第117話 SS05 ヤギュウ堂の親子(上)

第82話直後、リンカが着物を買った後の話です。


   ◇◆◇◆◇◆◇


「ほな、スズよ、ワシはちょっと出かけてくるでの」


 リンカにキモノを渡し、代金200万ゴルを受け取ったリンドウは、金貨が詰まった小袋を掴み上げ、浮かれ調子で店を出ようとする。


「父ちゃん、ダメのん」


 そんなリンドウの手を娘のスズがつかむ。


 ヤギュウ堂のキモノ商売は開店休業状態。

 土産物の売上でなんとか食いつないでいるヤギュウ堂にとって、200万ゴルは久々のまとまった大金だ。


 スズは十歳とは思えない強い視線で父をにらむ。


「止めないでくれ、スズよ」

「そのお金、どうするつもりのん?」

「リンカ殿は今はEランクだが、途轍もない早さで駆け上がっていく。半年後にはAランク、いや、それ以上かもしれん」

「……」

「そんなリンカ殿の次のキモノ――Aランクでも通用するキモノを仕立てるには最高級の生地と糸が必要だ。今から準備を始めないと間に合わんのじゃ」

「……借金はどうするのん? 先週も取り立てに来おったなん」


 土産の売上で一家がやっていけるくらいの収入はあるのだが、お金が入るたびにリンドウは高い反物や糸を買い込んでくるので、生活はいつもカツカツだった。


 そして、最近では借金までしている。

 まっとうな金貸しなので、法外な利息を取り立てられたり、店を乗っ取られたりする心配はない。

 だが、頭を下げて先週の返済期限を伸ばしてもらったばかり。

 いつまでも放っておけるわけではなかった。


 この200万ゴルがあれば、返済しても生活に余裕がある。

 返済を優先させよというスズの意見はもっともだ。


「借金か。大丈夫、あれなら近いうちになんとかなる」

「なるわけないのん! ロクにお客さんも来ないのん!」


 リンドウにはあてがあった。

 だが、それを娘に伝えるべきか迷っているうちに、スズが畳み掛ける。


「だいたい、売り物にならんキモノばっか作って。この前作っていたアレはなんなのん?」

「いいキモノじゃろ?」

「アホなんっ! 誰があんなの買えるのんっ!」


 いいキモノであることは間違いない。

 そのことはスズも分かっている。


 問題はいい物すぎるのだ。

 最高級の生地に、金糸銀糸で彩られた手の込んだ刺繍。

 材料費だけでも数百万ゴル。


 いくら素晴らしい物であっても、冒険者装備でもないただの服にそれだけのお金を払えるのは王侯貴族くらいだ。


「ああ、あれは売り物じゃないぞ」

「やっぱり、父ちゃんの道楽なん!」


 お金に窮しているのに、売り物にもならない物を作って。

 職人としての父の腕は認めているが、娘としてはどうしても突っ込まければならない。

 まったく悪びれる様子のない父に、スズは呆れて溜め息をつく。


「ちょっとは自覚するのん。今まで母ちゃんが回しとったん。母ちゃんがおらん今、父ちゃんがしっかりせんとあかんのん」

「大丈夫だ。母さんならそろそろ戻ってくる」


 スズの母であるキキョウが家を出て一ヶ月たつ。

 無責任な父の言葉に、スズは目つきを変える。


「嘘なんっ! 帰って来るわけないのんっ!」


 スズは懐から取り出した一枚の紙をリンドウの眼前に突きつける。


『実家に帰ります。心配いりません。 キキョウ』


「母ちゃんは父ちゃんに愛想尽かしたのん!」


 母が出て行ったその日、書き置きを先に発見したのはスズだった。

 スズはそれを隠し、父には見せなかった。

 なぜか、見せるべきではないと思ったのだ。


「母ちゃんはキモノを持って逃げ出したのん!」


 キキョウは家を出るときに、大量のキモノを持ち出していた。

 手切れ金代わりなのだとスズは思っていた。


 今までキキョウに甘えていたリンドウ。

 だが、キキョウがいなくなったと知れば、心配してキキョウを探し、生活もあらためる――そう期待していた。


 だが、スズの期待は裏切られた。

 何事もなかったように変わらぬ父。

 それどころか、買い手がつかないような高額のキモノを作り始める始末だった。


「そうか、スズは知っておったのか。大丈夫、その手紙の通りだ。母さんなら、そろそろ帰ってくる。安心しい」


 呑気な父の態度にスズの感情は爆発した。


「そんなわけないのんっ! 父ちゃんは捨てられたのん。売り物にならんキモノばかり作って、冒険者なんてほとんど買いに来ないのんッ!」

「…………」

「それでも、なんとか食べていけたのは母ちゃんが仕入れてくれた土産物があったからなん。それももう在庫がなくなりそうなん。その後、いったいどうするつもりのん?」


 リンドウは娘がここまで思い詰めていたとは知らなかった。

 まだまだ子どもで、「母はそのうち帰ってくる」と気にしていないものだとばかり思っていた。

 だが、娘は父が知らぬうちに成長していたのだ。

 リンドウは言葉に詰まる。


 そのとき――。


「あらあら、騒がしいわねえ」






   ◇◆◇◆◇◆◇


【後書き】


 長くなったので分割しました。

 後編は明日投稿します。


次回――『ヤギュウ堂の親子(下)』

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