第107話 断空の剣25:エルの誤算

「これで私は関係ないですー」


 笑顔を作りかけたエルの表情が固まる。


「えっ!?」


 握りしめた冒険者タグでステータスを確認したエルは驚き、慌てふためく。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【借入魔力量】

 レント:885,545MP


 利息:16,642/50,638MP

 不足:7,532MP

 期限:7の月9の日


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


「なっ、なんで……どうしてっ」


 今朝起きたときから、エルはずっと考えていた。

 足りない頭を必死に巡らせた。


 毎日5本も飲み続けるのは不可能。

 じゃあ、助からないの?


 だが、いい考えは浮かばない。

 そもそも、考えるのは苦手だ。

 難しいことはわからない。


 今までもすべて他のメンバーに任せてきた。

 「俺についてこい」と自分を導いてくれるガイを頼もしく思い、そこに惚れた。

 一方、「敵に合わせて、バフを使い分けれるようになれ」、「後衛でも油断はするな」などと口うるさく小言を言ってくるレントは疎ましく思った。

 だから、ガイと付き合い、レントの追放に賛成したのだ。


 ガイの短慮こそ正しいと思い、レントの深慮を弱腰だと罵ってきた。

 それこそが愚かなエルの選択だった。


 考えようとするが、どう考えていいのかすらわからない。

 体調のせいもあって、思考は長続きしない。

 ベッドに横たわったまま、ぼけっと過ごしているときだった。

 手すさびに冒険者タグをもてあそんでいるうちに、エルはあることに気づいた。

 ステータスにある――【パーティー借入魔力量】という表示。


 これを見つけてエルは思った。

 取り立ての対象は個人ではなく、『断空の剣』だと。

 パーティーから脱退すれば、逃れられるのではと。


 それでもエルは悩んだ。

 裏切る後ろめたさゆえではない。

 一人になった自分がこれからどう生きていけばいいのか、わからなかったからだ。

 だが、悩んだ時間は短かった。


 ――今後の不安と、目の前の苦難。


 それを比べたとき、エルは迷わず飛びついた。

 もうひとつのマシュマロを諦め、目の前の皿に手を伸ばす幼子のように。


 エルとしては初めての経験だった。

 人生における重大な決断を、初めて自分で下したのだ。


 そして、その選択は――失敗だった。


「おいッ、エルッ、てめー、自分だけ助かろうとしやがってッ!」


 激高したガイがエルに詰め寄る。

 そんなガイの背中にミサが平坦な声をかける。


「落ち着いて、ガイ」

「あッ? 落ち着いてられるかッ! コイツ裏切りやがったぞッ!!」

「エルの顔を見たら、どうなったかわかるでしょ?」

「なんだとッ!?」


 ガイは興奮しながらも、うつむいているエルの顔を覗き込む。

 恐れのあまり、震えている顔を。

 その理由を理解していないガイに向かってミサが告げる。


「アンタもステータスを見ればわかるわよ」


 ミサは自分のタグをいじっている。

 言われた通り、ガイが自分のタグを掴む。

 そこには、ミサのタグと同じ情報が表示されていた。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【パーティー借入魔力量】

 レント:1,792,553MP


 利息:33,687/102,501MP

 不足:15,527MP

 期限:7の月9の日


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


「なっ…………減っている……」

「ええ、そうよ。パーティーを抜けたからってチャラにはできないわ」


 エルが脱退を告げるなり、ミサはすぐさま自分のタグで借入状況を確認した。

 そして、自分の予想が当たっていたことを確信して、笑みを浮かべた。

 二人には気づかれない小さな笑みを。


 ミサは予想していた。

 あの執念深いレントのことだ。

 パーティーを抜けたくらいで、取り立てを逃れられるほど甘くはないと。


「ねえ、エル。怒らないから、ちょっとタグを見せて」


 怒るどころか、優しい声で話しかける。


「はっ、はい」


 おずおずと差し出されたエルのタグを掴み、ステータスを確認する。


「やっぱりね。思っていた通りだわ」

「おい、どういうことだ?」

「ほらっ、ガイも見なさいよ」

「おっ、おう」


 言われてガイも覗きこんだ。


「これは……」

「わかったでしょ?」

「ああ……」


 ミサはエルに嘲笑を向ける。


「パーティーを抜けても借入はゼロにはならない。ちゃんと3分の1は返さないといけないのよ」

「そんな……」

「ねえ、ガイ。私たちを裏切ってくれたエルをどうしたらいいかしら?」

「ひっ……」


 ミサの言葉にエルは怯える。


「いまさら、パーティーに戻したりはしないわよね?」

「ああッ。当たり前だッ!」


 怒り心頭のガイは、当然のようにミサの言葉に頷く。


「というわけで――後16本、一人で頑張ってね」

「そっ、そんな……」


 どう考えても不可能な量だ。

 エルの顔が青ざめる。


「ふんっ。ざまあみろッ! 俺たちを裏切ろうとした罰だッ!!」

「ええ、いい気味よ」


 二人は勝ち誇った笑みをエルに向ける。

 だが、その意味は大きく異なっていた。


「じゃあ、エルの件が一段落したところで――」


 ミサはそこで一区切り。


「――私も抜けさせてもらうわ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る