嘘じゃない。

 日本人のお客様は、笑顔のまま会場を後にする。


 サキは、会場を去ろうとする船長に駆け寄った。ケンジも、サキの隣に立つ。


「船長。申し訳ないのですが、日本人のお客様がいる前で、ち、ちん〇んは辞めて下さいませんか?」

「なぜだね?」


 この船長は、日本人客がいる船に乗船するのは初めてなのだろう。

 サキの口から言わせるのは、流石に酷だろうか。


「ちん〇んには、……非常に……そう非常に……悪い意味がありまして。日本人のお客様がびっくりされてしまうのです」


(言えよ。言っちまえ。ちん〇んは、英語でペニスだぞ。ディックだぞって)


 サキは、目尻に涙を浮かべている。クルーバーであれほど「ちん〇ん、ちん〇ん」と連呼していたのに、急に恥ずかしくなってしまったらしい。


「そういうことなら仕方ない。今後は、サルーテと言うことにする。それなら良いのだろう?」


 二人で頷いた。


 追及されなくて良かった。

 船長の背中を見送りながら、サキの耳元で囁く。


「ちん〇ん」

「煩い。小ぶり!」


 サキは周囲にお客様がいないのを確認してから、クラッチバックでケンジの尻を思いっきり殴った。


*身持ちの固いクルーも沢山います。

全く美味しい思いをすることがないまま下船するクルーも沢山います。

ご理解のほどよろしくお願いいたします。

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