第2話 ちん〇んで世界征服

 自室に戻ってすぐ、嫌な予感がした。

 この予感は、いつだって的中する。


「ハロー、ケンジ」


 二段ベッドの下のカーテンが開き、受付係のアベーレが出てきた。船の<フロントデスク>と呼ばれる場所で働いている中堅の男だ。


 イタリア人だが背が低く、ブロンドヘアがくるりと跳ねており、男というよりは少年という印象を周囲に与える。顔は、ギリシャ神話に出て来そうなほど整っている。


(また、男を連れ込みやがったな)


 アベーレはゲイだ。誕生日会で、その手の怪しい玩具をプレゼントされていたので間違いない。ルームメイトのヤン(中国人)もゲイだ。

 何が起こったのかは聞かなくても分かる。


 船で暮らしていたら、ルームメイトのそういうことは多めに見なければならない。

 自分のベッドを使わないこと、事前に連絡すること、それ以上の条件を付ける方が酷だ。


「ケンジ、スマホ見たー? メッセージ入れといたんだけどぉ」


 ルームメイトの間延びした声が聞こえてくる。


「見てない! 俺は、海上でスマホを見ないんだって。こういうことになるなら電話してくれ」


 海上で自分のスマホを使いたければ、金を払ってインターネットに接続しなければならない。ルームメイトのヤンはそれを苦にしないようだが、ケンジにとっては煩わしいことこの上ない。寄港すれば、船内でスマホを使える。


 職種上船内で使える携帯を別に持たされているので、用があるならそっちに掛けろと言ってあるのに。


 アベーレは、不気味な笑いを残して去っていく。

 これでも上司だ。唇に笑みを貼り付けて対応した。

 アベーレは、明日下船と聞いている。この仕事を続けるなら、数か月の休暇の後にまた戻ってくることになる。もっともどこの船に送られるかは、会社が決めることだが。


「いやぁ。最後の夜だからさ。話し掛けたら盛り上がっちゃってねぇ」


 聞いてねぇよ。

 睨みつけるが、ヤンは全く意に介さない。

 満面の笑みを浮かべて、スマホで調べ物をしている。


「何調べてるんだよ?」

「んー。出会い系アプリで検索中。僕、明日は外に出してもらえるからさ」


 呆れた。今食べたばかりだと言うのに、ヤンは明日の男を探しているのだ。


 クルーだからといって、いつも寄港地で外に出してもらえるわけではない。

 週に一度出られたら文句は言えない。前の船では、三か月近く出してもらえなかった。


 クルー同士でを起こすと後々厄介だったりする。噂は面白いほどすぐに広まるし、するにも場所の問題がある。九割方のクルーには、ルームメイトがいるのだ。

 出会い系アプリで寄港地付近の相手を検索し、欲求を満たしてくるクルーは多い。


 他国籍の男や女と関係を持ってみたいという現地住民も一定数いると聞く。


「病気とか怖くないのか?」素朴な疑問を口にする。

「えー? 別にー。ケンジは相変わらずおカタイよね。ねーねー。どの男がいいと思う?」


 ヤンは布団に寝転がったまま、男の写真を見せてきた。

 画面をスライドさせながらそれぞれの男のお気に入りポイントを力説しているが、ケンジからしたらどれでもいい。否、どれも嫌だ。


 ヤンはページをめくる度に、ハートボタンを押しまくっている。


「俺は、ノンケなの」

「もう。つまんないなぁ。僕ね、やっぱりスペインの男が一番好きだと思う」


 大男が真っ白なシーツの上で、女のように体をくねらせる。

 頭が痛くなってきた。どこかで新鮮な空気を吸いたい。


 クルーの自室は驚くほど狭いのだ。ラジオ体操も出来ないような空間で、ことを済ませたばかりのヤンと顔を突き合せたくはなかった。


 ドアを閉める背中に、ヤンの声が飛ぶ。


「え? 今帰ってきたばっかりなのに、どこか行くの?」

「ちょっと外の空気吸ってくる!」


 空気と言っても、クルーエリアに新鮮な空気などない。海底部分なので、窓なんかないのだ。天候が悪い日には、船の軋む嫌な音を子守歌にして寝なければならない。


 上階に行って外の空気を吸うことも出来るが、仕事が終わってまでお客様に捕まりたくはない。

 外にクルー用の喫煙所もあるにはあるが、ケンジは煙草を好まない。行っても、煙草の煙にまみれるだけだ。


 どうしたものか。


 ふと隣を見ると、先ほどサキと一緒にクルーバーにいた白人の子が微笑んでいる。シャワーを浴びたのだろう。髪の毛先がまだ少し濡れている。


「今日、ルームメイトは彼氏の部屋なんだ」


 緑色の瞳が愛らしい。ケンジは静かに頷いた。






 クルーバーの扉を開ける。非常事態に備えて、船のドアはどこもかしこもとにかく重い。

 サキは、例の白人の女性、リリーと楽しそうに喋っている。


「で、日本を制覇した感想は?」

「うーん。小ぶり! でも固いから、まぁ嫌いじゃあないかなぁ?」

「そっかぁ。……ふーん。そりゃケンジが聞いたら喜ぶよー」


 喜ばねぇよ。

「小ぶり」で肩を落とすべきなのか、曖昧な「まぁ嫌いじゃあないかなぁ?」で喜ぶべきなのか判断が難しい。


 サキとリリーは、すっかり盛り上がってしまっている。


「ちん〇ん。つき?」リリーが、たどたどしい日本語で呟く。

「つきじゃなくて、好き。もう一回言ってみて」サキは真剣だ。


(もっとまともな日本語を教えてやれよ……)


 今日は、クルーバーは辞めだ。捕まったら、サキにいじり倒される。

 二人が気付かないうちに、ケンジはクルーバーを後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る