第182話 リンカと二人(2)


「【阿修羅道】のせいで、お腹が空くって言いましたよね」

「うん。今日の食べっぷりも凄かったね」

「ここまでは伝えてありますが、実は――」


 そこで言葉を句切り、リンカは椅子から立ち上がった。

 それから、ゆっくりと俺に歩み寄ってきた。

 彼女は俺の前、つま先同士がぶつかりそうな距離まで近づく。


 そこで彼女の足が止まり。

 彼女は両の拳を握りしめる。


 見えないなにかを握りつぶす音を、俺は錯覚した。


「隣に座ってもいい?」


 普段とは異なる口調。

 それは怯えるような、抑えきれないような、絞り出された声だった。

 声は妙な色気と迫力を伴っていた。


「……うん。いいよ」


 俺は頭ではなく、反射で返事した。

 ボタンを押したら自動的に動く機械のようだ――どこか離れた場所から自分を見ているようだった。


 ギィとベッドがきしむ。

 振動で「むにゃ」とエムピーが呟いたが、起きる気配はなさそうだ。


 会話の続きが始まるかと身構えるが、彼女は口を閉ざしたまま。

 その代わりに、彼女はピッタリと身を寄せてきた。


 湯上がりの良い匂い。

 触れた二の腕から伝わってくる体温。


 彼女の心臓の音が肌を通して伝わってくる。

 呼吸と脈拍が重なり、リズミカルに跳ねる。


 彼女の顔を見ていられない。

 代わりに視界に映るのは、ピクピクと動く彼女の細い指だった。


 彼女と出会ってから――。

 初めて感じる空気。

 初めての距離感。

 初めての熱量。


 特別ななにかが起こりそうな気配に、すぅっと醒めていく。

 期待でもなく、不安でもなく、心はこわばる。


「一週間、ずっと我慢したんだ」


 俺は口を閉ざし、彼女の独白が間を埋める。

 心の距離を埋めるようとして。


「さっきラーシェスが甘えているのを見て、歯止めが利かなくなっちゃった」


 近づいてくる彼女に対し、俺は近づくことも、離れることも出来ない。


「【阿修羅道】が求める破壊衝動が――最近、その衝動がどんどん強くなってきて、もう耐えきれないの」


 彼女が抑えてきた思い。

 俺が見えないフリをしてきた思い。


「食欲だけじゃなくて、別の欲求も――」


 言わなくても、それがなにかは言うまでもない。

 リンカの顔がどんどん近づいてくる。


「レント――」


 俺の心臓もドキドキと高鳴る。

 彼女は俺に向かって上体を傾けて――。


 その肩からアンガーが転げ落ちる。


「なんだ、イータ、やんのか、おら!」


 俺とリンカの視線がアンガーに向かう。

 どうやら、寝言のようで、アンガーはすぅすぅと寝息を立て始めた。


 アンガーのせいで、色濃い空気が霧散した。

 リンカは慌てて、俺から顔を離す。


 さっきまでとは違う意味で、彼女の顔が真っ赤に染まる。


「ごっ、ごめんなさい」


 リンカはバッと立ち上がり、頭を下げる。

 そして、顔を上げると、アンガーをつまみ上げる。


「今日の事は忘れてください」


 それだけ言い残して、そそくさと部屋を出て行った。


 ――ふぅ。


 一人取り残された部屋。


 いったい、今日のリンカはどうしたんだ。

 彼女が言う通り、SSSギフトである【阿修羅道】の暴走だったのか?


 すべてを奪い尽くせと命じる――【無限の魔蔵庫】。

 すべてを壊し尽くせと命じる――【阿修羅道】。


 ときに持ち手を呑み込むような強い衝動に身体を支配される。

 さっきのリンカもそうだったのだろうか?


 そうであれば、今後も起こりうるだろう。

 それに対して、俺はどう振る舞えば良いのか――。


 女性不信というほどではないが、ミサのせいで、俺は女性が苦手だ。


 これまでも女性とは距離を取るようにしてきたし。

 ナミリアさんにグイグイと迫られて、身体が流されそうになっても、我慢して冗談で片付けていたし。

 リンカやラーシェスを女性としては意識しないようにし。

 あくまでも信頼できる仲間であり、それ以上は考えないようにと心に蓋をしてきた。


 このまま自分の気持ちを騙しきれたら良かったのかもしれない。


 でも、気付いてしまった。

 いや、思い出してしまった。


 リンカの熱い吐息が、心の奥底に蓋をして締まっていたソレを呼び起こした。

 今までの反動でソレは俺の心の中で暴れ始めた。

 俺のコントロールから完全に離れ、身体中を刺激する。


 荒くなった息づかい。

 しっとりと汗ばんだ手のひら。

 腹の中でグルグルと揺れる思い。

 心臓がとび跳ねる。


「明日からどう接したら良いんだろう……」






   ◇◆◇◆◇◆◇


【後書き】


次回――『眠れぬ夜』


飯島しんごう先生によるコミカライズ2巻、2月9日発売です!



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