2. セルリアン緊急招集
「何回目だ?」
「三回目です」
N.E.G.O.対策特別本部、最先端の技術群で構成されたメンテナンスルームにて。
「それで、今回は何を間違えた?」
「……N.E.G.O.ウイルスが暴走する論理飽和シリンダを、感染しているヒトミに打ってしまいました」
「そうか。それで本来の処理は?」
部屋の中央、いくつかある調整用
痛々しさこそないものの、それが却って彼が人間ではないことを引き立てているような空間を横目に。
「人型ウイルス駆除パッチが適用された、回路補助ワクチンを打つべきでした」
診察椅子に座ったケイトは、リズリス・アーヴェンハルトの始末書作成のため聞き取り調査に応じていた。
「ふむ。正しい対処法も理解していた、と」
「……リズリスさん、あの、ヒトミは」
「嗚呼、感染前に意識系統全般のバックアップをこちらに送付していたし、欠けた
穏やかに響くバリトンに、ほっと胸をなでおろすケイト。無意識のうちに入っていた肩の力が抜けていく。
印刷したカルテと空間ディスプレイを交互に見るたび、ネイビーブルーのポニーテールが揺れる。男装の麗人に間違われる彼は、幾度となくヒトミと共にお世話になっているお抱えのメンテナンス技師であり。
「しかしながら、ニィゴに背負われたヒトミの姿をまた見る日が来ようとは」
「この度は本っ当に、誠に申し訳ございません!!」
「……反省しているなら良い。君がそう愚かな男ではないと知っているさ」
そして、ただの一般的なエンジニアの端くれ程度であったケイトに、数多くの知識と技術とお𠮟りの言葉を授けた男でもある。
「
「いえ、特にありません」
「そうか。まあ、何か不調を感じたら直ぐに来い」
ホログラフィックキーボードを空中で叩きながら向けられる黒い瞳に、こくりと頷きを返すケイト。それに満足したのか、キーボードを消したリズリスはすっと立ち上がる。
つられて立とうしたケイトを制し、向かうのは彼が愛用する私物の全自動コーヒーメーカー。常備しているマグカップ二つを用意すると、それぞれに湯気香り立つコーヒーを注いでいく。
「この件についてお咎めなし、とまではいかないが。……状況を考えれば情状酌量の余地は大きくあるだろう」
続いて響く、ぽちゃんと角砂糖を落とす音三つ。戻ってきたリズリスは両手に抱えたマグカップの内、コーヒーマドラーの刺さってない方をケイトへと差し出した。
「必要以上に気に病む必要はない」
飲むだろう、と言いたげな視線に応えて、両手でそれそっと受けとる。
「有難う、ございます。リズリスさん」
「これが仕事だ」
ふっとほんの少しだけ口角を上げると一口。座り心地の良さそうなチェアに腰を落ち着けた彼は、聞き取りは終わり、とでもいうように優雅に足を組む。
マグカップの縁に口を付ければ、の鼻孔をくすぐるコーヒーの香り。傾けて口に含めば、ケイト好みの無糖ブラックコーヒーの味がした。
「美味しい」
「そうか。……そういえば――」
「おっ邪魔しまーす!!」
リズリスの言葉を遮るように響く、男らしさを兼ね備えたハイトーンボイス。自然と目が引き寄せられる出入り口に居たのは、ダンデライオンのような鮮やかな髪を持つ青年。たたたっとリズリスの元へ駆け寄ると、人懐っこい笑みを浮かべる。
「やっほーリズセンセー! 元気元気? 何飲んでるの?」
「サンパチ
「はぁいごめんリズセンセー」
少し眼光を鋭くしたリズリスに、悪びれることなく三式ヒト型戦闘機構八号――サンパチはそう返事をする。
尻尾をブンブンと振る幻覚が見えそうなくらいの懐き具合に、ふっと笑みをこぼすケイト。今に始まった事ではないのだが、慣れず毎度照れ隠しに眉間へと皺を寄せるリズリスの姿は微笑ましい。
「リズリスと呼べと言っているだろう。元気だ。飲んでいるのはコーヒー」
「角砂糖三つ入り? 好きだねー。やっほーケイくん、元気元気?」
「こんにちは、サンパチ。俺はそれなりに元気だよ」
「そっかそっか! 元気だってさー、うん、良かった良かった」
ケイトの返答に、にぱっと笑ったサンパチ。その視線の先はケイトではなく、横たわるヒトミへと向けられている。
(ああ、ヒトミに報告してるのか)
ヒト型戦闘機構、
一度世界を荒廃させた人工知的生命体でありながら、現代にて新たに意識を得た機械仕掛けの命。兄弟機として作り出された彼らは、人類に紛れるためそれぞれが異なる人格を持ち、人類への慈悲と兄弟への愛を持つ。
「……それで? 何しに来たんだ、サンパチ」
「オレ? オレはケイくんを連れてきて、ッてノルに言われたー」
痺れを切らしたようなバリトンの問いに、あっけらかんと返ってくる割と重要な答え。ノル、と呼ぶのは他でもない。ケイトの頼れる先輩隊員ことノルス・チェインバーズである。
「ノルス先輩が?」
「そだよ。“セルリアン”に緊急招集だってー」
N.E.G.O.対策特別捜査隊――通称・セルリアン。ケイトの所属するその隊は、名のごとくN.E.G.O.に関する捜査を一手に引き受ける政府承認の特殊部隊だ。
その名を指名しての緊急招集となれば、N.E.G.O.の関連が疑われる事件が発生したということだろう。
「てことは、臨時ミーティングが開かれるのか」
「そのとーり!」
そう言いながらサンパチはケイトのマグカップをひったくると、さも当然というかのようにサイドテーブルへ置く。そんな突然の行動に狼狽え、エメラルドの目が白黒したのも束の間。視界から消えるリズリスの姿と、ケイトを襲う浮遊感。
れっきとした成人男性であれど、戦闘機構にとっては重さなど感じないのだろう。気が付けばケイトは、サンパチに丸太のように担ぎあげられていた。
「ちょっ、サンパチ?!」
「じゃ、リズセンセー、またね!!」
「あ、嗚呼……」
サンパチがぐるりと出入口の方を向けば、リズリスの顔が見える。困惑した表情の彼と視線が交われば、苦い笑みを浮かべられた。
「コーヒー、ご馳走さまでした」
「……気をつけてな」
「はい!」
ずんずんと進むサンパチが部屋を出る間際。チェアに座ったリズリスが、ひらりと手を振るのが見えた。
N.E.G.O.対策特別本部は、様々な設備が存在する。先程のメンテナンスルーム以外にも、人間用のメディカルルーム、武具防具のカスタマイズを行うエンジニアルームや、対N.E.G.O.戦闘訓練を行う修練場。休憩室の他に仮眠室、シャワールームも備え付けられており、昼夜を問わず多くの職員が出入している。
つまり、多くの職員がケイトを担いだサンパチを目撃している訳で。目的地に向かうまでの道のり、大変多くの生ぬるい視線をケイトは受け取っていた。
(絶対これ後で言われるヤツじゃん……!!)
「連れてきたよー」
長い長い道のりを終えて、ようやくケイトが辿り着いたのは作戦会議室。サンパチの声に部屋の中の注意が全てこちらを向いたのがわかった。
「遅いぞサンパチー、って、そのケツは……ケイトか?」
「あー、ケイトですノルス先輩」
ノルスの声に、軽く足をじたばたさせて答える。何せ担がれた向きのせいで、部屋の中に誰がいるのわからないのだ、ケイトなりのせめてもの意思表示であった。
「んで何で担がれてるんだお前」
「ノルが連れてきてー、ッて言ったんじゃん? 連れてきたよ?」
「そこまでしろとは言ってねえよ。……とりあえず降ろしてやれ」
「はぁーい」
よっと、という掛け声とともに、サンパチがしゃがんだことでケイトの足が床についた。久方ぶりに自分の足で立つ感覚に、感動すら覚える。
「僕としてはノルスもケツで人間を判断してることの方が驚きなんだけど」
「なっ!! ばっ、ニィゴ違えよ!! それは言葉の綾ってヤツで――」
ケイトが振り返れば、作戦会議室にはサンパチを抜いた先客が三人。
ニィゴのじとりとした視線に、明らかに狼狽えるノルス。そしてこの部屋の紅一点が、混沌としかけた部屋へ手を叩く音で歯止めをかけた。
「はいはい、し・ず・か・に!」
場を制す、よく通るメゾソプラノ。ミーティングを仕切るオペレーターたるミソラ・ハルジアは、次いで呆れたように溜息を吐いた。
「ホンット、ヒトミさんがいないと簡単に烏合の衆になるわね……」
「なっ、烏合の衆とは酷くねえかミソラ!」
「酷くない。不在隊員を抜いて全員集まったんだから、ミーティング始めるわよ」
噛みついてくるノルスを手慣れた様子であしらうと、並べ並べとジェスチャーをするミソラ。彼女が演台の位置につけば、ホログラムキーボードが浮かび壁一面にプロジェクターから映像が投影される。
映像が見えるように一列に並ぶ隊員たち。作戦室が薄暗くなれば先程までと一転、ピリリとした空気が漂った。
「さて、早速本題に移るわ。つい先程、N.E.G.O.が関与しているのではないかと思われる現象が発見されたの」
そう言いながら、流れるようにキーボードを叩くミソラ。しかしその言葉に一人、ケイトは首を捻る。N.E.G.O.の関与を疑うだけならば通常の任務と同等であり、現象が発見された、という文言は今までに聞いたことがない。
「……妙に引っかかる言い方ですね?」
「鋭いわねケイト君。緊急招集の理由はそこにあるわ」
そこでパッと変わる、プロジェクターの映像。白い画面に表示される
「動画配信サービス、知ってるわよね?」
「あれだろ? 確か登録すれば誰でも動画投稿ができるっつーヤツじゃね」
「そう。この
検索窓にぴぴぴぴぴぴぴ、とキーボードが音を鳴らしながら文字が撃ち込まれる。エンターボタンと共に表示されるのは、廃墟のユーザーアイコンと“廃墟マニアのレスター”という名前。
「ニィゴ、廃墟マニアってなに?」
「放棄されて人の手が入らず廃れた建物を愛好する者? ……言葉だけで解釈するとそうなるけど」
「サンパチ、深く考えるな。――感じろ」
「あのさノル、オレ人間じゃないからそういうの無理だよ」
「……すみませんミソラさん、続きお願いします」
眼光が鋭くなり始めたミソラを宥めるように、ケイトがフォローを入れる。この短時間で烏合の衆が言い得て妙であることを証明する先輩隊員とはいかに。
「そうね、続けるわ。……“廃墟マニアのレスター”ことヴァニスタ・レイノルズ。彼はその名の通り、廃墟の紹介をする
「んで? ソイツがどうしたんだ?」
ノルスが先をせかすように尋ねれば、今までの饒舌さが嘘のようにくっと押し黙るミソラ。静寂が訪れる中、そのまま瞳を閉じて、深く息を吐いた後。
「
「……消えた?」
告げられた言葉を反芻するケイトに、重々しい頷きが返ってくる。
「そう。自身が廃墟を紹介する動画の、その途中で。
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